ゲーム依存なんていわせない

皆さんはどんなゲームにハマっていて,ゲームにどれくらいの時間を注ぎ込みましたか?
「まあゲームなんてただの暇つぶしでしょ,そんな本気でやってないし」
と思われる方はブラウザバックです。そんなやつとはこのカテゴリーで共感し合えるわけなどない。と,一人でぷんぷん怒っているわけですが。

学生時代私の貴重な時間を奪い去ったのがモンスターハンター通称モンハンです。これが曲者で,モンスターを倒してその素材を集めて武器や防具にするアクションゲームなのですが,レアな素材はなかなか落ちないので30〜40分戦ってなんの成果も得られないこともあるぐらいシビアなゲームなのです。自分の好きな武器を揃えるには何十時間や何百時間素材を集める作業をせねばならず,夜遅くまでPCの前に座っていたことを思い出します。(実際は数千時間)

さて,近年やっと耳にするようになってきたこのゲーム障害。韓国などはゲーム依存症者も多く,国をあげての対策も行われているところです。しかし,我が国はどうでしょうか。まさに,やっとこさ重い腰を上げてきたというところでしょう。中年の引きこもりと同様に後手後手になってきた問題の1つでもあります。

基準とは難しいものよの

過去の自分を振り返り学生時代ゲーム依存になっていたかと問われると,まさにその通りだと思います。ゲームが生活の中心になっていた時もありますし,なににおいても優先がゲームだったでしょう。
ただ,そんな私ですがゲーム依存でないと自信を持って言える部分は無事に大学を卒業したり,バイトなどでも大きな穴は開けなかったということでしょう。
つまり,生活に支障は顕著に出ていなかったということ
これは大事なことで,ゲーム障害と診断される人の多くが生活に支障が出ているにもかかわらず止まらない状態が続いているといえるでしょう。診断においてもそれはひとつの指標。
眠い目をこすりながらもせねばならないことをこなしている場合は,ゲームはゲームの範囲を超えていないことが多いでしょう。
しかし,実際のゲーム障害の人たちは明らかな問題が出ているにもかかわらずゲームが止まらなくなっている。このラインがクリアできていないのは1つの基準でしょうね。仕事や学業が後回しになってしまう。何よりも第一優先がゲームになってしまう。孤立していることに気づかなかったり,周りからの目にも鈍感になってしまう・・・ただ,ゲームの世界って頑張ったら頑張っただけ強くなり,評価されたりする。それって現実の世界じゃそうはいかないことがほとんどですよね。つまり,ゲームの中には生きがいがあるからそこ離れにくいものになってしまうのでしょうね。報われないことがたくさんある社会の中で,ゲームという世界に依存してしまうのは仕方のないことかもしれませんね。

おわりに

この手の治療に関してはとにかく専門家が少ない。また,治療施設を持つ医療機関なんて極端に少ない。依存症という範囲で考えるならば,ある程度の治療施設は選択できる。しかし,まだまだ心もとないのも実際のところ。よくて精神保健福祉センターなどが相談窓口となってくれる程度かも知れない。それでもそこにつながれるゲーム依存症者はまだマシで,スタートラインに立てない人たちがほとんどであろう。
書いていて自分のとってのゲームとの付き合い方にも見直しが必要になるなと感じている。身近にあり,ちょっと空いた時間を埋めてくれるスマホゲーム。
果たして本当に自分の手におさまるゲームになっているだろうか
毎日のログインに追われていないだろうか
スタミナを消化することに囚われていないだろうか
自分の生活の中で,せねばならないことができなくなってはいないだろうか
本当にこのままゲームをし続ける人生でいいのだろうか

などと考えながら,寝る前の最後の一回のゲームをして今日も眠りにつく予定だ。

間違って自死に至る病~リストカッターケンイチ

今回は自傷行為のおはなし。
でも何故このサブタイトル?と思った人も多いかもしれません。
以前の記事でも書いたとおり,私はよくラジオを聞いていまして「伊集院光の深夜の馬鹿力」というラジオの古~いコーナーで「リストカッターケンイチ」というものがあります。このコーナーが面白くて,ハガキ職人が作るケンイチは,いつもギリギリまで手首を切らずに問題を乗り切ろうとするわけですが,最後の最後にブシャーーーっと切ってしまうのです☆そこに至る葛藤やらなんやらがこのコーナーの面白いところ。

