誰にもバレない、摂食障害の治し方

過食、拒食、過食嘔吐・・・
ひた隠しにして症状が悪化した時には強制入院となることが多い摂食障害の諸問題。

彼ら彼女らは、なぜそこまで食べることに固執し、体重計に映し出される数字にとらわれるのだろうか。

体重を減らした先に一体何があるのだろうか。
そして本当に満たしたかったものとは一体・・・

治療法

 この記事を読んでいる多くの人は、当事者であったり家族や知人に摂食障害の疑いのある人がいるのだろう。
治療法こそまさに一番知りたい部分にちがいない。

当事者と関わった経験のある人なら感じるであろう、彼女らの【とらわれ】には共通するものがある。

ストレスなのか、性格の問題なのか、異常なまでの食行動への固執をそばで見ることはこちらの精神がまいってしまう時すらある。SNSでは、過食するであろう食材をカゴいっぱいに買い込んだり、半額シールが貼られ、綺麗に並べられた食品をいったい我々はどれくらい見てきたことだろうか。当事者たちの苦しみと同時に、周囲の人間の負担もそこには見え隠れする。

また、過食とは逆で、ガリガリに痩せ細った身体の画像を載せ、まだ太っているという当事者のコメントには重篤な精神疾患を感じさせる一種の不気味さも感じられるだろう。しかし、その不気味さと同時に、骨と皮になろうが数字にとらわれ一喜一憂している生きづらさや苦しさが伝わるからこそ私はこの記事を書きたいと思った。摂食障害の問題が、一筋縄ではいかないことと、その根深さが伝わってくる。

単に食費がかさむだけの問題では済ませられない。
以前の記事でも取り上げた↓
AERAの摂食障害の記事がチューブ吐きにまで言及!!
の中でも書いたように、摂食障害特有の問題と回復についてさらに一歩踏み込んでこの記事では取り扱いたい。

治療法には大きく分けて3つが存在する。

①対人関係療法

これは【重要な他者との現在に焦点を当てた心理療法】である。一般の人にとっては、何のことだか理解しにくのも仕方ないであろう。しかし、精神科領域の働いたことのある人であれば聞いたことがある人も多いはずだろう。
摂食障害治療において最も代表的な治療法の一つがこれにあたる。
実際にトラブルがあるかないかは置いておき、個人内にある人間関係において、特定のキーパーソンとなる人との関係を見直すことや、問題の背景にある根深いものとの付き合い方を治療の中に取り込むのがこの短期精神療法の特徴でもある。

摂食障害において、薬物療法は対症療法になりうることが多く、当事者の一時的な現在の苦しさを緩和することはあるものの、治療が長期間にわたるケースが多いのも事実だ。病院や治療につながる倍以上の時間が回復するまでにかかるとも言われる摂食障害は、平均して数年単位の回復過程がこれまで示されてきた。

薬物療法と並行して行われる治療の第一選択として、この対人関係療法が大きな力を発揮する。ただ、摂食障害を専門に取り扱う精神科医は極めて少ないのが現実であり、患者が治療者を選べない問題もはらんでいるといえよう。

②認知行動療法

認知行動療法(Cognitive behavioral therapy:CBT)は,ここ15年ほどでよく耳にするようになった治療法のひとつだ。
認知という各々が持っている考え方、捉え方の【クセ】に焦点を当てながら、ストレスへの対処法だけでなく自分の捉え方や枠組みの見直しをする精神療法(心理療法)の一種だ。

元々はうつ病患者に対する治療を契機に、精神科だけにとどまらず幅広い分野での応用がなされてきた認知行動療法は、不安や抑うつなどの様々な症状に対してその認知の捉え方を再学習していく作業を繰り返していく。その中で誤った認知などには別の捉え方を模索したりするなど、現実的で具体的な対策を治療者と一緒に構築していく。

摂食障害だけでなく、不安障害を始め、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や統合失調症などへの精神疾患に効果があることが実証されてきている。
摂食障害では、特に自身のボディーイメージに関する認知だけでなく、他者との関わりの中で発生する誤った認知にも焦点づけながら、回復について対処法を考える作業を繰り返す。
あなたの中にある「べき思考」や「どうせ自分なんか」、「見捨てられ不安」、「とらわれ」を治療者と共に取り扱うのがこの治療の関わりとも言える。
例えば、「なぜそこまで食べたい気持ちが膨らむのか」、「満腹になることで得られるものとは」など、考え方の【クセ】にアクセスしながら回復を構築していく。

