対人関係の「幻滅」を作り出しているのはだれか

あまり期待しないほうがいい

記事の中でも何度も出てくるこの言葉。
相手に期待しすぎるからこそ、理想は粉々に崩れてしまう傾向が強い。
みんなとにかく期待しすぎなのです。

でも、人っていろんな「憧れ」や「期待」を持っていますよね。
なりたい職業や夢!
最高級の○○を手に入れてたい!
○○と付き合いたい!
理想の家族!
年収○○○○万円!
こういった理想化の影には「幻滅」が常に付きまといます。

また、身近な友人、親などのに対する「イメージ」にも注意が必要と言えます。都合の良い理想化を相手に求めてしまうと失敗しやすいことは、このサイトをみているあなたなら十分すぎるほど分かっているはず。(ただし、私のサイトに来るような人の家庭環境は、まともではない人たちの方が多い気がするが(OvO;))

https://yuruiizonshou.net/addition4/

私の苦しみを全てまるっと包み込んでくれる相手」なんて、そうそういないのです。つまりは完璧を追求しすぎるからこそ失敗する。

人は短い時間に体験した経験こそ高く見積もる傾向がある」だからこそ注意した方がいい。パートナーとの時間を期待以上のものにしていないか。急激に仲良くなる友人関係においても、嬉しい感情に取り込まれ価値を高めすぎていないか。

いつメン」「ズッ友
コレらの言葉には必要以上のバイアスがかかっている。
憧れや一体感には注意した方がいい。
何もかもよく見えてしまう。

じっくり大切に関係性を育て上げていくことができれば「いつメン」、「ズッ友」などと言わなくても自分の中の価値観は変わらない。だからこそ「幻滅」は自分が作り出しているものなのだと思う。

https://cocoromi-cl.jp/knowledge/other/psychological-therapy/ipt/

「重要な他者」に焦点を当てながら治療に取り組む対人関係療法などでは、この価値観を見直す作業も含まれる。

注意しておきたいことは、自分の考えを治す(矯正)わけではない。
対人関係の問題を見直す機会を設定し、「重要な他者」との適切な距離感を訓練によって見出すことにある。

「いつメン」、「ズッ友」のラベリングを剥がし、普段扱わないであろう感情に焦点を当てていく。つまりは、メンテナンスすることこそ「幻滅」から離れる方策といえる。



摂食障害者の理想化と価値下げ

過度な期待はしないほうがいい。

何度も説明したが、彼女らは期待してしまう。
そして、相手を理想化し、それが叶わなければ価値下げしてしまうのが摂食障害者さんの特徴でもある。

もちろん、そうでない人は山ほどいるだろう。
しかし、私が関わってきた摂食障害者の多くは、この問題を抱える人が多かったように思う。

期待しすぎるから理想は粉々に崩れてしまうわけだが、彼女らは人一倍相手を理想化してしまう傾向がある。
病気を理解してくれる家族!
まるっと全て包んでくれる理想の彼氏!
自分の都合のいいように対応してくれる主治医!
こういった理想化の影には「幻滅」が常に付きまといます。

気をつけて〜

特に摂食障害者が気をつけておかなければいけないことは、「理想化」と「価値下げ」の悪循環。

ケース1

「彼氏は私の摂食障害のことをすごい理解してくれる」
「過食嘔吐(カショオ)だって理解してくれる」
「一緒に病気を克服しようと言ってくれた」

これらの考えは極めて危ない。
彼氏や身近なパートナーへの期待も摂食障害を抱える当事者が陥りやすい理想化の典型的なパターンだろう。女性はどこかで今の状況を一瞬で変えてくれる存在を求めているということを大前提に考えるとこの構図がよくわかってくる。
だからこそ相手を過度に理想化してしまうことはリスクなのかもしれない。本人にとって都合の良い支えは、理想化との結びつきが強いといえる。

「私の苦しみをまるっと全て包み込んでくれる存在」いつも期待しちゃう・・・わかるわ〜

 

ケース2

「家族が摂食障害を理解してくれた。カショオも認めてくれた。」
「主治医最高!看護師さん最高!」

これらの考えも極めて危ない。
実は、家族に対する期待もしないほうがいい。なぜかというと、家族は病気を理解しているようで理解していないことが多い。一旦は、あなたが心配でカショオを認めてくれたとしても、医療従事者でない限り家族は非常に脆い部分がある。あなたが変化しない状況にイライラし、耐えられなくなることだってある。

最初は受容的に関わってくれていた家族が、変わらない現状に耐えきれなくなり当事者を攻撃してくる事はよくある事例だ。

だからこそ家族に期待するのではなく、安定的に関わってくれる医療に最低限つながった方が回復の道筋は見えてくる。ただし、医療関係者ですら摂食障害に関する知識を十分持っていない人も多いことも心に留めておいた方がいい。