リストカット
中学校の30人クラスだと,1人ぐらいはリストカット経験者がいると言っても過言ではないでしょう。潜在的には一割ぐらいの人がリストカット(軽度も含める)を経験しているのではないかとも言われています。基本的にリストカットは誰もいない一人で行われることが多く,構ってもらいたい思いやパフォーマンスとしての自傷は圧倒に少ないのが実際のところ。
切ってる時ってほとんどが一人で行われます。(ここ重要!)
つまり,彼ら彼女らはなんとか生き延びるために切り続けているわけです。対処法が間違っているように感じながらも,その一瞬一瞬を生きようとする姿は苦しみや生きづらさそのもの表してくれているのではないでしょうか。
以前の記事でも書いた,自らを傷つけ自分の叫びを表現している彼らが羨ましいというのもあながち間違っていない。
一般的な社会人がわかりやすい所にリストカットの傷がガッツリあったらどうでしょうか。たぶん、世間の目は冷たく,本人の抱えているものをどうにかするよりも周りの目を先に気にすることでしょう。お客様の目の届かないところ,または,なるべく人と接することのない場所など。
まさに悪循環。
本人の思いが表された傷を,さらに目の届かない所に追いやる。これでは切ったことで何もプラスになることはない。さらに生きづらさを感じることの繰り返しになるでしょう。

リストカットのやめかた

第1に,まず誰かに打ち明け知ってもらうこと。
理解者を探すことが大事。

第2に,切ってしまうダメな自分でも、まあそれはそれでいいんだと自分を認めてあげること。その過程で間違って死んでしまわないために安全策をとること。あと自分で手当すること。
第3に,治療につながりつづけること。

ザックリまずはこの3点からですかね。周りの人間が意地になって止めようとすればするほど悪化することも多いこのリスカ問題。
本人は傷を隠すためにどんどん賢くなります。
見えないように腕や脚にする人も。
結局行動をどうにかするのではなく,感情を取り扱わなければ回復しにくいということではないでしょうか。なぜ切りたくなるのか?どういう感情が今あなたの中にあるのか?どんな感情に苦しんでいるのか?などを安全な場で話すことが大事。脳内麻薬が痛みを鈍らせ,離人体験させてくれることで助かっている部分もあるのでしょうねきっと。リストカットはその中で唯一助けを求め反応してくれたものだったのかもしれません。だからこそ切る選択肢は残しておくべきだと私は感じます。切る切らないの綱引きは自傷に対する熱意を高めさせるだけだと覚えておきましょう。感情的に反応する相手には,同じ土俵では戦わないのが支援のコツといえるでしょう。タイトルにもある通り,間違って自死に至ってしまうのがこの病気の怖いところ。つらさの解消に行った行動が,意図せず既遂に至ってしまう・・まさに生きるために自傷が死をたぐりよせているのだと思います。

そんなこと言ったって周りは理解してくれないと思う人も多いかもしれません。なら,助けてくれそうな人の目の前で切ってみるのもひとつの方法かも。だいぶ間違っているかもしれませんが,精一杯伝えてみる行動は大事かも。切ることで相手を巻き込んでしまうリスクも考えないといけませんが,切ると何か変わるかもよ?最後の選択肢としてとっておきましょう♪それもいいんじゃないかなと私は感じます。

摂食障害~生き延びるために食べる人たち

摂食障害について語ろうかと。
女性ならではのとても厄介な病気・・・いやっ,もう女性だからという問題じゃなくなってますよね実際。数は比較的少ないが,男性であっても関係してくるお話です。三大欲求のひとつ食べるという行為について困っている人たちのこと。わたしの知る上で,発症年齢は小学生でも稀にありますね。相対的に女性が多いのは確かで,思春期に発症しやすい。ダイエットという範囲を越えて食に対する執着というか,依存というかコントロールを失っている状態が続いてしまう。
周りが気にするようなことでもない体型や体重の微々たる変化に捉われ,生活全体が食べることに執着してしまっている状態ですね。

