今すぐできる過食スイッチを止める4つの工夫

摂食障害の症状の一つである、カショオ(過食嘔吐)についてはこれまでの記事の中でも多く取り上げてきたが、今回は、その過食のスイッチの止め方について迫る。

AERAの摂食障害の記事がチューブ吐きにまで言及!!

 

あなたがカショオ(過食嘔吐)の呪縛から逃げられない理由が実はここには眠っている。太ることが怖い方必見です。

 

過食スイッチを止める4つの工夫

□Twitterやインスタグラムのフォロワーの画像を見ない
□自分の買い込んだ食材を並べて撮らない
□無理なルールを作らない
□食べたい気持ちや止まらないつらさを言語化する

あなたがカショオの呪縛からから解放されるには、まずこの4つ工夫を試すことが回復の第一歩だろう。

~Twitterやインスタグラムの画像を見ない

SNSで同じ問題を抱える仲間とつながることはとても大事なことだ。一人で苦しみながらカショオを続けないためにも、たとえSNSであろうとつながっておくことは大切。

しかし、あなたは、フォロワーの画像を見ることで過食のスイッチが入っていないか?また、画像を見ながら今日、明日なにを次に食べようか考えていないか?

摂食障害者の多くは、食べ続けたい思いとやめなければいけない思いの葛藤を常に抱えている。あなたが開いているその画像は、カショオをより悪化させる引き金になっていないだろうか。無意識のうちに、知らず知らず強力な引き金に近づいていないだろうか。

食材を並べて撮らない

この行為は、一見何をどれほど食べたか記録しているだけのように見える。ひと昔前には、レコーディングダイエットという食事量を記録するダイエットも一時期流行った。

当時は、自ら紙媒体に記録し、そのカロリー計算によって摂取カロリーの整理に用いられたが、今はどうだろうか。スマホによっていとも簡単に画像に収められる。技術が進歩した反面、摂取カロリーに対する意識もアプリを用いることができるため、「考えること」が減ったのではないだろうか。

何を食べたかと記録していたものが、いつの間にかどれだけ食べたかという思考に陥っていないだろうか。

そして、食材を並べることは、過食行為をさらに強化させていることにもつながる。つまりは、過食を止めづらくさせているということ。まさに本人とって食べることを前提に動いている行動と言えよう。

無理なルールを作らない

多くの摂食障害者は、これまで幾度となく自分ルールを設定し、また、その自分ルールを幾度となく破り続けてきた。少しキツイ言い方になるが、摂食障害者のつくるルールには現実検討能力がないということになる。これは馬鹿にしているわけでなく、当事者によって作り出されるルールには、主観が入り込みすぎるため無理な目標設定を作ってしまいがちだ。

過食しないではなく、この時間帯だけ食べない。などのスモールステップを繰り返し、失敗しないルール作りが回復においても最も必要になるだろう。

食べたい気持ちや止まらないつらさを言語化する

まさに摂食障害において、最も重要な課題といえる。彼女らは真面目で我慢強く、弱音を吐かない。言語化することを避ける一方で、行動(症状)として、食べ吐きを繰り返す。つまりカショオの治療には、自分の言葉でつらさを話す必要がある。

しかし、世の中には安全で守られた自分の思いを話し合える場所は極端に少ない。カショオに向かう自分自身を引き止めるためにも、ツラさを言語化することは必須事項になってくるだろう。

もう一度言うが、彼女らは概ね真面目で、人に弱味を見せないからこそ、治療には「頼ること」が必要になってくる。なんとももどかしいことだ。

まとめ

我慢だけではカショオは止まらない。

しかし、多くの摂食障害者は、食欲を我慢できないのは我慢が足りないからだと思っている。摂食障害の依存に関する病識を持っていれば、意志の強さだけに頼っていても回復していかないことを身をもって体感できるだろう。

摂食障害の治療法には、薬物療法と同じくらい心理療法(認知行動療法・対人関係療法・カウンセリング)の有効性が示されている。摂食障害に至るきっかけを見つける作業やカショオに至る感情を言語化させることは摂食障害の治療に欠かせないもののひとつ。

