摂食障害について語ろうかと。
女性ならではのとても厄介な病気・・・いやっ,もう女性だからという問題じゃなくなってますよね実際。数は比較的少ないが,男性であっても関係してくるお話です。三大欲求のひとつ食べるという行為について困っている人たちのこと。わたしの知る上で,発症年齢は小学生でも稀にありますね。相対的に女性が多いのは確かで,思春期に発症しやすい。ダイエットという範囲を越えて食に対する執着というか,依存というかコントロールを失っている状態が続いてしまう。
周りが気にするようなことでもない体型や体重の微々たる変化に捉われ,生活全体が食べることに執着してしまっている状態ですね。
とある有名な施設長の言葉を借りて少し言い換えていうならば,目の前の数字に固執し,没頭することで本来の人生に向き合うことから逃げている。逃げることが悪いことではないですが,この方が言っているのは,彼ら彼女たちはどうやって生きていったらいいかわからなくなっているのではないかということ。
不合理な目的でも目の前の体重計に示された数字が事実であり,予定外のことが起こる恐怖に比べたらマシだということなのでしょう。もちろん神経性やせ症や過食症の特徴によって取られる行動は違うかもしれないが,根っこには共通する不安や恐怖感が潜んでいるのではないかと感じますね。
愛情不足で育ったうんぬんを語る人もいますが,そこを取り扱うとほんと治療に莫大な時間とお金がかかってきます。もちろんそれが根本解決だという人にはその選択肢があっても全然よいと思う。
ただ,私の体感として,問題志向になっていては解決に向かういいものが見つかりにくいことも多いのではないでしょうか。変えられるかもしれない未来を取り扱う方が変えられる可能性があるということ。ただ,摂食障害の人はその未来を見るということ自体がが苦手なのかもしれません。
ストイックで数字に縛られ囚われながら生きていることは,きっと生きにくさを感じていることでしょう。
数字の増減で一喜一憂し,食行動の異常さに嫌悪感を抱き,さらに周りの理解も得られない中では,生きているだけでもすごいことだと思うのですよ。
まさにこれも自傷行為のひとつ。
これがあるからこそ生きていられるのだと考えると,食行動の異常にも意味があり.無理に止めてはいけないものであることもわかると思います。
身近に摂食障害の人がいるとそんなこと言ってられないかもしれないのが実際のところ。しかし,自分の心の安定のために相手を変えさせることはおかしいですよね。この感覚はとても重要ですね。
つまり相手を本当に助けるためには,その人自身に力をつけてもらう必要があるということ。この心配のすれ違いはSNS上でも多く見られる気がします。こういう転移や逆転移の感情に巻き込まれると,後は関係が崩れていくばかり。 (興味のある人は精神分析の本でも読んでみるといいですよ。とてもいい睡眠導入剤になりますから笑)
同じ悩みを持つ仲間同士が語り合うことのメリットと巻き込まれることは本当に紙一重だと感じます。同じ共通の話題で盛り上がれることで相手を全てわかったような気にならないことが重要。その一面を何度も重ねていく上で,少しだけ相手を理解できるのかもしれません。私がSNS上で時たま意識してキツいことをリプライで送るのは,「この人はどのように返すのだろうか。この言葉だけで私を判断するような人なのか。」などスクリーニングにかけているのかもしれません。(自分の性格の悪さにうんざりします・・・)
だからこそ,ちゃんと受け取ってくれる相手には私なりの真剣さでツイッターで絡みにいったりするのだと思います。摂食障害について書いていると,同系列にある自傷行為についても語りたくなってきました。次回以降の話のネタについてまとめておこうと思いまうす。それではまた。