とある有名な施設長の言葉を借りて少し言い換えていうならば,目の前の数字に固執し,没頭することで本来の人生に向き合うことから逃げている。逃げることが悪いことではないですが,この方が言っているのは,彼ら彼女たちはどうやって生きていったらいいかわからなくなっているのではないかということ。
不合理な目的でも目の前の体重計に示された数字が事実であり,予定外のことが起こる恐怖に比べたらマシだということなのでしょう。もちろん神経性やせ症や過食症の特徴によって取られる行動は違うかもしれないが,根っこには共通する不安や恐怖感が潜んでいるのではないかと感じますね。

愛情不足で育ったうんぬんを語る人もいますが,そこを取り扱うとほんと治療に莫大な時間とお金がかかってきます。もちろんそれが根本解決だという人にはその選択肢があっても全然よいと思う。
ただ,私の体感として,問題志向になっていては解決に向かういいものが見つかりにくいことも多いのではないでしょうか。変えられるかもしれない未来を取り扱う方が変えられる可能性があるということ。ただ,摂食障害の人はその未来を見るということ自体がが苦手なのかもしれません。
ストイックで数字に縛られ囚われながら生きていることは,きっと生きにくさを感じていることでしょう。
数字の増減で一喜一憂し,食行動の異常さに嫌悪感を抱き,さらに周りの理解も得られない中では,生きているだけでもすごいことだと思うのですよ。
まさにこれも自傷行為のひとつ。
これがあるからこそ生きていられるのだと考えると,食行動の異常にも意味があり.無理に止めてはいけないものであることもわかると思います。
身近に摂食障害の人がいるとそんなこと言ってられないかもしれないのが実際のところ。しかし,自分の心の安定のために相手を変えさせることはおかしいですよね。この感覚はとても重要ですね。
つまり相手を本当に助けるためには,その人自身に力をつけてもらう必要があるということ。この心配のすれ違いはSNS上でも多く見られる気がします。こういう転移や逆転移の感情に巻き込まれると,後は関係が崩れていくばかり。 (興味のある人は精神分析の本でも読んでみるといいですよ。とてもいい睡眠導入剤になりますから笑)

同じ悩みを持つ仲間同士が語り合うことのメリットと巻き込まれることは本当に紙一重だと感じます。同じ共通の話題で盛り上がれることで相手を全てわかったような気にならないことが重要。その一面を何度も重ねていく上で,少しだけ相手を理解できるのかもしれません。私がSNS上で時たま意識してキツいことをリプライで送るのは,「この人はどのように返すのだろうか。この言葉だけで私を判断するような人なのか。」などスクリーニングにかけているのかもしれません。(自分の性格の悪さにうんざりします・・・)
だからこそ,ちゃんと受け取ってくれる相手には私なりの真剣さでツイッターで絡みにいったりするのだと思います。摂食障害について書いていると,同系列にある自傷行為についても語りたくなってきました。次回以降の話のネタについてまとめておこうと思いまうす。それではまた。

泣いてる場合じゃねぇ。書くぞっ,落語の続き

戦争に行った兵士が家族と再会するYouTube動画見て泣いているGW3日目でございます。なんでこんなに泣けるんだろうね。一体何に共感しながら涙しているのかわからなくなるぐらい泣けてくるよ。いいデトックスだ。続けて犬との再会動画見るともう心がほんわかしてなにもやる気が起きなくなりますね。

前回に続いて落語のおすすめあれこれを語っていこうかと。
みどりの窓口」 立川志の輔師匠
新作落語と呼ばれるジャンルで,現代に親しみやすい形で落語が楽しめます。

あ~「バールのようなもの」も紹介したいがまずはみどりの窓口からだな。
日常に潜んでいるものがどこかで何かとつながってることを気付かされるお噺。ガッテン!ガッテン!でお馴染みで,日本で一番チケットが取れない噺家さん。


時そば~コロッケそば」 柳家喬太郎師匠
お蕎麦が食べたくなるお噺。全身で落語を表現しながら聴く人を楽しませてくれます♪ウルトラマンが大好きなキョンキョンこと柳家喬太郎師匠。最近お酒のCMにも出てましたね。ちょいちょいテレビに出ていて見つけると「あっ、キョンキョンだ」と言いたくなる噺家さん。この下の動画のサムネがインパクトありすぎやしませんか。

紹介したいものが次から出てきますがなんとか抑えました。
時々思い出したかのようにこのカテゴリーを充実させていきたいですね。落語を聴いて興味が出た方はぜひ語り合いましょう♪まだまだ初心者なのでよろしくお願いしますヽ(´▽`)/