結論を言えば、カショオの治療者はあなた自身だ。

精神科医やカウンセリングがあるから摂食障害が治るわけではない。あなたが自分の問題に向き合い、問題への対処方法を探りながら、治療に向かい続けることが摂食障害の回復期といえる。そのお手伝いとして精神科医やカウンセリングがあるのだと理解しておかなければいつまでたっても回復はしない。

そして、誰かに治療を丸投げするのではなく、治療に対して、また人生に対して主体的に生きようとする力が摂食障害者の治療には不可欠になるだろう。

あなたは、自分の体重や摂食障害に関するとらえ方についてどう感じているかなどを真剣に話したことはありますか?単なる体重が重い・軽いではなく、摂食障害について深く取り扱っている人はきっと少ないだろう。

でも、そんなこと話していったい何になるのか。」そう思う人も多いだろう。

しかし、摂食障害者にとって、今のあなた自身が感じている困り具合に焦点をあてる必要がある。「自分の思いや考えを吐き出してこなかったからこそ、症状として摂食障害があらわれている」ことに気づくことができれば、生き方全体が変わるかもしれない。だからこそ過食嘔吐は一種の自傷だと理解しながら、回復に力を注いで欲しい。




↓↓社会資源↓↓
こころの健康クリニック芝大門https://ipt-clinic.com/
メンタルクリニックエルデhttp://www.mental-erde.com/

あいち熊木クリニックhttps://www.dr-kumaki.net/
淀屋橋心理療法センターhttps://www.yodoyabashift.com/

※当事者でなくとも家族が社会資源につながることで当事者が生きやすくなることもありますので早い段階での受診をおすすめします。※

摂食障害の治療のための予備知識講座(家族編)

前回の記事【誰にもバレない、摂食障害の治し】に引き続き、摂食障害に関する疑問と周りの家族が気をつけておくべき3つのポイントについて取り上げる

◆家族が摂食障害になった時に絶対にやってはいけない3つのこと
過食嘔吐は無闇に止めちゃいけない
過剰に反応してはいけない
診察室に入ってはいけない

過食嘔吐は無闇に止めると悪化するので行動を制限する考えは捨てなければいけない。じゃあそのまま放っておくのかというとそうではない。家族は見守るしかできないことを心にとどめておく必要がある。見守る=放っておくではない。否定するのではなく、寄り添うことが最善策となる。摂食障害の当事者に淡々と寄り添い、手を差し伸べる準備を常にしておく。

過食嘔吐の回数が急激に増えたとしても家族は動じてはいけない。反対に過食嘔吐が急に止まったからといって一喜一憂してもいけない。家族や周囲の人間が相談につながることで本人が回復しやすくなると言われている。「本人のためにと思ってする説教やアドバイスにはほとんど効果がない」重要なのは、摂食障害患者自身の回復のタイミングを見逃さないこと。(ただし拒食に関しては命に関わるケースもあるため早期介入が必要)

③家族は、通院についていくだけで構わない。診察室には本人から「一緒に入ってほしい」と言われた時のみ入るぐらいがちょうどいい。主治医と何を話したかなど詮索する必要はない。摂食障害は単なる食の異常行動の問題ではない。親や身近な人間が摂食障害をコントロールしようとすればするほどコントロールを失う。食を契機とする家族全体の問題が関わっていることも多いため、家族がやるべきこととやってはいけないことを主治医や医療従事者と確認しておいたほうがいい。

まとめ
家族や周囲の人間は、当事者の異常とも言われる行動と向き合うのが怖いのだと思う。自身の無力感に耐え切れず、説教や行動規制をしてしまう家族も少なからず存在する。
重要なのは「家族の愛で病気は治らない」と受け入れることが大切になる。私は、摂食障害の家族の接し方ひとつで状況がガラリと変わったケースも見てきた。
家族が抱えすぎないことと摂食障害の悪循環から離れるためにも、まずは家族が周りに助けを求める経験を積み重ねるといい。
摂食障害の家族会の雰囲気を肌で感じることや、同じ境遇の人たちとの「共感や分かち合い」を家族が体験することに大きな意味がある。
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_eat_sub2.html

 