③ミーティングを通して感じられる共感とエンパワメント

回復に必要なものは自分自身の治療への取り組みとミーティングへの参加と言っても過言ではない。
それほどまでに問題を【共感】することは治療に大きな意味をもたらす。
話すことで癒される人もいれば、聴くことで共感を得られる人もいる。自分自身が回復し、回復モデルになっていくことで周りの摂食障害者にも力を与えてあげられる、それこそが役割(エンパワメント)になるのだと感じる。

ただし、摂食障害や依存問題を抱える人たちの中にも安全な枠を守りきれない人は少なからず存在する。精神科などでは主治医をはじめとした医療従事者(コ・メディカル)がチームとなり枠組みをつくっていく。だからこそ安全な枠組みの中で治療が進む。自助グループなどのミーティングには、メリットとデメリットが存在し「枠がブレてしまう」恐れがあることも理解しておかねばならない。

しかし、それを踏まえてもミーティングに参加することには意味がある。
なぜなら、世の中の摂食障害者に対する病識は極端に低く、「食欲をコントロールできないだけ」、「意志が弱い」、「別に細いんだからいいじゃん」などと心無い言葉を投げかけるだけ投げかけてくる。まさに二次被害といえよう。

だからこそ、治療には【同じ問題を抱えた仲間】が必要になってくる。そういった意味でSNSなどの摂食障害者同士のつながりはとても必要な関係性だと思う。枠がブレる問題をはらんでいるため専門家などが介入すればもっと良いと思うが、自らの力で摂食障害に立ち向かう彼女らは頭が下がる。

まとめ

タイトルにもあるとおり「誰にもバレない、摂食障害の治し方」には少しカラクリがある。それは【ちゃんとした専門家を頼ること】が一番の近道なのかもしれない。

専門家を頼ることや身を委ねることは大事である一方で、依存先が摂食障害(食べ物)から人になるだけでは根本的な解決はできないのではないかとよく感じる。
摂食障害に関する知識がなく、安易に治そうとする当事者たちは、相手が全てを解決してくれるという幻想を持っている人が多いのではないかと感じる。(私見)

頼ることは大切であるが、治療する主体は自分にあることを忘れないことも大切であり、また、回復していった彼女らはそのバランスを心得ていた人たちが多かった。

 

次回以降の目次
◆摂食障害の家族を持つ家族が絶対にしちゃいけないこと
◆なぜ過食嘔吐は止めちゃいけないのか?
◆実は、家族が手放さなきゃいけないことがある




AERAの摂食障害の記事がチューブ吐きにまで言及!!

AERAがチューブ吐きに言及!!

先日AERA dotに「管を喉から胃まで突っ込む”チューブ吐き”摂食障害「痩せ姫」たちの危険な夏」と題して記事が出された。

https://dot.asahi.com/dot/2019080800063.html

某有名女優の激ヤセや有名歌手などの背景にあったと推測される「摂食障害」に迫った記事である。

私も以前このサイトで、カショオ(過食嘔吐を繰り返す)女子について書いたとおり、摂食障害の根っこにフォーカスを当てながら、その危険性とどうしてもやめられない葛藤が記事にも描かれていた。

https://yuruiizonshou.net/post-300/

何よりAERAの記事には、チューブ吐きに関することに言及されていたことに大きな衝撃を受けた。

Q,そもそもチューブ吐きってなに?
A,口からホースを突っ込んで胃の中の内容物を排出する行為です。

摂食障害に関して理解が乏しい人にとっては衝撃的な答えだろう。私自身も摂食障害者と関わる中で、チューブ吐きを自発的に答えてくれた患者さんは過去に10人もいなかったと思う。

過食嘔吐(カショオ)の人は、指を突っ込んで吐く割合が多い

ただ、それだと指に吐きダコができてしまう。
※吐きダコとは、指を入れて吐く際に手の甲に傷ができてしまい、繰り返すことによってタコになる状態。やせ細ったモデルさんの手の甲には、タコができている人も見かけられる。(テレビでついチェックしてしまう自分はもう職業病か?)

