ギャンブル依存症者はコロナ禍、どこに行ったのか!?

この記事は「ギャンブル依存症者はこのコロナ禍、どこに行ったか!?について」です

 

・パチンコ・スロット
・賭け麻雀
・競馬・競輪・オートレース
・合法または違法なカジノ(インターネットカジノ他)
・カード賭博(バカラ他)
・宝くじ・サッカーくじ
・FXや先物取引
・UFOキャッチャー

合法非合法問わず様々なギャンブルがある中で、この記事では、コロナ禍のギャンブル依存症者について焦点をあてます。

 

結論は「問題にならないだけで、実はギャンブル依存症者らは、そこら辺にゴロゴロ転がっている」です。

 

そもそも、人はなぜギャンブルにそこまでハマり続けてしまうのでしょうか。ギャンブル依存症者にとってのギャンブルは
生きた心地を与えてくれる最高のエナジードリンクのようなもの」と面と向かって言われたことがあります。

その人は続けて、「つまらない生活の中で、その瞬間、その大当たりの間だけ生きた心地がして、機械をも攻略した最高の気分になれる。

これは、自助グループやデイケアのミーティングなどで当事者たちを理解した気でいた私の心に深く刺さった言葉でもあります。

何を言いたいかというと
コロナ禍になったところで、ギャンブル依存症者たちの欲しいもの(この人の場合は、ワクワク感や生きている感じ、機械をもコントロールしたという征服感)は埋まっていないことが多い。緊急事態宣言中だから止まっているのであって、緊急事態宣言が終わればその問題に向き合わなければいけなくなるのです。

私のフォロワーの中でも、緊急事態宣言中だからこそ断ギャンブルの工夫を凝らしながら自身の問題性に向き合っている人も多数いる。ギャンブルの場にいかない理由を自ら作り出し、それを行動に移している人は止めるためのステージに立っているのだろう。

しかし、Twitterでは断ギャンブルをうたいながらも、ギャンブルをやり続ける言い訳を重ねている人も多いのは確かだ。

https://yuruiizonshou.net/gambling1/

以前書いたように、スリップ(一時的な失敗)は多くの依存問題でよく見られる。だからと言ってそれを言い訳に問題行動を続けていいわけではない。
いや、本音をいえばどうでもいい。
ギャンブルで身を滅ぼしたい生き方でいいのならそういう生き方でもいいのだと思う。
私の人生ではないので強制するつもりもない。

ただ、Twitterやブログでこの記事を読んでいる人たちならこのままではダメだと気付いている人がたくさんいるだろう。

スリップしたとしても、それをちゃんと分析し、受け止め、次の失敗につなげないための工夫が大切だというこうとは理解できるだろう。

ギャンブルをやめるということは、自分の人生について本気で考えるということそのものだと思う。

コロナ禍でギャンブル依存症者が減ったわけではないのだ。
ただ、少しばかり当事者たちが見えにくくなっていることを知っておかなければ、気付いた時には自分が当事者になるリスクだってある。

https://yuruiizonshou.net/gambling1/

 

※最後に、なぜ上記のギャンブル欄にUFOキャッチャーを入れたかというと、これもまた依存性の高いものだからだ。目の前の商品があと100円、200円で取れるあの感覚は、ギャンブル性が高く、やめ時を失いやすい。
商品が取れず、意地になってお金を注いだことはありませんか?
決めた金額では取れず、追加のお金を入れたことはありませんか?
コントロールできているつもりで機械にコントロールされていませんか?
身近にある依存の問題でした。

一般財団法人ギャンブル依存症予防回復支援センター
http://www.gaprsc.or.jp/about/

久里浜医療センター
https://kurihama.hosp.go.jp/hospital/case/gamble_case.html

 




ギャンブル依存と緊急事態宣言

2度目の緊急事態宣言が出た今、このサイトでは何について取り上げるべきか深く考えた。
緊急事態宣言によって、今後更なる問題が浮き彫りになる依存。
その一つがギャンブル依存症だろう。ギャンブルに対する異常な固執や渇望、衝動が抑えられなくなる病的な状態こそがギャンブル障害の定義でもある。

https://yuruiizonshou.net/post-1754/

過去の記事でも書いたように、彼らのギャンブルは病的と言わざるを得ない。1度目の緊急事態宣言中においても、賭博遊戯場(パチンコ・パチスロ)に行くことをやめなかった人達を私たちは多くのメディアを通して昨年見てきた。