誰にもバレない、摂食障害の治し方

過食、拒食、過食嘔吐・・・
ひた隠しにして症状が悪化した時には強制入院となることが多い摂食障害の諸問題。

彼ら彼女らは、なぜそこまで食べることに固執し、体重計に映し出される数字にとらわれるのだろうか。

体重を減らした先に一体何があるのだろうか。
そして本当に満たしたかったものとは一体・・・

治療法

 この記事を読んでいる多くの人は、当事者であったり家族や知人に摂食障害の疑いのある人がいるのだろう。
治療法こそまさに一番知りたい部分にちがいない。

当事者と関わった経験のある人なら感じるであろう、彼女らの【とらわれ】には共通するものがある。

ストレスなのか、性格の問題なのか、異常なまでの食行動への固執をそばで見ることはこちらの精神がまいってしまう時すらある。SNSでは、過食するであろう食材をカゴいっぱいに買い込んだり、半額シールが貼られ、綺麗に並べられた食品をいったい我々はどれくらい見てきたことだろうか。当事者たちの苦しみと同時に、周囲の人間の負担もそこには見え隠れする。

また、過食とは逆で、ガリガリに痩せ細った身体の画像を載せ、まだ太っているという当事者のコメントには重篤な精神疾患を感じさせる一種の不気味さも感じられるだろう。しかし、その不気味さと同時に、骨と皮になろうが数字にとらわれ一喜一憂している生きづらさや苦しさが伝わるからこそ私はこの記事を書きたいと思った。摂食障害の問題が、一筋縄ではいかないことと、その根深さが伝わってくる。

単に食費がかさむだけの問題では済ませられない。
以前の記事でも取り上げた↓
AERAの摂食障害の記事がチューブ吐きにまで言及!!
の中でも書いたように、摂食障害特有の問題と回復についてさらに一歩踏み込んでこの記事では取り扱いたい。

治療法には大きく分けて3つが存在する。

①対人関係療法

これは【重要な他者との現在に焦点を当てた心理療法】である。一般の人にとっては、何のことだか理解しにくのも仕方ないであろう。しかし、精神科領域の働いたことのある人であれば聞いたことがある人も多いはずだろう。
摂食障害治療において最も代表的な治療法の一つがこれにあたる。
実際にトラブルがあるかないかは置いておき、個人内にある人間関係において、特定のキーパーソンとなる人との関係を見直すことや、問題の背景にある根深いものとの付き合い方を治療の中に取り込むのがこの短期精神療法の特徴でもある。

摂食障害において、薬物療法は対症療法になりうることが多く、当事者の一時的な現在の苦しさを緩和することはあるものの、治療が長期間にわたるケースが多いのも事実だ。病院や治療につながる倍以上の時間が回復するまでにかかるとも言われる摂食障害は、平均して数年単位の回復過程がこれまで示されてきた。

薬物療法と並行して行われる治療の第一選択として、この対人関係療法が大きな力を発揮する。ただ、摂食障害を専門に取り扱う精神科医は極めて少ないのが現実であり、患者が治療者を選べない問題もはらんでいるといえよう。

②認知行動療法

認知行動療法(Cognitive behavioral therapy:CBT)は,ここ15年ほどでよく耳にするようになった治療法のひとつだ。
認知という各々が持っている考え方、捉え方の【クセ】に焦点を当てながら、ストレスへの対処法だけでなく自分の捉え方や枠組みの見直しをする精神療法(心理療法)の一種だ。

元々はうつ病患者に対する治療を契機に、精神科だけにとどまらず幅広い分野での応用がなされてきた認知行動療法は、不安や抑うつなどの様々な症状に対してその認知の捉え方を再学習していく作業を繰り返していく。その中で誤った認知などには別の捉え方を模索したりするなど、現実的で具体的な対策を治療者と一緒に構築していく。

