2学期に学校に行きたくない人手挙げて! 若者向けメンタル講座①

ツイッターのフォロワーにも若者が多くなってきたこともあり、一度若者向けの記事を書いてみようとこのテーマにしました。
特にこの時期から9月にかけて若者の自殺率も上昇しやすいこともあり、普段の専門用語などは使わない若者向けのメンタルヘルス講座にしたいと思います。※以下の記事は、中高生をターゲットに書きます。

今の感情

さて、8月も後半にさしかかり焦りの感情も出てきている人も多いのではないでしょうか。学校が休みになるということは、戦場から一時休戦の合図が出ているようなもの。4月から始まった新しいクラスに慣れた人も慣れなかった人も今、羽を休めていることでしょう。

しかし、そんな休息もあとわずか。
焦らすつもりはないのですが、気持ちの整理は早いに越したことはない。
学校の始業式が近づくについれて気持ちがどよ~んとなる人も多いのがこの時期の特徴。

やっぱり現実と向き合うとなるとエネルギーいりますよね。
夏休みは学校から強制的に出される休息であって、自分のペースで作り出す休息ではありません。これがクセ者。強制的に休まされる中ではきっと自分なりのエネルギー補充ができない人が多いはず。
年間休める時間を自分で決められたらいいのになぁ~
って昔思ったり思わなかったり。(だから大学は不登校が少ないのかもね)

2学期に向けた心の準備をどうするか

安心しろ。
きっとそんな心の準備ができている奴は、ほんのわずかでひと握りだろう。
圧倒的多数の人間が休みを愛し、何もしないだらだらできる時間から離れたくないと感じている。
それは大人だってそうかもしれない。
働かず、ある程度の収入が約束されているのであればそれに越したことはない。
自分の趣味や一緒にいたいと思える人間と過ごす時間を大切にしたいと考える人間が圧倒的に多いはず。(根拠はないけど

大人になっても同じような似た悩みを抱え続けるんですよきっと。

もし、夏休み明けの始業式に出れなくてもそれはそれであなたの人生なんだし、自分で決定していくことが大切だと思うよ。
不登校ユーチューバーのゆ○ぼんの意見などは半分合ってて半分ちょっと違う。
(個人的には親の問題だとおm以下略)
これを見ている中高生には、自分で決断し、選択していく力を養ってほしい。

頑張っていく。 or 行かない。
それぞれのメリットデメリットを考え抜いて選択する過程が大事だと私個人は感じる。そうやって決定したものに間違いはないと思うし、考え抜いた経験は今後役に立つかもしれない。

少し説教じみてきたので今回はこの辺で。
結論としては、誰に左右されるのではなく自分で物事を決定していくことって大事なのかもしれないということ。もちろんその過程を一人で苦しまず周りの人間とシェアしてみてね♪

 

追伸
新しい水着を新調しました。
基本インドア派なのですが、ラッシュガードなど一式揃えたので少し外に出てみようと思います♪
全身運動の後はしっかりプロテイン取ってカラダを絞るぞ!(あれ?私元々こんなキャラじゃない




AERAの摂食障害の記事がチューブ吐きにまで言及!!

AERAがチューブ吐きに言及!!

先日AERA dotに「管を喉から胃まで突っ込む”チューブ吐き”摂食障害「痩せ姫」たちの危険な夏」と題して記事が出された。

https://dot.asahi.com/dot/2019080800063.html

某有名女優の激ヤセや有名歌手などの背景にあったと推測される「摂食障害」に迫った記事である。

私も以前このサイトで、カショオ(過食嘔吐を繰り返す)女子について書いたとおり、摂食障害の根っこにフォーカスを当てながら、その危険性とどうしてもやめられない葛藤が記事にも描かれていた。

https://yuruiizonshou.net/post-300/

何よりAERAの記事には、チューブ吐きに関することに言及されていたことに大きな衝撃を受けた。

Q,そもそもチューブ吐きってなに?
A,口からホースを突っ込んで胃の中の内容物を排出する行為です。

摂食障害に関して理解が乏しい人にとっては衝撃的な答えだろう。私自身も摂食障害者と関わる中で、チューブ吐きを自発的に答えてくれた患者さんは過去に10人もいなかったと思う。

過食嘔吐(カショオ)の人は、指を突っ込んで吐く割合が多い

ただ、それだと指に吐きダコができてしまう。
※吐きダコとは、指を入れて吐く際に手の甲に傷ができてしまい、繰り返すことによってタコになる状態。やせ細ったモデルさんの手の甲には、タコができている人も見かけられる。(テレビでついチェックしてしまう自分はもう職業病か?)