しかし、一方で、ネット上ではギャンブル依存からの回復を支援する啓発動画も出るようになった。
青木さやかさん演じるTwitter連続ドラマ『ミセス・ロスト〜インタベンショニスト・アヤメ』は、SNSの力を目一杯活用し、依存問題を抱える当事者や家族に焦点を当てた依存症回復の啓発動画となっている。↓↓↓

https://twitter.com/SCGAsince2014/status/1260902708136960000

何よりこの動画では、高知東生(たかちのぼる)さんがギャンブル依存症の当事者役を演じている。高知さん自身、自叙伝「生き直す」の中で薬物問題からの回復について多く語っており、依存症という大きな枠組みの中で当事者側を演じることに対して多くの思いがあっただろう。

また、動画の中では、ギャンブルに問題がある旦那を持つ妻(通称ギャン妻)たちの抱える精神的負担は、きっと私たちの想像以上なのかもしれない。ギャンブル依存症問題を考える会では、こういった当事者とその家族への支援を行っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e0d419e429bb9be5bb3899c3d38552c8b8c772f3

話は戻るが、2度目の緊急事態宣言によって、ギャンブル依存問題が実は身近なものだと再認識させるような事例が今後増えることが安易に予想できる。特に日本では、ギャンブル障害の80%がパチンコ・パチスロによるものなのは周知の事実だ。

他のギャンブルがある中で、なんでパチンコなの?

答えは簡単。
フリーアクセスであるため、18歳以上であればいとも簡単にギャンブルと繋がることができる。ギャンブルができる場所が身近にあると言うことは、それだけでギャンブル依存症のリスクを高めてしまう。
きっとこの言葉は、当事者達にとって痛いほど理解できるものだろう。

そして何より、緊急事態宣言によって生まれる大きな時間をうまく使えないのが依存症者の特徴でもあるのかもしれない。

最後に、LOST(田中 他,2019)を紹介したい。
ちなみにLOSTは診断基準ではない。
スクリーニングとして医療現場などでも用いられるようになってきた最新のスクリーニングテストだ。
https://scga.jp/?news=press-181122

まとめ

依存症は、目には見えにくい病である。
緊急事態宣言時だからこそ、問題性が浮き彫りになりやすい。「私は大丈夫だ」という確証はどこにもない。ただ、今日一日その依存と距離を置くことさえできれば、それもまた一つの回復の形になるだろう。

さて、この緊急事態宣言時に一体どのくらいの人間が自助グループにつながっていけるだろうか。自助とは何か膝を突き合わせてミーティングを重ねる意味とは何かを今一度、感じさせられるのがこの緊急事態宣言でもある。
生活様式が日々変化していく中で、「気付いた時にはもう手遅れ」となってしまわぬように、各々の依存に関する問題性を緊急事態宣言だからこそ見直した方がいいのかもしれない。




自分を成長させる【恥】体験を語ることの意味

【恥】感情との付き合い方

「旅の恥はかき捨て」という言葉があるが、あれは恥をかいても大丈夫だと言ってるわけではなく、旅を理由に本来出せない願望を「言い訳のできるもの」にしてしまう大人の汚さだと感じる。

本当にしたいことであれば素面(しらふ)ですればいい。

 

ただ、恥をかきたくないというその思いはどこか共感できるものがある。誰しも失敗なんてしたくないし、できることなら人前で恥はかきたくないもの。だからそこ「恥」という感情はとても扱いづらい感情でもある。特に人の目ばかり気にしている日本人ならなおさらだろう。

 

逆に考えれば「恥」の感情をコントロールできさえすれば、多くの人は自分を自由に表現したり他者の目ばかり気にして生活しなくてすむ。そう考えると「恥」の感情はあなた自身で取り扱えるものにしておいたほうがいい生き方ができるのではないか。

秘密にひっそりと

「こんなこと誰にも言えない」
「本当の自分なんて誰も受け入れてくれない」
「こんなのはきっと自分だけだ」など恥につながる心のセリフを私たちはよく頭の中で考える。

 