まとめ

摂食障害者の「理想化」と「価値下げ」は常に表裏一体で存在し続けている。もちろん彼女らが苦しんでいる事は事実だろう。理解してくれる彼氏や家族に助けを求める事は重要な関わりだと思う。

しかし、摂食障害者特有ではないにしろ、価値下げ行為は精神科の治療過程ではよく見かける事だ。彼女らは、失敗した補償をどこかに求めやすい。それが身近な人間関係に投影されることもよくある事で、治療では対人関係療法などを通してじっくり回復過程を考えていく。

「じっくり、ゆっくり」これもまた摂食障害患者が苦手な部分の一つ。

https://yuruiizonshou.net/chiryou3/




躁うつ病のサインを見逃すな!双極性障害の治療と実際

「人をまくしたて、自分が決定したことになんら確信が持てずともそれを曲げず、罵倒したと思えば自分のペースで仲直りしたと勘違いし、関係を築いては自ら破壊し、いったいあの人は何がしたかったのだろうか。いつも何かに追われているようで、止まることに恐怖すら感じている様子だった。」

隔離室の強化ガラスを挟んで、私と双極性障害(以下躁うつ病)者との出会いはそんな感じから始まりました。当時の私が感じた病気と回復についてのお話。

そもそも躁うつ病って

気分・感情が高まったり、逆に気分がズンと沈んだりと感情の振れ幅が大きく、躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気のこと。

特に激しい双極性を持つのがI型で、周りから見ても一目瞭然に活動的になる。誰かれかまわず話しかけたり、元気すぎるという理由では納まりがつかないぐらいの病的な状態がそれにあたる。睡眠時間を惜しんで何かに没頭したり、ひとつのこだわりに固執し、金銭感覚が狂う人もなかにはいる。

周りの意見など聞く耳を持たなくなり、仕事などもその場の気分・感情で辞めることだってある。躁うつ病を病気と捉えられず、自分の性格の問題と決めつけたりするなど、多くの物事に対して視野狭窄している状態。

 

双極性II型は、軽い躁状態とも言われ、数週間〜数ヶ月をひとつの流れとして、躁とうつが波のように訪れる状態の人も多い。うつ病的な気持ちの揺れ動きも主な症状の一つであり、何もしたくない軽いゆううつな気分から、布団から立ち上がれないほどの気持ちの落ち込みや、食欲低下、興味関心がなくなることも症状のひとつだ。I型に比べて、躁のエピソードよりもうつ感情が強く出る人も多く、どちらの精神疾患も中学生から中年期まで幅広い年齢で発症する病気といえる。

強化ガラス越しのあの人は・・・

怒りの感情はきっと誰に向けてでもよかったのだと思う。誰よりも偉くなったような口振りで話すあの人は、こちらを攻撃することで自分を保ち、抑えていたのかもしれない。きっと何度も再発を繰り返す中で、多くのものを失ったり壊したりしてきたのだろう。治療につながり回復に向かおうとしているあの人に、当時の私はネガティブな感情しか向けられなかった。

自己中心的に振る舞い、人を罵倒し、話題を奪い、多弁でこちらの思いなど受け止める気もなかったその人を外来の待合室で一度見かけた。

頭を伏せ、一度も顔をあげる事もなく、家族に手を引かれて歩いていたあの人の姿に、強化ガラス越しにみた面影は一つもなかった。

あの人の躁状態はきっと病気がそうさせていたのだろうと思えた瞬間だった。
思いつきで自傷行為や自殺企図を何度も繰り返していたのもきっと病気がそうさせていたに違いない。

躁うつ病の治療とは

躁うつ病は再発しやすい病気だといえる。
寛解(病気の状態がほぼ消失し、コントロールできている状態)に至るまでには長期的な治療が必要になるし、そもそも
正確な診断を受けるまでに数年以上かかる精神疾患ともいえる。

早期発見が重要な課題になると同時に、家族の協力をいかに治療につなげるかが鍵でもある。しかし、躁うつ病患者の中には、すでに家庭関係が壊れている人たちや自ら家族との縁を切っていった人も多く、家族以外のパートナーなどの協力者がその役割を担っている部分もある。

また、躁うつ病の治療には、薬物療法や精神療法が選択されやすい。
適切な治療を継続していけば、症状をある程度抑えて普通の生活もできる。一人で回復していくことには限界があるのも事実で、治療には大切なポイントが3つある。
病識を持つこと(病気に関する理解を深めること)
治療に参加し続けること
躁うつのサインに気づくこと