つまり、指吐きによる嘔吐は、周りに知られてしまうリスクをはらんでいる。また、胃液や胃酸が食道を通るため、喉が炎症を起こしたり顔がむくんでしまったり、ニオイが気になってしまう。さらには、歯のエナメル質が胃酸によって溶かされた結果、歯がボロボロになってしまうリスク、そして何よりも、吐いていることを他者に知られてしまうリスクがある。

吐きダコが残るリスクを避けるためか、指吐き以外にも腹筋を使って吐く方法などもある。チューブ吐きや濯ぎなど、普段聴き慣れない言葉が掲示板やTwitter上でよく飛び交っているのを見かける。

摂食障害に悩む当事者の中には、どんな手法を使ってでも吐かなければいけない強迫的な思いに囚われている人も多い。

過食嘔吐がバレない為に考えられたのがチューブ吐き

チューブといっても医療用ではない。ホームセンターなどで長さの量り売りしているようなシリコン製のホースだったりがソレに使われる。

客観的にホースを咥えている絵を想像すると滑稽だろうが、当事者はその中で苦しんでいるのも事実だろう。喉の内壁を傷付けないように慎重にチューブを突っ込み、ソレを胃まで差し込むのだ。ソレで喉を傷付けないように角を取ったり(面取り)、吐いた後は洗面器等に漂白剤を入れ、つけ込む。掃除が行き届かないホース内部を清潔?に保とうとしている人も過去にいた。

チューブ吐きとは、胃瘻(いろう)とは真逆な発想をもとに、摂食障害を抱える当事者たちが生きるために考え出したもものなのかも知れない。


※この記事を読んだ人はここもチェックしてほしい※


この記事を書く際に、具体的なところまで描くと同時に、リスクも必ず伝えておかなければと思った。ぜひ、ここもチェックして欲しい。
◆摂食障害の予後
◆摂食障害と骨粗鬆症
◆自殺率
◆依存という病気

多くの要因があって吐くことを余儀なくされている当事者に吐くのをやめなさいなどという気は私には毛頭ない。「きっと生きていくためには吐かざるを得ない理由があるのだと思う。

ただ、一人で抱えることは避けたほうがいい。SNSなどを活用しながらチューブ吐きについての知識を得たり、リスクや効果、予後などを調べることをおすすめする。私の記事よりも当事者たちの生の声の方がよっぽど重みがあったり、心に響くだろう。

また、摂食障害は立派な病気だということを認めるところから始めてもいい。淡々と一人で苦しみながら過食嘔吐(カショオ)を繰り返したりするのではなく、いいことも悪いことも話せる場がこの病気にも必要だと思う。それはこのサイトの大きなテーマでもある「依存症」に大きく関わってくる。

本音を言えば摂食障害などの自助グループに足を運び、その苦しさを話し合えばいいと思う。しかし、SNSがこれほどまでに広がった中では、まずSNSを活用するべきだと私個人は感じる。チューブ吐きに関するより具体的な方法はあえて記載しないのでぜひ自分で調べてみるといい。

「摂食障害の偏見が広がってしまう」
「当事者じゃないなら黙ってて」
「娘が変な知識を覚えて真似したらどうするんだ!」
などの不安に駆られた周囲の人間から心ないコメントをよくいただく。これこそが、摂食障害者が抱えている生きづらさそのものなのだろうと感じさせられる。

批判する人の「寝る子を起こすな」に対しては、「あなたが寝ているのだ」と反論したい。摂食障害、過食嘔吐(カショオ)で苦しんでいる人たちは確実にいるのだから。

とにもかくにも、チューブ吐きの記事をきっかけにいろいろつながってみることをおすすめする。

結果、吐いたとしてもそれはそれでかまわない。
今日一日だけ頑張ることを積み重ねていけば解決の糸口は見えてくるかもしれない。
↓厚生労働省みんなのメンタルヘルス摂食障害↓
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_eat.html