摂食障害だけでなく、不安障害を始め、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や統合失調症などへの精神疾患に効果があることが実証されてきている。
摂食障害では、特に自身のボディーイメージに関する認知だけでなく、他者との関わりの中で発生する誤った認知にも焦点づけながら、回復について対処法を考える作業を繰り返す。
あなたの中にある「べき思考」や「どうせ自分なんか」、「見捨てられ不安」、「とらわれ」を治療者と共に取り扱うのがこの治療の関わりとも言える。
例えば、「なぜそこまで食べたい気持ちが膨らむのか」、「満腹になることで得られるものとは」など、考え方の【クセ】にアクセスしながら回復を構築していく。

③ミーティングを通して感じられる共感とエンパワメント

回復に必要なものは自分自身の治療への取り組みとミーティングへの参加と言っても過言ではない。
それほどまでに問題を【共感】することは治療に大きな意味をもたらす。
話すことで癒される人もいれば、聴くことで共感を得られる人もいる。自分自身が回復し、回復モデルになっていくことで周りの摂食障害者にも力を与えてあげられる、それこそが役割(エンパワメント)になるのだと感じる。

ただし、摂食障害や依存問題を抱える人たちの中にも安全な枠を守りきれない人は少なからず存在する。精神科などでは主治医をはじめとした医療従事者(コ・メディカル)がチームとなり枠組みをつくっていく。だからこそ安全な枠組みの中で治療が進む。自助グループなどのミーティングには、メリットとデメリットが存在し「枠がブレてしまう」恐れがあることも理解しておかねばならない。

しかし、それを踏まえてもミーティングに参加することには意味がある。
なぜなら、世の中の摂食障害者に対する病識は極端に低く、「食欲をコントロールできないだけ」、「意志が弱い」、「別に細いんだからいいじゃん」などと心無い言葉を投げかけるだけ投げかけてくる。まさに二次被害といえよう。

だからこそ、治療には【同じ問題を抱えた仲間】が必要になってくる。そういった意味でSNSなどの摂食障害者同士のつながりはとても必要な関係性だと思う。枠がブレる問題をはらんでいるため専門家などが介入すればもっと良いと思うが、自らの力で摂食障害に立ち向かう彼女らは頭が下がる。

まとめ

タイトルにもあるとおり「誰にもバレない、摂食障害の治し方」には少しカラクリがある。それは【ちゃんとした専門家を頼ること】が一番の近道なのかもしれない。

専門家を頼ることや身を委ねることは大事である一方で、依存先が摂食障害(食べ物)から人になるだけでは根本的な解決はできないのではないかとよく感じる。
摂食障害に関する知識がなく、安易に治そうとする当事者たちは、相手が全てを解決してくれるという幻想を持っている人が多いのではないかと感じる。(私見)

頼ることは大切であるが、治療する主体は自分にあることを忘れないことも大切であり、また、回復していった彼女らはそのバランスを心得ていた人たちが多かった。

 

次回以降の目次
◆摂食障害の家族を持つ家族が絶対にしちゃいけないこと
◆なぜ過食嘔吐は止めちゃいけないのか?
◆実は、家族が手放さなきゃいけないことがある




AERAの摂食障害の記事がチューブ吐きにまで言及!!

AERAがチューブ吐きに言及!!

先日AERA dotに「管を喉から胃まで突っ込む”チューブ吐き”摂食障害「痩せ姫」たちの危険な夏」と題して記事が出された。

https://dot.asahi.com/dot/2019080800063.html

某有名女優の激ヤセや有名歌手などの背景にあったと推測される「摂食障害」に迫った記事である。

私も以前このサイトで、カショオ(過食嘔吐を繰り返す)女子について書いたとおり、摂食障害の根っこにフォーカスを当てながら、その危険性とどうしてもやめられない葛藤が記事にも描かれていた。

https://yuruiizonshou.net/post-300/

何よりAERAの記事には、チューブ吐きに関することに言及されていたことに大きな衝撃を受けた。

Q,そもそもチューブ吐きってなに?
A,口からホースを突っ込んで胃の中の内容物を排出する行為です。

摂食障害に関して理解が乏しい人にとっては衝撃的な答えだろう。私自身も摂食障害者と関わる中で、チューブ吐きを自発的に答えてくれた患者さんは過去に10人もいなかったと思う。

過食嘔吐(カショオ)の人は、指を突っ込んで吐く割合が多い

ただ、それだと指に吐きダコができてしまう。
※吐きダコとは、指を入れて吐く際に手の甲に傷ができてしまい、繰り返すことによってタコになる状態。やせ細ったモデルさんの手の甲には、タコができている人も見かけられる。(テレビでついチェックしてしまう自分はもう職業病か?)