結論を言えば
【人間関係で発生する感情は、人間関係の中でしか癒されない。】


つまり「恥」の感情は、適切に、また安全に出せる場が必要であるということ。受け入れられたり、共感してもらったり、否定されないということだけでも大きな意味を持つ。

依存症者の多くは、過去に壮絶な「恥」体験を繰り返してきていることが往々にしてある。それらを適切に表現できる場は、世間にはほとんどないと言っても過言ではない。

あるとすればカウンセリングや自助グループぐらいだろう。しかし、多くの依存症者はこの自助グループにつながるまでに多大な時間を費やしてしまう。

以前自助グループの記事でもかいた
オープン・スピーカーズ・ミーティング のように、助けを求めることが苦手だからこそ依存の問題は複雑化する。その人の捉え方や問題の大きさにもよるが、つながるまで数十年かかる人もいるぐらいだ。それほど「恥」体験を話すことはハードルが高い。

「恥」を受け入れられるものにするためには、もちろん時間がかかる。当事者が「恥」をどのように捉え、どう解消していくかが課題となり、あなたの問題は○○だから軽症だと一概に決め付けることはできない。

自助グループなどのミーティングの役割や効果は、まさにこの点に尽きるだろう。誰にも話せない本音、それを黙って聞いてくれる環境が自助グループには存在し、またこれまでも存在し続けてきた。

」と表現していくのか、自分が歩んできた轍(わだち)と捉えるのか、決めるのは自分自身であり、決して経験はなかったことにはできない。話すこと、吐き出すことこそ回復には必要であり、自助グループなどにつながってぜひ安全に話せる場を確保していってほしいと感じる。それこそ【恥】体験を語ることの意味だと思う。




ギャンブル依存症は病気か自己責任か。保険適用のメリットとは。

結論としては、ギャンブル依存症は病気といって間違いない。

日本には、法律によって定められた競馬や競艇、競輪、オートレースといった地方公共団体による公的に認められたギャンブルが存在する。また、現在カジノを含む統合型リゾート施設の開業に向けて、都道府県が誘致に名乗りをあげている最中にギャンブル依存症の治療を保険適用させる動きが活発になってきている。

依存症治療で有名な国立病院機構久里浜医療センターの調査では、強い依存性が疑われるギャンブル依存症患者の暗数は全国で320万人にも上るとも言われており、日本人のギャンブルに対する捉え方を見直す時期に来ているのかもしれない。

最近は、店頭ののぼりやCMが少なくなったものの、日本にはパチンコやパチスロといった法律的には賭博に含まれないグレーな遊戯を重ねる事によって日々ギャンブル依存症者が量産されているともいえる。法律の規制の範囲の中での遊戯だからといって油断は禁物なのだ。

■ギャンブル依存症は行為障害に分類され、診断基準には、
①興奮を得たいがために掛け金の額を増やす
②その行為を中断させられると落ち着きがなくなったりイライラしたりする
③制限をするにも関わらず、その枠を超えてしまう行為が伴う
④感情が一時的に楽になる機能をもつ
⑤嘘や言い訳が多くなる
⑥日常生活に支障をきたす程にコントロールを失ってしまう
などの特徴が、数個あるだけでも病的ギャンブルになってしまう。
(診断基準の詳細は省略

最近では、ニュースなどで加熱過ぎるほど取り上げられる覚せい剤問題を筆頭に、アルコールやギャンブル、ゲームといった多くの依存問題に焦点が当てられている。次の対象になるのは、潜在的な依存症が多いとされるギャンブルに向かう世論の流れはある意味至極まっとうな流れともいえるだろう。

自己責任では語りきれない当事者たちの苦しみ


先程もいったように、ギャンブル依存症は病気と扱って間違いない。一旦依存症になってしまうと、その行為を止め続けない限り回復していくことは困難になる。ブレーキが壊れた車が壁にぶつかるまで止まらないことと同じように、回復に向かう当事者たちは、自分のギャンブルが病的であることを理解している。

一度行動に走ってしまうと外からの力が働かない限り、もう止められなくなってしまう。まさにここに病気の根深さが感じ取れるだろう。

お金があればあるだけ使い、なければ金策に走り、ギャンブルに勝てばもっと勝ちたくなり、負ければその負けを取り返すかのように勝負にこだわる。
まさに、こういった過程で病的賭博が形成されていくのだろう。

回復するためには治療が重要

未だに依存症は自分の意志で何とかやめていけると思っている社会が多く存在する。実際に強い意志でやめ続けている人達が居ることも事実であるが、当事者たちは意志だけではどうにもならないことを理解している。