 

 



投稿失敗は初心者の通過儀礼か

うわぁぁぁ~間違って下書きを消してしまいました・・・うそやん・・・
落語愛について語っていたのに,この気持ちどうすればいいのものか。
仕方ないもう一度思い出して書こう。
ワタシ下書きホゾンもう消さない。オボエタ。

さて,ご存知の通り?、私は通勤でラジオや落語を聞くことが多く、充実した通勤ライフ?を送っているわけです。その中でも落語は多くのものを教えてくれるもので,人生を豊かにする特別なエンターテイメントになりつつあるのです。
その中でも,私の落語好きになるきっかけとなったのが立川談志師匠です。あの独特な喋り,身振り,嫌味ったらしい感じ。落語ではなくテレビという媒体で拝見したのが最初だったと思います。クセが強く,気まぐれで,周りをひっちゃかめっちゃかにする人という印象が先立ちます。まさに落語に興味関心を持つきっかけとなった人ですね。ただし,クセが強くすぐ聞かなくなったのを覚えています。なのに落語を聴き続けていくと,なぜかまたこの人に戻ってくる・・・。う~ん。やっぱ好きなんでしょうね♪
また,落語に深くハマりだしたきっかけを作ってくれたのが古今亭志ん朝師匠ですね。皆さんご存知のとおり平成たぬき合戦ぽんぽこのナレーターをしていた耳にスっと入ってくるような聞きやすい声の持ち主。この両者が落語に興味を持つきっかけになった人たちと言えるでしょう。そこで今日はその二人の大好きな落語をひとつずつ紹介しようかと思います。

鼠穴(ねずみあな)」 立川談志

談志師匠といえば奇跡の芝浜が一番好きとよく聞きますが,私はこの鼠穴が大好き。特に最初のまくらの部分。
え~。人間というものは,どこまで本気で,どこまでが嘘なのか,わからないですなぁ~ よく、いや~結論を出しました。決心しましたよなんて言いますけど,決心って本当にあるんですかな~なんか成り行きに後から付けた判子みたいな感じがしてしょうがないんですけども。所詮人生成り行きみたいなもんなんでしょうな。けど,成り行きだとどうも面白くないから,なんか後で勝手な理屈をつけているような気がします。
このセンスですよ!意志の強さや決心などいうものがいかに弱いものかを落語に入る前のまくらで語られている。こんな導入されたらほんと引き込まれますよね。兄弟の絆や決心に向かう動機付けについて学べる大好きなお噺のひとつ。ちなみにオチは少し難しいですが,とても引き込まれる噺です。(あ~紺屋高尾もいつか絶対紹介しよう。)
ぜひどうぞ。

動画準備中~

さて,好きなお話をもう一つ

文七元結」 古今亭志ん朝

代表作ですね。ここが落語の入口になって間違いない作品。人情噺とお金,そこに含まれるドタバタ劇。目をつぶると映像が見えてくるようです。少し長いですが見ごたえがあり。生きづらさとそれを大きく包むような人情味あふれる作品。

動画準備中~②

書いてたらどんどん紹介したいものが出てきますね。
うん。次回は立川志の輔師匠柳家喬太郎師匠について語ろう!!

 

ピエールの笑顔

ピエールといってもマジシャンのムッシュピエールじゃないですよ。
(むしろそっちのほうが知ってる人少ないだろうなw)瀧ですよ瀧!
麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたピエール瀧被告ですが石野卓球さんとの写真がTwitterに投稿されました。

正直素敵な笑顔だなと思いましたヽ(*´∀`)ノ
電気グルーヴ自体はあまり世代ではないので知らないのですが,この画像からふたりの仲の良さと信頼関係が伝わってきました。

きっとマスコミはこの画像について面白おかしく批判するでしょうね。

もちろん法律に違反したものを所持し,使用していたことに関しては非を認めざるを得ない部分はあるでしょうが,この人にとっての社会復帰を考えたときに,果たして刑罰が本当に必要なのか?
この人が営利目的の売買に大きく関与していたなら話は別ですが,単純使用のものに関しては刑罰よりも支援や治療につなげるべきであると私は感じます。排除や厳罰化だけでは本当の意味で回復にはつなげられないということ。
社会は薬物を使いながら支障のない生活を過ごしている人間が怖いのかもしれませんね。だからこそ臭いものには蓋をし,罰を与えることで解決したかのように思い込みたいのかもしれない。