騙されてはいけない、クロスアディクションのお話

クロスアディクション


クロスアディクションとは、2つ以上の依存が併存する状態。
つまり、アルコール依存ギャンブル依存が同時に当事者の中にあったり、薬物依存の背景には関係依存が隠れているなど、
問題を複雑化させるものだったりします。

ところで、アディクション(依存症)とおおまかに言ってもその種類は多く,身近な飲酒問題をはじめ、ストーカーや浮気、処方薬もアディクションの問題が根深く関係していると言われます。

昔から言われているところだと、うつアルコール
まともな精神科にうつなどの症状で受診するとまず聞かれるのが飲酒の有無でしょう。もし精神科に行って予診で聞かれなかったらそこはモグリだ!!(※持論)

それほどうつ病の背景にはアルコールの問題が関連していることがよくあります。

美ボディメイキングのためのプロテイン
Colla-Tein(コラテイン)

調査研究では、欧米を例に挙げ合併率が示されています。
ちなみにアルコール依存症とうつ病の合併率は40%だとか。

40%ですよ!!すごい高い割合でアルコールとうつは関係しているのですね。
この問題自体はクロスアディクションではないかもしれないが、わかりやすい例として押さえておきたいケースの一つ。

また、双極性障害(いわゆる躁うつ病)とアルコール依存にも大きな関連があったり、窃盗症などの行為障害とアルコール依存に関する体験談もよく目にしたりしますね。
ひとつの精神疾患の背景には違う依存の問題が影を潜めていたりするようです。(おー怖っ

 

つまり、依存症が治ったからといって騙されてはいけません。
そもそも依存症は完治するものでもありませんし、一生かけて付き合っていくものだということも理解しておかねばなりませんね。

 

さらに突っ込んで言えば、覚せい剤をはじめとする違法薬物に手を染める女性の背景には必ずと言っていいほど男性問題が絡んでいることもよく聞く話。
女性の場合、違法薬物乱用者からの勧めで乱用が始まることも・・・
実はその背景にも関係依存の問題が隠れていることもしばしば。これもまたクロスアディクション。

そう考えて世の中を見回すと、人間誰しも、何かにすがりついたりすがりつかれたり、求められたり求めたりしながらギリギリの中で生きているんだなと感じます。
ふと、「その瞬間を生き抜くにはそれに頼らざるを得なかったのではないか」と感じることもあります。まさにアディクションの始まりなのかもしれませんね。
もちろん違法であるものを正当化するわけではないですが、依存に至る流れは違法薬物を使っていなくても想像できる面もある。

「あ~いつからここまでねじれ曲がってしまったのだろうか。」
そのように思う前になにか手立てを加えていきたいものですね。

追伸
お盆休みを早めに切り上げパソコンに向かってます。
ストックしてある記事をじっくり書き上げていきたい所存です。
あ、あとお盆で1キロほどリバウンドしてしまいました(汗




シャブ浜(覚せい剤)~落語のおはなし

落語が大好きで、通勤途中に落語やラジオを習慣的に聞いているのですが、その中でもこのサイトの大きなテーマでも「依存症」に関する落語をひとつ。

みなさん「芝浜」といえば一度は耳にしたことがある落語だと思います。
といっても一般の人は演題に「芝浜」って有名なものがあるのを知ってるだけの人が多いはず。

要約すると、仕事もろくにしないダメ亭主が、奥さんに急かされながら仕事に出ていき、芝の浜で大金を見つけてくるところから話は始まります。その大金を前に、働く気持ちすら失ってしまったこのダメ亭主。見かねた奥さんがダメ亭主に目一杯酔わせて大金を見つけてきたこと自体を夢にしてしまった。
お金があると思い込み、散々遊んだ挙句夢だと知った亭主は人生の底つきを感じ、そこから大好きだったお酒を断つのでした。元々は腕のいいこの旦那。酒を断ってシラフで仕事をすると仕事も人間関係も徐々にうまくいきだす。3年経った大晦日。奥さんは嘘をついていたことを告白するために旦那に勇気を絞って話し始める・・・
さてその結末は。