つまり、指吐きによる嘔吐は、周りに知られてしまうリスクをはらんでいる。また、胃液や胃酸が食道を通るため、喉が炎症を起こしたり顔がむくんでしまったり、ニオイが気になってしまう。さらには、歯のエナメル質が胃酸によって溶かされた結果、歯がボロボロになってしまうリスク、そして何よりも、吐いていることを他者に知られてしまうリスクがある。

吐きダコが残るリスクを避けるためか、指吐き以外にも腹筋を使って吐く方法などもある。チューブ吐きや濯ぎなど、普段聴き慣れない言葉が掲示板やTwitter上でよく飛び交っているのを見かける。

摂食障害に悩む当事者の中には、どんな手法を使ってでも吐かなければいけない強迫的な思いに囚われている人も多い。

過食嘔吐がバレない為に考えられたのがチューブ吐き

チューブといっても医療用ではない。ホームセンターなどで長さの量り売りしているようなシリコン製のホースだったりがソレに使われる。

客観的にホースを咥えている絵を想像すると滑稽だろうが、当事者はその中で苦しんでいるのも事実だろう。喉の内壁を傷付けないように慎重にチューブを突っ込み、ソレを胃まで差し込むのだ。ソレで喉を傷付けないように角を取ったり(面取り)、吐いた後は洗面器等に漂白剤を入れ、つけ込む。掃除が行き届かないホース内部を清潔?に保とうとしている人も過去にいた。

チューブ吐きとは、胃瘻(いろう)とは真逆な発想をもとに、摂食障害を抱える当事者たちが生きるために考え出したもものなのかも知れない。


※この記事を読んだ人はここもチェックしてほしい※


この記事を書く際に、具体的なところまで描くと同時に、リスクも必ず伝えておかなければと思った。ぜひ、ここもチェックして欲しい。
◆摂食障害の予後
◆摂食障害と骨粗鬆症
◆自殺率
◆依存という病気

多くの要因があって吐くことを余儀なくされている当事者に吐くのをやめなさいなどという気は私には毛頭ない。「きっと生きていくためには吐かざるを得ない理由があるのだと思う。

ただ、一人で抱えることは避けたほうがいい。SNSなどを活用しながらチューブ吐きについての知識を得たり、リスクや効果、予後などを調べることをおすすめする。私の記事よりも当事者たちの生の声の方がよっぽど重みがあったり、心に響くだろう。

また、摂食障害は立派な病気だということを認めるところから始めてもいい。淡々と一人で苦しみながら過食嘔吐(カショオ)を繰り返したりするのではなく、いいことも悪いことも話せる場がこの病気にも必要だと思う。それはこのサイトの大きなテーマでもある「依存症」に大きく関わってくる。

本音を言えば摂食障害などの自助グループに足を運び、その苦しさを話し合えばいいと思う。しかし、SNSがこれほどまでに広がった中では、まずSNSを活用するべきだと私個人は感じる。チューブ吐きに関するより具体的な方法はあえて記載しないのでぜひ自分で調べてみるといい。

「摂食障害の偏見が広がってしまう」
「当事者じゃないなら黙ってて」
「娘が変な知識を覚えて真似したらどうするんだ!」
などの不安に駆られた周囲の人間から心ないコメントをよくいただく。これこそが、摂食障害者が抱えている生きづらさそのものなのだろうと感じさせられる。

批判する人の「寝る子を起こすな」に対しては、「あなたが寝ているのだ」と反論したい。摂食障害、過食嘔吐(カショオ)で苦しんでいる人たちは確実にいるのだから。

とにもかくにも、チューブ吐きの記事をきっかけにいろいろつながってみることをおすすめする。

結果、吐いたとしてもそれはそれでかまわない。
今日一日だけ頑張ることを積み重ねていけば解決の糸口は見えてくるかもしれない。
↓厚生労働省みんなのメンタルヘルス摂食障害↓
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_eat.html