しかし現実は違う。皆が皆依存症になるわけでもない。コカインの乱用によって依存症になる者もいればうまく使いこなすものもいるかもしれない(その先に逮捕はあるかもしれないが)。アルコールと同じように全ての人が依存症になるわけではない。もちろんコカインは麻薬取締法違反であり,法律違反であることも忘れてはいけない。しかし,このサイトでは司法的な解決ではなく,治療的な依存について語りたい。
彼個人の社会復帰を考えた時,法律の枠に縛り付けることが本当の社会復帰につながるだろうか。
私個人の意見としては縛るべきではないと思う。多くの才能を持ち,発揮している彼だからこそ表舞台に立つべきだと思う。一発アウトな世の中じゃ変わろうとする人の手助けはできないでしょう


まぁ人間何かしら失敗しますって実際。でも失敗した時が重要ではないかと思うのですよ。これで全てを失ってどうするんですか。ちゃんと治療につながって,待っている人達のために表舞台に立ちつつ,なぜ使うに至ったかなどを彼自身の中で咀嚼していかなければ回復はできないでしょう。これからも多くの作品期待してます。

マスコミさんそろそろ晒し上げる報道やめません?叩きやすいところを叩くなんてポリシーも何もないでしょ。これまで問題起こした人たちが,何もなかったかのように平然とテレビでコメントしている所を見ると,問題を覆い隠すってホントに怖いことですよね。最近清原が依存症の講演してましたね。ああやって今なんとかもがきながらも回復に向かってるやつほど取り上げなきゃですよ!!この記事の題名でもあるピエールの笑顔が今後どう依存と向き合っていくかが見ものですね。しっかり応援していこう
|゚Д゚)))




アルコールの適量について

GW真っ只中。飲酒機会は増えるのではないでしょうか。私自身も実家に帰ると夜日本酒やビールでお酒を楽しむ勢です。ところでアルコール摂取の適量についてご存知ですか?

もちろん本人の耐性や体重,その他の要因によって適量は違うのですが,一般的に厚生労働省が推進する「節度ある適度な飲酒量」という基準があるようで,一日あたりのアルコール摂取量の適量が示されています。なんと適量は,一日平均純アルコール20g程度らしいです。
・・・
う~んよく分かりにくよね実際。イメージがつかないというか。
身近なものに例にとると

ビールなら500ml
チューハイ(7%)350ml
(ストロング500mlは完全にアウトだ気を付けろ)

日本酒なら一合
ウイスキーならダブル1杯
ワインならグラス2杯
詳しい計算式もあるので,その辺は他のサイトで調べてみてください☆

とにかく適量が定められているわけです。実際のところビール1杯で収まるかと言われればそうでもない。特にGWなどは。普段晩酌で飲む私ですが,家で飲むと酔やすく,ビール500mlで十分満足することもよくあります。ただ、GWなどの連休ではそうはいかない。食べるものや会う人も変わり自然と酒量も増える傾向があります。アルコール愛用者にとって楽しくお酒を飲めることは嬉しいことであります。依存症のリスクは身近にあることを忘れずGWも楽しいお酒に興じようと思います。
ただ,依存症者にとってGWなどの大型連休は,強力な引き金となりうるでしょう。一度飲み出すと止まらなくなるのが厄介なところ。船の舵を失ってしまう。ぶつかるまでもう止まらなくなってしまうのが依存症の特徴といえるでしょう。実際断酒会やAA(自助グループ)などでは,この大型連休をいかにお酒のない生活にするかを話し合うのです。
そんなの別に行かなくても,意識して飲まない選択をしていけばいいんじゃないの?」というのが一般の人達の意見でしょう。
しかし彼ら彼女らは自分自身がアルコールを目の前にすると,無力になることを理解しているからこそ集まってミーティングをするのです。各地域で行われている普通の人たちでも参加できるミーティング(オープンミーティング)に行くととても多くのことを学ぶことができます。鉄板ネタを話して笑いを取ってくる人達もいるので,依存の問題を抱えている人は,今まさにやめている人たちの話を聞くことは大きな意味をもってくるでしょう。
コントロールを失う前にアルコールとの付き合いを見直す機会が作れるといいですね。問題が大きくなってからではもう手遅れだということを彼ら彼女らは身を持って示してくれているのだと感じました。