とまあ、ざっくりまとめると芝浜は人情噺(ばなし)に分類できる感情を揺さぶるような落語。立川談志師匠の「芝浜」は私が大好きな芝浜の一つです。
落語は演じる人によって同じ演目でも全く違って聞こえるのがいいところ。

 

同じく立川流の立川談笑さんの「シャブ浜」が大好きです。
「芝浜」を「シャブ浜」に文字ったこの落語。
単なるダジャレかよと思えば全くそうではない。
もともとの「芝浜」はお酒がやめられない旦那が主人公。
立川談笑さんの「芝浜」はシャブ(覚せい剤)がやめられない旦那が主人公。
落語の柱となるような肝心な部分が変わってもこの演目にはそれほどの惹きつける何かがある。

元暴走族で覚せい剤がやめられないトラック運転手の旦那が芝の浜で拾ったのがジュラルミンケース・・・笑
その中にあったモノをめぐって奥さんが人生をかけた大芝居に打って出る。
シャブを使っている時の時間の経過の表現がすごくリアルで聞くだけで情景が目に浮かぶこの作品。

すべてを奪い去る薬物の問題と家族のありがたさ、それでもなお、モノを目の前にすると体が反応してしまう葛藤。

是非とも見て、聞いていただきたい落語の一つです。
大好きな立川談笑さんのリンク貼っておきます♪




オープン・スピーカーズ・ミーティング

オープン・スピーカーズ・ミーティング

皆さんはあまり聞きなれない言葉でしょうが、依存症関連の当事者や支援者、家族などはよく聞く言葉でもあります。
今回は、一般の人たちでも入れる、依存症の自助グループのオープンなミーティングに参加してきました。
依存症のグループは全国にたくさんあり、毎日どこかでミーティングを実施しています。しかし、そのほとんどが当事者しか入れないクローズなミーティングになっています。

 

なぜクローズなのか?
それは話す内容をミーティングの場にしっかりと留めておくためですね。話される内容は決して生半可なものでもないし、クローズ(ちゃんと守られた環境)だからこそ話せる内容がそこでは語られます。
オープン・ミーティングでは基本的に言いっぱなし、聞きっぱなしが大原則。
誰かに話を止められることもしなければ、いっぱい話してもいいし、ちょっとだけでもいい。
依存症に至った過去の辛い経緯、今抱えている不安や依存してしまいたい気持ちなどなんでもいいので言葉にしてみるのがミーティングのいいところ。
安全にしゃべれる場所って大切ですよね。
ちなみに私は当事者ではないので発言することはできません。
50人ぐらいが入る会議室の前で自分の依存問題や心に感じることのありのままに話す当事者を見ているとたまに羨ましく思います。
おっと、話がそれましたね。

 

自助グループは組織ではないし、自分たちで運営している集まり。
つまり法的拘束力なんてないのです。
来ることを強制されることもないし、来たければ来ればいいし、行きたくなければ行かなくてもいい。
だからこそそこに集まる人たちは依存症に対して向き合う姿勢を持って集まっているのだなと思います。
でも、向き合う気持ちを持ってなかったとしても行っていいんですよね。
自助グループってそういうところ。
問題をひとりで抱え込むのではなく、自分の問題について話す場を自分達でつくっていく。自助グループが癒しの場であるといわれる理由が少しわかります。
聞いている人たちは反論するでもなく、途中で茶々を入れるでもなく、ただそこでしっかりと聞いてくれている。
それだけでもなにか癒されるものがあるのだなと肌で感じ取ることができました。
もちろん自助グループは組織ではないですからそこに通報義務等はありません。だからそこ違法薬物であったり、犯罪に結びついてしまった過去などもさらけ出せるのでしょう。
そういった意味でも、なんでも話せて受け止めてくれる場の存在は依存症者だけに限らず重要な居場所となってくると思います。

 