カショオ女子 ~摂食障害にみられる関係依存の問題

カショオ ~やめられない止まらない


聞きなれない言葉でしょ?
私も最初そう思いました。
ん?一体なんの略だろう?
そうです。

過食嘔吐略です。つまりはそう、摂食障害。
ご飯を食べれるだけ食べ、詰め込み、限界をむかえると嘔吐し、全てをなかったことにする。なんて卑怯なやつらだ。まるで食べたことをリセットするかのように、彼ら彼女ら(女性が圧倒的に多い病気なので以下彼女ら)はその行為を繰り返す。
いやっ、「もしかして彼女らもまた、どこかで苦しんでいるのではないか」と感じ、摂食障害についてのお話を前回よりも詳しくこの記事では取り上げる。

そもそも摂食障害ってなに?

主に神経性やせ症神経性過食症及び過食性障害に分類される。
ここで話すのは後者である。
通称カショオは字の通り過食とそれに続く自己誘発性嘔吐や下剤などの乱用がみられ、排出行動が伴うことが主な症状といえる。自身のボディーイメージに過剰に反応したり、自分は太っているなどと誤った「認知」の仕方に囚われ、苦しんでいる。体重増加に対して恐怖心を抱えており、食事制限や過剰とも言われる摂取カロリーへの執着などがある。食べることへの罪悪感や数字(体重)へのこだわりによって生きること自体が困難な状態になっている。

過剰とも言える人間関係


よくツイッターで摂食障害の人に絡みに行くのですが,敵意はないのに質問や指摘がきついのか、ブロックされる時がある。
「きっとなにか相手に突き刺さったのかな」と思いながら性格の悪さがこれ以上露呈してしまわないようにさっと引くのですが、摂食障害の方には少し人間関係において特徴が見られると感じた。

カショオをする人たちの特徴のひとつに、人間関係に対する異常な期待や依存と受け止めてくれない相手に対する攻撃性をよく感じる。

つまりは、自分を受容してくれる相手に対しては、無条件とも言えるほど受け入れる心があるにも関わらず、反論や注意、リスクなどを伝えてくる都合の悪い相手には敵意が向きやすくなっているのではないかということ。

Twitterなどでよく見かけるのは、一旦仲間になってしまえば、距離感0になってしまうところ。
相手を受け入れすぎるというか、自分の生い立ちや境遇、さらには家庭問題等がシェアされ、出会って僅かで濃密な関係が形成される。それは共感や共有といったものを少し越えたものになっているように感じた。

もちろん周囲の理解が乏しい病気であるため、理解してくれる相手が現れること自体は当事者にとってとても嬉しいことだろう。しかし、過剰な仲間意識と排他的な関わりは、まさに過食嘔吐そのものだとも感じる。現在統計的な仮説は少ないものの、その特徴を感じさせるやり取りがTwitter上でよく見受けられる

彼女らは基本的に誰の意見も受け止める気がない


まさにこのような感想が適切かと感じる。彼女らは聞く耳を持たないことが多く、ツイッターという本来一方向のSNSを利用しながら、自己洞察と自己肯定感を埋める作業を行っている様子が見て取れた。多くの食材の画像を写真に収め、それを理解してくれる相手を探し求め、食欲と同時に仲間や共感を求め歩いているようにすら感じる。
そして満たされたものを嘔吐によって流してしまう
とてつもなく不合理で、どうしようもなく、傍から見ていると虚しく感じる。
しかし、同時に彼女らはカショオがあるからこそ生きていられる
このような行為が理不尽で止めたほうがいいことなのだと感じながらも、きっと苦しんでいる人が大半だ。

そこに葛藤が見えるからこそ私はTwitterで声をかけてしまうのかもしれない。
一見無駄な行為を繰り返していると思いながらも何かを得ようと必死にもがいている姿はとても魅力的ですらある。ちょっとのズレにより、多くのカショオたちが苦しみから解放される対処法を間違えてきたのかもしれない。

世の中の女性の評価基準が曖昧な中で、数字で表される体重の問題は女性を評価する簡単な基準になっているのかもしれない。BMIなどの遥か下にいるにも関わらず、何と戦おうと必死になっているのか本当は詳しく知りたい。