日常生活において、彼らの前には、その行動(ギャンブル)につながるきっかけが山ほど積み上がっているのだ。コンビニの雑誌しかり、一万円札を見るというそんな単純なきっかけでさえ欲求が入ってしまう。

それらの欲求と戦うには意志の強さだけではどうにもならない。
専門治療施設につながることや自助グループへの参加が回復には大きな助けとなるにも関わらず、当事者やその家族などは意志の力に固執し、依存問題を更にこじれさせてしまうことが多い。

社会資源についての理解が乏しいだけではなく、依存問題を自分たちで収めようとすればするほど問題は複雑化する。
精神保健福祉センター
そもそも↑の様な社会資源を知らない人も多く、そこにたどり着くまでに多くのものを失い、つながる気力すらなくなってしまうのだ。

保険適用は賛成?反対?


タイトルにも書かれているとおり、依存症治療における保険適用をどう考えていくかが課題となっている。

国民の大事な税金なんだぞ!自己判断でギャンブルを楽しんでいる奴らになんで税金が投入されなければいけないんだ(怒)

まぁ、おっしゃる怒りはなんとなく理解できる部分もある。しかし、今回の医療保険適用に関しては、「集団治療プログラム」などを対象に検討が進む。

今後この「集団治療プログラム」の定義も含めて議論がなされるのだろうが、いわゆる院内のミーティングをより構造化し、治療として取り入れる流れが厚生労働省としてあるのかもしれない。

社会の中で、依存症の回復に向けて、自助として活動している多くのグループ(AA、NA、GA、SA、OA、EA、CoDA)が回復に大きな成果を出しているモデルを、今まで以上に医療の中に取り入れ、回復の一助として活用する流れには大いに賛成できる部分はある。
同時に、自助グループであることの強みがなくなってしまわないかという不安もこの保険適用を考える上で配慮すべき点だと個人的に感じる。

これまでの依存症治療に関しても、保険適用の範疇であったものの、病院内における治療プログラムは施設に委ねられている部分が多かったといえよう。特に、精神科等の診療報酬加算の算定に関しては、複雑なものが多く、治療プログラムを構造的に行っている専門病院は極めて少ない印象がある。

保険適用のメリットには、精神科などで安定した枠組みの中で治療につながれる患者が増え、依存に関する社会の理解が進むことが予想される。潜在的な病的ギャンブル依存症者にもスポットライトが当てられ、相談機関や専門病院が増えるだろう。

特に、当事者の家族は相談できる機関が増えることで依存問題をひとりで抱え込まなくて済むことは大きなメリットになる。ギャンブルに関するブレーキが壊れているのだということを理解した上で当事者と向き合い、「底つき」が幾分か早くなるだろう。

また、精神科などでは、外部協力者として自助グループのメンバーが病院などに訪問し、メッセージを届けるなどの活動をしている。私自身地域で行われている一般向けのミーティングに参加した経験もあり、ミーティングを当事者やその家族に運ぶことの意味を徐々に体験を聞くことで理解してきた。

オープン・スピーカーズ・ミーティング
今、回復し続けている当事者たちだからこそ語れるメッセージが病院内に入ることは、依存症治療の大きな前進ともいえる。

では、残された課題とはなんだろうか。
専門医やコ・メディカルの育成課題や病院による患者の悪質な囲い込み問題、自助グループへの橋渡しなどの連携課題、社会復帰を見据えた外来治療の構造化など考え出せば多くの課題が浮かび上がる。

まさに、保険適用に向けてこれらの課題を丁寧に説明できるよう議論すべきであり、慎重な検討と現場の声をすくい上げる必要があるだろう。

まとめ

カジノ事業を誘致するための小手先の依存症治療の保険化だけは避けてほしい。その他にもTwitterなどでは、タバコやギャンブル依存症は保険の対象になるにも関わらず、不妊治療や妊娠出産の保険適用に関してまず手厚い施策が必要なのではないかというツイートがバズっている。

また、ギャンブル依存症だからとひとくくりにまとめてしまうと問題の本質を見失ってしまう。依存問題の背景にある疾患にも目を向け、主治医をはじめとするコ・メディカルとも連携していくことが大事な過程であり、その先にある自助グループにつながれるまでの流れをモデルにするなど、今まさに回復し続けている人の力が大きな財産になるだろう。

もちろん依存症は病気であり、治療すべき対象ではあるものの、限りある財源の中から優先順位や今やるべきことをまともな大人たちが議論する必要があるだろう。