会場の雰囲気
多くのミーティングに参加してきた体験から、共通する雰囲気があります。
それは喫煙所です。
あの何とも言えない独特の空気感。
私も以前喫煙者だったので喫煙所独特の雰囲気は分かるつもりです。
しかし、依存症者達が集まる喫煙所には、やはり、なにかどことなく独特の雰囲気を醸し出しています。
言うならば精神科の中にある喫煙所・・・のような・・・
精神科デイケアの喫煙所・・・
そういったものとどことなく似ている気がします。
一般的な職場にある喫煙所にはないあの雰囲気。
お互いがなにか重いものを抱えながらもそれもひっくるめて一緒にタバコを吸う感じ。それも一心不乱に(笑)ここぞとばかりに。水を得た魚のように??
う~ん。だれかいい表現方法ありませんかね。この微妙なニュアンスとても伝わって欲しい。

回復者
ミーティングに集まる人たちは回復者です。前日に依存性物質を摂取したとしても、この瞬間やめるためにそこに集まっている人たちを私は回復者だと思う。
彼ら、彼女らは依存に対して無力であることを理解している。
だからそこ毎日ミーティングに参加する。
今やめている。
今日やめている。
そういう事実の積み重ねが回復することだということを知っているのだと思います。依存に関してそれぞれの向き合い方があるように、回復過程においても人それぞれの回復過程があるのだと感じ取ることができた。

 

★印象に残った発表者
(個人の大切な体験なので内容は割愛)
◆薬物依存症
◆異性問題・関係依存・性依存
◆アルコール依存症
◆摂食障害
◆処方薬依存
その他もろもろ、内容が濃すぎてお腹がいっぱいになる内容ばかりだった。

 

きっとこういう場でなければ語れない内容ばかりだろう。
依存に関する理解が乏しい人が聞けばきっと
『あなたの意志が弱いからだ。自己責任だ。我慢が足りないからだ。』
などと心無い言葉を浴びせてくるだろう。
しかし、依存症は意志の強さでなんとかなるものではないことを彼らは知ってる。
本気で当事者達とか関わった人ならそのその感覚を掴むことができる。
いやっ、自助グループに参加し続ける人がそれを実感できるのかもしれない。
「依存症は病気なんだということを」
苦しみながらも、今日一日その依存から距離を取るためにミーティングが存在し続けるのだなと身を持って実感した。

もし、いま依存の問題で悩んでいる人がいるなら
まずは素直に助けを求めること。
依存症は人に頼れない病とも言われる。
だからこそ似たような仲間に出会うことが大切だと個人的には思う。
ミーティングで相違点を見つけるのではなく、共通点をぜひ探してほしい。
自分の問題は果たして自分で抱えきれるものなのかなど
これは依存症に限ったことではないかも知れない。
例えば、家族の問題を家族で解決できる人はいいかもしれないが、家族では解決できない人も多いはず。
つまりは話せる場所を確保しておけってことですね。
ずっと悩んでるの大変なことなので、荷物を下ろせる場を作ること。
そして、そこが安全な場になっている必要があることが大切なのかも。

 




・・・ん?あの人やたらテンション高くね?

身の回りのコミュニケーションにおいて、テンションの高い人、または高すぎる人はいませんか?

 

◆言い方がキツすぎないか?
◆この人いつか問題起こしてしまいそうだな。心配だ。
◆気持ちははわるけどそんな言い方しちゃうと問題大きくなっちゃわない?
など、傍から見ていてドキドキさせるコミュニケーションを取ってしまう人ってひとりやふたり思いつくでしょう。

そういう人はきっと「アサーティブ」なコミュニケーションが取れていないのでしょうね。

 

しかし、そのような人も決してバカな人ではありません。コミュニケーションが苦手なそのような人も、何度も失敗してきた経験から
このままじゃダメだな・・・
と気付いている人も多いことでしょう。

だけども失敗を繰り返してしまう・・・
きっとコミュニケーションを取りたい動機は人一倍あるけれども、その具体的な手段が分からず自暴自棄になってしまっている当事者だっているはず。

 