摂食障害の予後は悪く、3、40代で骨粗鬆症になることも心身医学会で発表されていた。また、そういった行為に依存する背景には、多くの関係依存や人間関係の問題が眠っていると私は思う。不合理な行動は時として命をもおびやかす行為につながる。その糸が切れる前に少しでも多くのカショオと細く長くつながっておきたいと切に感じる。

 




摂食障害~生き延びるために食べる人たち

摂食障害について語ろうかと。
女性ならではのとても厄介な病気・・・いやっ,もう女性だからという問題じゃなくなってますよね実際。数は比較的少ないが,男性であっても関係してくるお話です。三大欲求のひとつ食べるという行為について困っている人たちのこと。わたしの知る上で,発症年齢は小学生でも稀にありますね。相対的に女性が多いのは確かで,思春期に発症しやすい。ダイエットという範囲を越えて食に対する執着というか,依存というかコントロールを失っている状態が続いてしまう。
周りが気にするようなことでもない体型や体重の微々たる変化に捉われ,生活全体が食べることに執着してしまっている状態ですね。

とある有名な施設長の言葉を借りて少し言い換えていうならば,目の前の数字に固執し,没頭することで本来の人生に向き合うことから逃げている。逃げることが悪いことではないですが,この方が言っているのは,彼ら彼女たちはどうやって生きていったらいいかわからなくなっているのではないかということ。
不合理な目的でも目の前の体重計に示された数字が事実であり,予定外のことが起こる恐怖に比べたらマシだということなのでしょう。もちろん神経性やせ症や過食症の特徴によって取られる行動は違うかもしれないが,根っこには共通する不安や恐怖感が潜んでいるのではないかと感じますね。

愛情不足で育ったうんぬんを語る人もいますが,そこを取り扱うとほんと治療に莫大な時間とお金がかかってきます。もちろんそれが根本解決だという人にはその選択肢があっても全然よいと思う。
ただ,私の体感として,問題志向になっていては解決に向かういいものが見つかりにくいことも多いのではないでしょうか。変えられるかもしれない未来を取り扱う方が変えられる可能性があるということ。ただ,摂食障害の人はその未来を見るということ自体がが苦手なのかもしれません。
ストイックで数字に縛られ囚われながら生きていることは,きっと生きにくさを感じていることでしょう。
数字の増減で一喜一憂し,食行動の異常さに嫌悪感を抱き,さらに周りの理解も得られない中では,生きているだけでもすごいことだと思うのですよ。
まさにこれも自傷行為のひとつ。
これがあるからこそ生きていられるのだと考えると,食行動の異常にも意味があり.無理に止めてはいけないものであることもわかると思います。
身近に摂食障害の人がいるとそんなこと言ってられないかもしれないのが実際のところ。しかし,自分の心の安定のために相手を変えさせることはおかしいですよね。この感覚はとても重要ですね。
つまり相手を本当に助けるためには,その人自身に力をつけてもらう必要があるということ。この心配のすれ違いはSNS上でも多く見られる気がします。こういう転移や逆転移の感情に巻き込まれると,後は関係が崩れていくばかり。 (興味のある人は精神分析の本でも読んでみるといいですよ。とてもいい睡眠導入剤になりますから笑)

同じ悩みを持つ仲間同士が語り合うことのメリットと巻き込まれることは本当に紙一重だと感じます。同じ共通の話題で盛り上がれることで相手を全てわかったような気にならないことが重要。その一面を何度も重ねていく上で,少しだけ相手を理解できるのかもしれません。私がSNS上で時たま意識してキツいことをリプライで送るのは,「この人はどのように返すのだろうか。この言葉だけで私を判断するような人なのか。」などスクリーニングにかけているのかもしれません。(自分の性格の悪さにうんざりします・・・)
だからこそ,ちゃんと受け取ってくれる相手には私なりの真剣さでツイッターで絡みにいったりするのだと思います。摂食障害について書いていると,同系列にある自傷行為についても語りたくなってきました。次回以降の話のネタについてまとめておこうと思いまうす。それではまた。