病識を持つこと
病識を持つことは、どの精神疾患においても大切なことである。
しかし、誰しも「あなたは病気です」と言われていい気持ちにはなれない。とはいえ、躁うつ病は、本人が自覚しにくい病気でもあり、「行動化」が顕著で、逆に言えば周りから見ると発見しやすい病気ともいえる。当事者は精神疾患の再発に気付きにくく、周囲からの声かけが回復へ足掛かりとなる。

治療に参加し続けること
躁うつ病患者の中には、自己判断で通院をやめてしまう人もいる。うつ期に入れば「行動化」は治ることから、治療につながる人も多い。躁状態の期間は、ブレーキが壊れた車のように、壁に激突するまで止まれないほどの強引さを兼ね備えている。自己判断で処方薬を止めたり、勝手に調整したりしないためにも治療への参加が回復には必要になる。

躁うつのサインに気付くこと
活動的になり、夜も寝ないで平気な状態になる。異常なまでに話し続けたり、思いつきのアイデアを誇大化させ、根拠のない自信に満ち溢れたり、性的に奔放になる人もいるようだ。要するに、躁うつ病は「行動化」しやすい病気でもある。特に躁状態に入る前には、個別の特徴的な行動が出てきやすいようで、主治医やケースワーカーなどとも症状をまとめておくと良い。

まとめ

躁うつ病は、何より医師による診断が大切だと個人的に感じる。
高まりすぎた感情に対しては、抑制的な薬物療法を用いることだってあるだろう。反対に、落ちすぎたうつ感情には、精神活動を活性化させるような対症療法が精神科にはある。

注意しておかなければいけないことは、うつ病に用いられる抗うつ薬を躁状態の患者に投与すると「さらなる躁を引き起こしてしまう」ような悪い結果にならないように診断と主治医の考えを理解しておく必要がる。

だからこそ、主治医との定期的な診察は、回復において大きなウエイトがおかれる。再発の兆候を見逃さないためにも早めの精神科への受診を勧めたい。

躁うつ病のサインを見逃すな!双極性障害の治療と実際。




自分を成長させる【恥】体験を語ることの意味

【恥】感情との付き合い方

「旅の恥はかき捨て」という言葉があるが、あれは恥をかいても大丈夫だと言ってるわけではなく、旅を理由に本来出せない願望を「言い訳のできるもの」にしてしまう大人の汚さだと感じる。

本当にしたいことであれば素面(しらふ)ですればいい。

 

ただ、恥をかきたくないというその思いはどこか共感できるものがある。誰しも失敗なんてしたくないし、できることなら人前で恥はかきたくないもの。だからそこ「恥」という感情はとても扱いづらい感情でもある。特に人の目ばかり気にしている日本人ならなおさらだろう。

 

逆に考えれば「恥」の感情をコントロールできさえすれば、多くの人は自分を自由に表現したり他者の目ばかり気にして生活しなくてすむ。そう考えると「恥」の感情はあなた自身で取り扱えるものにしておいたほうがいい生き方ができるのではないか。

秘密にひっそりと

「こんなこと誰にも言えない」
「本当の自分なんて誰も受け入れてくれない」
「こんなのはきっと自分だけだ」など恥につながる心のセリフを私たちはよく頭の中で考える。

 

結論を言えば
【人間関係で発生する感情は、人間関係の中でしか癒されない。】


つまり「恥」の感情は、適切に、また安全に出せる場が必要であるということ。受け入れられたり、共感してもらったり、否定されないということだけでも大きな意味を持つ。

依存症者の多くは、過去に壮絶な「恥」体験を繰り返してきていることが往々にしてある。それらを適切に表現できる場は、世間にはほとんどないと言っても過言ではない。

あるとすればカウンセリングや自助グループぐらいだろう。しかし、多くの依存症者はこの自助グループにつながるまでに多大な時間を費やしてしまう。

以前自助グループの記事でもかいた
オープン・スピーカーズ・ミーティング のように、助けを求めることが苦手だからこそ依存の問題は複雑化する。その人の捉え方や問題の大きさにもよるが、つながるまで数十年かかる人もいるぐらいだ。それほど「恥」体験を話すことはハードルが高い。

「恥」を受け入れられるものにするためには、もちろん時間がかかる。当事者が「恥」をどのように捉え、どう解消していくかが課題となり、あなたの問題は○○だから軽症だと一概に決め付けることはできない。

自助グループなどのミーティングの役割や効果は、まさにこの点に尽きるだろう。誰にも話せない本音、それを黙って聞いてくれる環境が自助グループには存在し、またこれまでも存在し続けてきた。

」と表現していくのか、自分が歩んできた轍(わだち)と捉えるのか、決めるのは自分自身であり、決して経験はなかったことにはできない。話すこと、吐き出すことこそ回復には必要であり、自助グループなどにつながってぜひ安全に話せる場を確保していってほしいと感じる。それこそ【恥】体験を語ることの意味だと思う。