自分は上手く言いたいことを伝えていると思っていても、実際には威圧的だったり、相手を理詰めにしていたりするものです。
そう。
良かれと思って反応していることが、相手をより追い詰めたり不快にさせてしまっていることがしばしばそこでは発生しているのです!
特に主体が自分だときっとリスクも高まることでしょう。
SNSなどを見ていると、トラブルに巻き込まれそうな人って割と見かけますよね。
アサーティブに必要なのは主体を相手と自分の双方の視点から考えるということ。自分の主張だけでなく、相手の視点も大事にすること。

 

きっと自分だけが正しいことなんてないでしょ?
相手のことだってすべてわかるわけではないし、少ない時間で相手を全てわかったかのように振舞うこと自体がリスクの高いことだと気付くことができればコミュニケーションの質が変わってくることでしょう。


アサーティブな人間関係を作る訓練として、アサーショントレーニングが有名ですね。アサーションでは、実際に役割を演じさせるロールプレイを利用しながら練習・訓練をするわけです。訓練では、自身の発言や仕方や癖、態度などを再確認したり、改めたり、どんな言い方がより伝わるかを検討します。自分の思いを適正に正しくおしてうまく伝えるコツをつかんでもらうことがミソです。

 

どこでもつながれるSNSが武器にもなったり関係を悪化させる原因にもなったり。このご時世、相手の顔が見えないコミュニケーションは多く存在します。また、LINEなどの短い文章では、コミュニケーションの細かいニュアンスやディテールが伝わりにくい事も多いでしょう。今後起きうるコミュニケーションのすれ違いが誰から見ても予想されますね。

 

目の前で相手と一対一で話し合う場合でもすれ違いが起きるのに、SNSが間に入るコミュニケーションはなかなか荷が重い。SNSだからつながれるメリットも実際あるし、その距離感だからこそ話せる相手だっている。コミュニケーションのメリット、デメリットが顕著に分かり出してきた世代を私たちは生きているのかもしれませんね。

 

直接話し合うことが本当にいいのか、誰かが間に入ることでスムーズに物事が運ぶのか、メールや電話など相手が見えないからこそ程よい距離感が取れるのか。

誰に、なにを、どのくらい、どのような伝え方でコミュニケーションとをるのかなど、学校などじゃなかなか教えてくれませんよね。

社会に出て経験を積む中で学んでいては遅いですし、きっと学校教育なのでも今後プログラミングだけでなく、情操教育やコミュニケーション教育も充実してくるのかもしれないなと本題とだいぶ離れていることに気付きながらも今日はそんな〆方でございます。

 




不安解消には見捨てられ不安を振り返ろう

見捨てられ不安との付き合い方

誰しも持っている不安や傷つきの感情
喪失感や孤独感に耐え切れなくなる人もいるのではないでしょうか。
災害や人災もしかり。身近な人の死がきっかけとなり、大きな孤独感と向き合う日が来ることだってあるかもしれない。

 

そんな中で今日は見捨てられ不安にスポットを当てます。
見捨てられ不安から相手の本当の気持ちを確かめるために、「相手を試す行動に出る人」は周りにいませんか。

そこに恋愛感情が絡むと、なおさら面倒くさくなってしまう・・・
誰しもそんな甘酸っぱすぎる青春の1・2ページを持っていることでしょう。

 

試し、試され、駆け引き、綱引き。

・・・

みなさんもいくつか心当たりがあるのではないでしょうか。
(え~私は決してそんなややこしい恋愛はしていません。(棒

そんな危ういとも感じられる感情と付き合うには、少しコツがいるようです。

不安を感じながらも前に進める人とそうでない人の違いにはどういうものがあるのか。

見捨てられ不安を感じても前に進める人

相手に巻き込まれない人
不安を分離させて持っておける人
弱い部分をちゃんと人にさらけ出せる人


自他の境界線や問題の分離ができる人は、親密な関係が危機的状況になったとしても、相手に巻き込まれることなく自我を保つことが比較的可能のようです。不安を相手にさらけ出せるということは、援助希求能力(援助を適切に求められる力のこと)があるということですし、不安を溜め込まないことにもつながります。

 

見捨てられ不安を感じると反応してしまう人

白黒思考になり、相手の意見を曲解してしまう人
自分と他人の境界線が曖昧な人
自分の弱い部分をひたかくしする人

 