お酒をおいしく飲むために・・・
ぜひ酔うことを目的にしないでください。
何を飲むかを選択する楽しさや,誰とどんな話題を楽しむかなどお酒以外にも楽しみが周りにあることをしっかりと理解すること。
私の場合,お酒は人をつないでくれたり親密性を深めてくれるものだったりします。しかし,人によってお酒はなくてもいいものであることを理解しておきましょう。そして,断るという選択肢も常にそばにあるということが大事。断ったところでその人全体を否定するわけでもないですし、気楽に断れる雰囲気作りは大切ですね。
休肝日も意識すること!これも大事。飲まないとやってられない状況を避け,お酒以外のストレス解消法もしっかりと持っておきましょう。だってみなさんの人生ってお酒だけじゃないはずでしょ?もっといいものが生活の中には埋まっているはず。そこに目を向け,生き方の見直しこそがお酒に頼らない生活につながるはず。是非ともお酒をお酒として楽しめる生活にしていきたいですね(´・ω・`)

 

GWの始まりと平成の幕が閉じるとき

GW初日!みなさんドキドキワクワク、そしてどのようにこの連休を使おうかと思案している頃と思います。いやっ,きっとこの日を待ちわびながら着々と準備をしていた人もいるでしょう。人によってはお休みが少ない人もいるでしょうが,みなさんは何連休勝ち取りましたか?笑 ちなみに私はしっかり10連休あります。しかし消化しないといけない仕事がチラホラあるし,仕事関係の勉強会だってある。実家に帰ったりとドタバタなGWとなりそうです。そしてなによりこのサイトを立ち上げたのだから,しっかり記事を書いてみたいなと思うわけです。今はPCからの投稿ですが,スマホからもしっかり投稿できるように挑戦したいですね。

さて,まずは2本ほど絵本を紹介しますかね!

りんごかもしれない」作 ヨシタケシンスケ

これまた有名どころですね。だれしも一度は本屋さんで見かけたことがあるかもしれないこの名作。ひとつのりんごをいろんな角度から楽しめるのがこの絵本の特徴。あなたの考えているりんごって本当にりんごなのか?考える力を養わせるために子どもに読んであげることおすすめできる作品。
あたりまえの概念にとらわれず,柔らかい頭を育て,クリエイティブな発想が身につくかも!?
対象は小学生3~4年生ぐらいの他者に関心を持てるようになってくる難しい時期のお子さんをお持ちの方にオススメ。
自分が認知している世界が必ずしもそのとおりじゃないかもしれないということを気付かせてくれる絵本になっていますね。
ヨシタケシンスケさんの作品は他にも多く出されてますので是非チェック
ヽ(・∀・)ノ

わすれられないおくりもの
作 スーザン・バーレイ

出ましたアナグマさんシリーズの金字塔!死について子ども向けに描かれた絵本。私がこの絵本を知ったのは小児緩和ケアの研修会に参加したとき。死を目の前にした子どもたちが自分が死ぬことと生きてきたことの意味や自分が亡き後どのように自分が生きてきたことが残っていくのかなど、本当にわかりやすく子ども向けに書かれている絵本です。子どもが受け止める印象と大人が読んで感じることの違い(受け取り方の違い)が顕著に表れるのが絵本のいいところ。人の記憶に残るような人生を送れる人なんてホントひとにぎりなのかもしれません。しかし,なんの取り柄も持たないと思えるような私たちにだって何か生きている意味があったのではないかと考えさせられる作品。死という回避できないものにどう立ち向かい,どう自分の中に取り入れ,受け入れていくか。アナグマさんが残してくれたものについて語り合うこと癒しについて再認識できるかも。何も残していないと思っている自分自身だって,何かを与えていたりするのか!?そんな死について子ども向けに書かれた絵本ですヽ(*´∀`)ノ
アナグマさんシリーズもすごい深くてたまに読み返したくなりますのでぜひ本屋で手に取ってみてください。

この絵本カテゴリーは,まだまだどう活用していくか検討中です。
単に本棚にある絵本を片っ端から紹介していくのか,逆におすすめしてもらった絵本を読んでみた感想を書いていくのか,とにかくいろいろ試していきたいですね♪