つまり、指吐きによる嘔吐は、周りに知られてしまうリスクをはらんでいる。また、胃液や胃酸が食道を通るため、喉が炎症を起こしたり顔がむくんでしまったり、ニオイが気になってしまう。さらには、歯のエナメル質が胃酸によって溶かされた結果、歯がボロボロになってしまうリスク、そして何よりも、吐いていることを他者に知られてしまうリスクがある。

吐きダコが残るリスクを避けるためか、指吐き以外にも腹筋を使って吐く方法などもある。チューブ吐きや濯ぎなど、普段聴き慣れない言葉が掲示板やTwitter上でよく飛び交っているのを見かける。

摂食障害に悩む当事者の中には、どんな手法を使ってでも吐かなければいけない強迫的な思いに囚われている人も多い。

過食嘔吐がバレない為に考えられたのがチューブ吐き

チューブといっても医療用ではない。ホームセンターなどで長さの量り売りしているようなシリコン製のホースだったりがソレに使われる。

客観的にホースを咥えている絵を想像すると滑稽だろうが、当事者はその中で苦しんでいるのも事実だろう。喉の内壁を傷付けないように慎重にチューブを突っ込み、ソレを胃まで差し込むのだ。ソレで喉を傷付けないように角を取ったり(面取り)、吐いた後は洗面器等に漂白剤を入れ、つけ込む。掃除が行き届かないホース内部を清潔?に保とうとしている人も過去にいた。

チューブ吐きとは、胃瘻(いろう)とは真逆な発想をもとに、摂食障害を抱える当事者たちが生きるために考え出したもものなのかも知れない。


※この記事を読んだ人はここもチェックしてほしい※


この記事を書く際に、具体的なところまで描くと同時に、リスクも必ず伝えておかなければと思った。ぜひ、ここもチェックして欲しい。
◆摂食障害の予後
◆摂食障害と骨粗鬆症
◆自殺率
◆依存という病気

多くの要因があって吐くことを余儀なくされている当事者に吐くのをやめなさいなどという気は私には毛頭ない。「きっと生きていくためには吐かざるを得ない理由があるのだと思う。

ただ、一人で抱えることは避けたほうがいい。SNSなどを活用しながらチューブ吐きについての知識を得たり、リスクや効果、予後などを調べることをおすすめする。私の記事よりも当事者たちの生の声の方がよっぽど重みがあったり、心に響くだろう。

また、摂食障害は立派な病気だということを認めるところから始めてもいい。淡々と一人で苦しみながら過食嘔吐(カショオ)を繰り返したりするのではなく、いいことも悪いことも話せる場がこの病気にも必要だと思う。それはこのサイトの大きなテーマでもある「依存症」に大きく関わってくる。

本音を言えば摂食障害などの自助グループに足を運び、その苦しさを話し合えばいいと思う。しかし、SNSがこれほどまでに広がった中では、まずSNSを活用するべきだと私個人は感じる。チューブ吐きに関するより具体的な方法はあえて記載しないのでぜひ自分で調べてみるといい。

「摂食障害の偏見が広がってしまう」
「当事者じゃないなら黙ってて」
「娘が変な知識を覚えて真似したらどうするんだ!」
などの不安に駆られた周囲の人間から心ないコメントをよくいただく。これこそが、摂食障害者が抱えている生きづらさそのものなのだろうと感じさせられる。

批判する人の「寝る子を起こすな」に対しては、「あなたが寝ているのだ」と反論したい。摂食障害、過食嘔吐(カショオ)で苦しんでいる人たちは確実にいるのだから。

とにもかくにも、チューブ吐きの記事をきっかけにいろいろつながってみることをおすすめする。

結果、吐いたとしてもそれはそれでかまわない。
今日一日だけ頑張ることを積み重ねていけば解決の糸口は見えてくるかもしれない。
↓厚生労働省みんなのメンタルヘルス摂食障害↓
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_eat.html




カショオ女子 ~摂食障害にみられる関係依存の問題

カショオ ~やめられない止まらない


聞きなれない言葉でしょ?
私も最初そう思いました。
ん?一体なんの略だろう?
そうです。

過食嘔吐略です。つまりはそう、摂食障害。
ご飯を食べれるだけ食べ、詰め込み、限界をむかえると嘔吐し、全てをなかったことにする。なんて卑怯なやつらだ。まるで食べたことをリセットするかのように、彼ら彼女ら(女性が圧倒的に多い病気なので以下彼女ら)はその行為を繰り返す。
いやっ、「もしかして彼女らもまた、どこかで苦しんでいるのではないか」と感じ、摂食障害についてのお話を前回よりも詳しくこの記事では取り上げる。

そもそも摂食障害ってなに?