いわゆる早とちりしてしまい、感情のままに突っ走ってしまうタイプの人でしょう。不安を抱える器が小さく、(不安を抱える許容量が小さいという意味)不安を抱えていられない。すぐ解消したがる人がこれにあたるのかもしれません。特に弱みを人に見せられないということは、他人を信頼することが苦手だということ。自分の偏った考えが偏っているということに気付けなかったり、自他の境界が曖昧になってしまい、依存によって関係が成り立っている人は注意が必要。

 

 

 

そこには関係依存の問題が隠れている場合がある。
所詮恋愛や結婚などは、認められた共依存の成れの果てだと感じる人もいるかもしれません。確かにおっしゃる通りかもしれません。
ただ、お互いにとっていい着地点を目指すことが見捨てられ不安と上手く付き合っていくためのひとつのコツなのかもしれません。
まあ、どうせなら少しでも認められた、いい依存関係健康な依存関係を目指すことも見捨てられ不安からの脱却につながるかもしれません。

まずは、不安に振り回されないことが大切。




年に3回ほど大きな抑うつの波がくる

抑うつの波

30代も後半になってくると体のあちこちにガタがきたりすることもあるようで、それは体に限らず心に現れることもよくあります。

私の場合は抑うつ症状ではないかなと思います。
年に3回ほど強烈な抑うつ感に襲われます。

 

症状として、
あ~もう何もしたくない。お仕事休みたい。布団から出られない。体動かすのもだるい。誰にも会いたくない。静かに天井をボーっと見ていたい。今すぐ消えてしまいた。何もかも放り出したい。死にたい。etc

まあ、いわゆる診断基準にも当てはまりそうな症状がたっぷり。
ただし、その症状が継続することはなく、だいたい1日や2日寝ると気持ちがまた上がってくるようです。

まあ普通といっちゃ普通なのかもしれませんが、私にとってはこの年3回の波がとてもキツイものになりつつあります。
本来のうつ病のように一定の期間何もできなくるわけではないのですが、この抑うつ症状は、30代後半の私にとって、なかなか手強い相手となってきました。

きっとこれが長く続き、体も心も動かなくなったら本格的なうつ病などになっていくのかなとよく感じます。

 

割とポジティブ思考な私の頭の中

わたし自身、物事を深く考えすぎると頭の中がぐるぐるになってしまうことをある程度理解していますので、思考にとらわれないように日々努力しているわけです。
問題志向になっているとダメですね。
何が、どこが、なんでそうなったかなどばかり考えていると気持ちは沈むばかり。確かに原因を探る必要はあると思いますが、それに固執してしまい生き方自体が苦しくなってしまう人を多く見てきました。
解決志向でいることが精神的な安定につながると私個人は考えます。
心理療法の中では
、解決志向ブリーフセラピー(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)という分野があるくらい、物事のどの部分を見ていくことが生きやすさにつながるか書かれています。

うつ病の有病率

 

ご存知のとおり、うつ病の生涯有病率は3~7%ともいわれています。若い女性と中高年で頻度が多く、社会経済的影響が大きい病気のひとつといえるでしょう。
そうです。きっと誰でもなるのです。
そう考えるだけでも視野が広がる人もいるかもしれません。抑うつ症状がきつくなると、視野狭窄(簡単に言えば、周りがぜんぜん見えなくなること)に陥って不信感や不安に追い込まれてしまうこともあるかもしれません。今は薬物治療だけでなく心理療法もうつ病には効果があるらしく、回復するための選択肢の一つとして認められつつあるようです。

 

 

波に飲み込まれないためには

まずはひとりで抱えないことでしょうね。
人に素直に甘えるのは本当に難しいこと。
これまで自分で頑張ってきたからこそ自分でなんとかしたい気持ちがあることは確か。
しかし人に頼れなくなるどうなるのか・・・

そうです。モノに頼ってしまうのです。
いわゆる依存の始まりです。
自身のメンテナンスをするためにも、自分で解決できる問題と自分ではどうにもならない問題を理解し、区別しておくことが生きやすさにつながるのではないかなと個人的に感じています。