オーバードーズ(過量服薬:OD)して見る夢で叶えたいものは叶ったのか

オーバードーズ(過量服薬:OD)は逃げだとは思わない

彼女らは、つらい現実と向き合う中で対処方法を見つけたのだ

たとえそれが周りに理解されない行動だとしても・・・

自己治療仮説】まさにピッタリな言葉だと思う。

幅広い依存症治療や自傷行為に関して著者の松本俊彦先生はこのように述べていた。

オーバードーズ(過量服薬:OD)は何を叶えるのか

彼女らは生きずらさを感じて生活している。

個人的な意見であるものの、私が関わってきた当事者たちはおおむねそうであった。

過量服薬とは、睡眠薬や咳止め、抗精神病薬、抗不安薬などの処方薬を、その規定量を超えて摂取してしまうこと【過量服薬(オーバードーズ:以下OD)】をいう。

寝逃げとして安易にODする者もいれば、救急車で運ばれ胃洗浄したり2〜3日の間、目が覚めない患者も見てきた。

当事者の声に耳を傾けると
【現実逃避したかっただけ。本気で死のうとは思っていなかった。思った以上に周りに迷惑をかけてしまった。】など様々だ。

ODの危険なところは、死ぬつもりはないのに死んでしまうということにある。

そう。
生きづらさを和らげるために行ったODによって、間違って命を落としてしまうケースが少なくない。

病院などで勤務している人ならわかるだろうが、救急で運ばれてくるOD常連さんは、死にたい気持ちと生きたい気持ちの中で常に揺れ動き闘っている。

うつ病、躁うつ、自傷行為、人格障害など見えにくい死のリスクを抱える当事者たちは、問題を自分一人で抱え込みすぎる傾向がある。
まさに彼女らは【助けてが言えない

https://yuruiizonshou.net/post-216/

ODは果たして万能なのか

ODには即効性があり、その薬理効果は確実に一瞬の癒しとつなげてくれるだろう・・・

やっぱり万能じゃん!
ODバンザーイ(╹◡╹)

ただし、リスク後始末があることを忘れちゃいけないね

どゆこと?

簡単に癒してくれるからこそ、また頼ってしまうリスクがつきまとうのです!

それと後始末は、後からさらにでかい負の感情を連れてきます!

 

え、さらに辛くなるなら私ならちょっと悩むわ・・・

ODしてみる夢で叶えたいものは叶ったのか

残念ながらODしてみる夢で叶えたいものは叶わない

しかしその苦痛から逃れるためのするODには、回復のための大切なものが眠っている場合がある

多くの場合、それは一人では見つけられない

ぜひ、ODする前に誰かに話してみることをオススメする
コツは、ODする前に話をすること
さらに言えば、SNSに安易に助けを求めるのではなく「人」に助けを求めることがキーワードとなるだろう
それが一番大事

この記事は、ODを肯定しているわけではない。
ただ、ODを繰り返す人たちは、ODがあるからこそ生きていられるという現実問題について取り上げたかった。




ゆりにゃとタイチョーから見えてくる自傷行為とタトゥーとボディーモディーフィケーション

ボディーモディフィケーション(身体改造)と自傷行為、タトゥー、刺青、ピアスそれらの表現方法には、やり方手法は異なれど、身体に傷をつけるという点で共通する部分があり、自己表現のひとつという範囲から周囲に大きな影響を与えるほどのインパクトを持ったものまで様々ある。

Twitter等のSNSでは、検索すれば簡単にその手の人たちともつながることができる。「蛇にピアス」(金原ひとみ,集英社)で題材にされた舌先を裂く「スプリットタン」は当時の私にも大きな衝撃を与えた。
とはいえ私自身は、ピアスなども開けたことがなく、また積極的に開けるに至る行動をとってこなかった。「痛い、怖い」はもちろんあるが、「一度手を出すときっと止まらなくなる」といった方が合っている。
自分を表現する手段や理想を形にしようとする彼ら彼女らの姿はとても魅力的に感じる。

ゆりにゃへの愛はタトゥーを入れることで証明できるのか

YouTubeやTwitterを見ていると、トレンド蘭からその当事者のTwitterを遡り、ことの経緯を調べることがある。また、まとめサイト情報を見ながらなぜこの問題が今起こり、バズっているのかをよく考える。今回は時事ネタを交えて自傷行為について深掘りしたい。

←要約すると、有名女性インフルエンサーであるゆりにゃ@yurinya1128さんに気持ちを寄せる斉藤タイチョー@saitou_taichouが、本人への真剣な愛なのか、気をひきたいのかは定かではないが、「入れ墨、彫れよ!!」のLINEの返信をまともに受け、指に刺青を入れる行動に出た。
リプ欄には「黒歴史確定だろこれはwww」や「どうせ後から後悔するよ」、「一時の気の迷い」などの厳しい言葉が多く、その行動に恐怖すら感じるフォロワーも多くいたという。
唯一、
彼を評価できる部分があるとすれば、「行動力」だと思う。しかし、その行動も浅はかでその真剣さも外で見ている私には全くといっていいほど伝わってこなかった。

https://twitter.com/saitou_taichou/status/1255816115625750529
↑↑Twitter詳しく見たい人はご自由に↑↑