主に神経性やせ症神経性過食症及び過食性障害に分類される。
ここで話すのは後者である。
通称カショオは字の通り過食とそれに続く自己誘発性嘔吐や下剤などの乱用がみられ、排出行動が伴うことが主な症状といえる。自身のボディーイメージに過剰に反応したり、自分は太っているなどと誤った「認知」の仕方に囚われ、苦しんでいる。体重増加に対して恐怖心を抱えており、食事制限や過剰とも言われる摂取カロリーへの執着などがある。食べることへの罪悪感や数字(体重)へのこだわりによって生きること自体が困難な状態になっている。

過剰とも言える人間関係


よくツイッターで摂食障害の人に絡みに行くのですが,敵意はないのに質問や指摘がきついのか、ブロックされる時がある。
「きっとなにか相手に突き刺さったのかな」と思いながら性格の悪さがこれ以上露呈してしまわないようにさっと引くのですが、摂食障害の方には少し人間関係において特徴が見られると感じた。

カショオをする人たちの特徴のひとつに、人間関係に対する異常な期待や依存と受け止めてくれない相手に対する攻撃性をよく感じる。

つまりは、自分を受容してくれる相手に対しては、無条件とも言えるほど受け入れる心があるにも関わらず、反論や注意、リスクなどを伝えてくる都合の悪い相手には敵意が向きやすくなっているのではないかということ。

Twitterなどでよく見かけるのは、一旦仲間になってしまえば、距離感0になってしまうところ。
相手を受け入れすぎるというか、自分の生い立ちや境遇、さらには家庭問題等がシェアされ、出会って僅かで濃密な関係が形成される。それは共感や共有といったものを少し越えたものになっているように感じた。

もちろん周囲の理解が乏しい病気であるため、理解してくれる相手が現れること自体は当事者にとってとても嬉しいことだろう。しかし、過剰な仲間意識と排他的な関わりは、まさに過食嘔吐そのものだとも感じる。現在統計的な仮説は少ないものの、その特徴を感じさせるやり取りがTwitter上でよく見受けられる

彼女らは基本的に誰の意見も受け止める気がない


まさにこのような感想が適切かと感じる。彼女らは聞く耳を持たないことが多く、ツイッターという本来一方向のSNSを利用しながら、自己洞察と自己肯定感を埋める作業を行っている様子が見て取れた。多くの食材の画像を写真に収め、それを理解してくれる相手を探し求め、食欲と同時に仲間や共感を求め歩いているようにすら感じる。
そして満たされたものを嘔吐によって流してしまう
とてつもなく不合理で、どうしようもなく、傍から見ていると虚しく感じる。
しかし、同時に彼女らはカショオがあるからこそ生きていられる
このような行為が理不尽で止めたほうがいいことなのだと感じながらも、きっと苦しんでいる人が大半だ。

そこに葛藤が見えるからこそ私はTwitterで声をかけてしまうのかもしれない。
一見無駄な行為を繰り返していると思いながらも何かを得ようと必死にもがいている姿はとても魅力的ですらある。ちょっとのズレにより、多くのカショオたちが苦しみから解放される対処法を間違えてきたのかもしれない。

世の中の女性の評価基準が曖昧な中で、数字で表される体重の問題は女性を評価する簡単な基準になっているのかもしれない。BMIなどの遥か下にいるにも関わらず、何と戦おうと必死になっているのか本当は詳しく知りたい。

摂食障害の予後は悪く、3、40代で骨粗鬆症になることも心身医学会で発表されていた。また、そういった行為に依存する背景には、多くの関係依存や人間関係の問題が眠っていると私は思う。不合理な行動は時として命をもおびやかす行為につながる。その糸が切れる前に少しでも多くのカショオと細く長くつながっておきたいと切に感じる。