この経緯から見ても・・・

この男性の発言や安直な行動から伝わってくるように、振り向かせるための道具として自傷(入れ墨)が用いられたことがわかる。これはタトゥーや入れ墨が好きな私からすると怒り心頭な案件である。この男性は、以前にも同じ女性に気をひくためかリストカットの画像を添えたLINEを送っていた。

相手の言うことに従順になることが深い愛情と勘違いしているのかもしれない。たとえ相手がその場の気分で言い放った「入れ墨、彫れよ!!」の言葉があったとしても、わずか9時間後に後先考えず行動してしまう人間に長いスパンでの計画性はないのだろう。

過去の関連記事↓↓

間違って自死に至る病~リストカッターケンイチ

 

入れ墨やタトゥーが悪いのではない。これをすれば相手が受け入れてくれるだろうという「甘え」に入れ墨が使われたことがたまらなく不快だった。文化的に認められるようになりつつある自傷行為」の価値観がまた地に落とされた感じがした。

20年前の日本では、ピアスやタトゥーそれ自体が非行や自傷の象徴であった。まさにこの問題を通してタイムスリップしたような気持ちになり、この男性の恋路がどうなろうと関係ないが、ネガティブなニュースとして偏向報道されないかが心配になった。




間違って自死に至る病~リストカッターケンイチ

今回は自傷行為のおはなし。
でも何故このサブタイトル?と思った人も多いかもしれません。
以前の記事でも書いたとおり,私はよくラジオを聞いていまして「伊集院光の深夜の馬鹿力」というラジオの古~いコーナーで「リストカッターケンイチ」というものがあります。このコーナーが面白くて,ハガキ職人が作るケンイチは,いつもギリギリまで手首を切らずに問題を乗り切ろうとするわけですが,最後の最後にブシャーーーっと切ってしまうのです☆そこに至る葛藤やらなんやらがこのコーナーの面白いところ。

リストカット
中学校の30人クラスだと,1人ぐらいはリストカット経験者がいると言っても過言ではないでしょう。潜在的には一割ぐらいの人がリストカット(軽度も含める)を経験しているのではないかとも言われています。基本的にリストカットは誰もいない一人で行われることが多く,構ってもらいたい思いやパフォーマンスとしての自傷は圧倒に少ないのが実際のところ。
切ってる時ってほとんどが一人で行われます。(ここ重要!)
つまり,彼ら彼女らはなんとか生き延びるために切り続けているわけです。対処法が間違っているように感じながらも,その一瞬一瞬を生きようとする姿は苦しみや生きづらさそのもの表してくれているのではないでしょうか。
以前の記事でも書いた,自らを傷つけ自分の叫びを表現している彼らが羨ましいというのもあながち間違っていない。
一般的な社会人がわかりやすい所にリストカットの傷がガッツリあったらどうでしょうか。たぶん、世間の目は冷たく,本人の抱えているものをどうにかするよりも周りの目を先に気にすることでしょう。お客様の目の届かないところ,または,なるべく人と接することのない場所など。
まさに悪循環。
本人の思いが表された傷を,さらに目の届かない所に追いやる。これでは切ったことで何もプラスになることはない。さらに生きづらさを感じることの繰り返しになるでしょう。

リストカットのやめかた

第1に,まず誰かに打ち明け知ってもらうこと。
理解者を探すことが大事。

第2に,切ってしまうダメな自分でも、まあそれはそれでいいんだと自分を認めてあげること。その過程で間違って死んでしまわないために安全策をとること。あと自分で手当すること。
第3に,治療につながりつづけること。

ザックリまずはこの3点からですかね。周りの人間が意地になって止めようとすればするほど悪化することも多いこのリスカ問題。
本人は傷を隠すためにどんどん賢くなります。
見えないように腕や脚にする人も。
結局行動をどうにかするのではなく,感情を取り扱わなければ回復しにくいということではないでしょうか。なぜ切りたくなるのか?どういう感情が今あなたの中にあるのか?どんな感情に苦しんでいるのか?などを安全な場で話すことが大事。脳内麻薬が痛みを鈍らせ,離人体験させてくれることで助かっている部分もあるのでしょうねきっと。リストカットはその中で唯一助けを求め反応してくれたものだったのかもしれません。だからこそ切る選択肢は残しておくべきだと私は感じます。切る切らないの綱引きは自傷に対する熱意を高めさせるだけだと覚えておきましょう。感情的に反応する相手には,同じ土俵では戦わないのが支援のコツといえるでしょう。タイトルにもある通り,間違って自死に至ってしまうのがこの病気の怖いところ。つらさの解消に行った行動が,意図せず既遂に至ってしまう・・まさに生きるために自傷が死をたぐりよせているのだと思います。

そんなこと言ったって周りは理解してくれないと思う人も多いかもしれません。なら,助けてくれそうな人の目の前で切ってみるのもひとつの方法かも。だいぶ間違っているかもしれませんが,精一杯伝えてみる行動は大事かも。切ることで相手を巻き込んでしまうリスクも考えないといけませんが,切ると何か変わるかもよ?最後の選択肢としてとっておきましょう♪それもいいんじゃないかなと私は感じます。