・・・ん?あの人やたらテンション高くね?

身の回りのコミュニケーションにおいて、テンションの高い人、または高すぎる人はいませんか?

 

◆言い方がキツすぎないか?
◆この人いつか問題起こしてしまいそうだな。心配だ。
◆気持ちははわるけどそんな言い方しちゃうと問題大きくなっちゃわない?
など、傍から見ていてドキドキさせるコミュニケーションを取ってしまう人ってひとりやふたり思いつくでしょう。

そういう人はきっと「アサーティブ」なコミュニケーションが取れていないのでしょうね。

 

しかし、そのような人も決してバカな人ではありません。コミュニケーションが苦手なそのような人も、何度も失敗してきた経験から
このままじゃダメだな・・・
と気付いている人も多いことでしょう。

だけども失敗を繰り返してしまう・・・
きっとコミュニケーションを取りたい動機は人一倍あるけれども、その具体的な手段が分からず自暴自棄になってしまっている当事者だっているはず。

 

自分は上手く言いたいことを伝えていると思っていても、実際には威圧的だったり、相手を理詰めにしていたりするものです。
そう。
良かれと思って反応していることが、相手をより追い詰めたり不快にさせてしまっていることがしばしばそこでは発生しているのです!
特に主体が自分だときっとリスクも高まることでしょう。
SNSなどを見ていると、トラブルに巻き込まれそうな人って割と見かけますよね。
アサーティブに必要なのは主体を相手と自分の双方の視点から考えるということ。自分の主張だけでなく、相手の視点も大事にすること。

 

きっと自分だけが正しいことなんてないでしょ?
相手のことだってすべてわかるわけではないし、少ない時間で相手を全てわかったかのように振舞うこと自体がリスクの高いことだと気付くことができればコミュニケーションの質が変わってくることでしょう。


アサーティブな人間関係を作る訓練として、アサーショントレーニングが有名ですね。アサーションでは、実際に役割を演じさせるロールプレイを利用しながら練習・訓練をするわけです。訓練では、自身の発言や仕方や癖、態度などを再確認したり、改めたり、どんな言い方がより伝わるかを検討します。自分の思いを適正に正しくおしてうまく伝えるコツをつかんでもらうことがミソです。

 

どこでもつながれるSNSが武器にもなったり関係を悪化させる原因にもなったり。このご時世、相手の顔が見えないコミュニケーションは多く存在します。また、LINEなどの短い文章では、コミュニケーションの細かいニュアンスやディテールが伝わりにくい事も多いでしょう。今後起きうるコミュニケーションのすれ違いが誰から見ても予想されますね。

 

目の前で相手と一対一で話し合う場合でもすれ違いが起きるのに、SNSが間に入るコミュニケーションはなかなか荷が重い。SNSだからつながれるメリットも実際あるし、その距離感だからこそ話せる相手だっている。コミュニケーションのメリット、デメリットが顕著に分かり出してきた世代を私たちは生きているのかもしれませんね。

 

直接話し合うことが本当にいいのか、誰かが間に入ることでスムーズに物事が運ぶのか、メールや電話など相手が見えないからこそ程よい距離感が取れるのか。

誰に、なにを、どのくらい、どのような伝え方でコミュニケーションとをるのかなど、学校などじゃなかなか教えてくれませんよね。

社会に出て経験を積む中で学んでいては遅いですし、きっと学校教育なのでも今後プログラミングだけでなく、情操教育やコミュニケーション教育も充実してくるのかもしれないなと本題とだいぶ離れていることに気付きながらも今日はそんな〆方でございます。

 




不安解消には見捨てられ不安を振り返ろう

見捨てられ不安との付き合い方

誰しも持っている不安や傷つきの感情
喪失感や孤独感に耐え切れなくなる人もいるのではないでしょうか。
災害や人災もしかり。身近な人の死がきっかけとなり、大きな孤独感と向き合う日が来ることだってあるかもしれない。

 

そんな中で今日は見捨てられ不安にスポットを当てます。
見捨てられ不安から相手の本当の気持ちを確かめるために、「相手を試す行動に出る人」は周りにいませんか。

そこに恋愛感情が絡むと、なおさら面倒くさくなってしまう・・・
誰しもそんな甘酸っぱすぎる青春の1・2ページを持っていることでしょう。

 

試し、試され、駆け引き、綱引き。

・・・

みなさんもいくつか心当たりがあるのではないでしょうか。
(え~私は決してそんなややこしい恋愛はしていません。(棒

そんな危ういとも感じられる感情と付き合うには、少しコツがいるようです。

不安を感じながらも前に進める人とそうでない人の違いにはどういうものがあるのか。

見捨てられ不安を感じても前に進める人

相手に巻き込まれない人
不安を分離させて持っておける人
弱い部分をちゃんと人にさらけ出せる人


自他の境界線や問題の分離ができる人は、親密な関係が危機的状況になったとしても、相手に巻き込まれることなく自我を保つことが比較的可能のようです。不安を相手にさらけ出せるということは、援助希求能力(援助を適切に求められる力のこと)があるということですし、不安を溜め込まないことにもつながります。

 

見捨てられ不安を感じると反応してしまう人

白黒思考になり、相手の意見を曲解してしまう人
自分と他人の境界線が曖昧な人
自分の弱い部分をひたかくしする人

 

いわゆる早とちりしてしまい、感情のままに突っ走ってしまうタイプの人でしょう。不安を抱える器が小さく、(不安を抱える許容量が小さいという意味)不安を抱えていられない。すぐ解消したがる人がこれにあたるのかもしれません。特に弱みを人に見せられないということは、他人を信頼することが苦手だということ。自分の偏った考えが偏っているということに気付けなかったり、自他の境界が曖昧になってしまい、依存によって関係が成り立っている人は注意が必要。

 

 

 

そこには関係依存の問題が隠れている場合がある。
所詮恋愛や結婚などは、認められた共依存の成れの果てだと感じる人もいるかもしれません。確かにおっしゃる通りかもしれません。
ただ、お互いにとっていい着地点を目指すことが見捨てられ不安と上手く付き合っていくためのひとつのコツなのかもしれません。
まあ、どうせなら少しでも認められた、いい依存関係健康な依存関係を目指すことも見捨てられ不安からの脱却につながるかもしれません。

まずは、不安に振り回されないことが大切。




年に3回ほど大きな抑うつの波がくる

抑うつの波

30代も後半になってくると体のあちこちにガタがきたりすることもあるようで、それは体に限らず心に現れることもよくあります。

私の場合は抑うつ症状ではないかなと思います。
年に3回ほど強烈な抑うつ感に襲われます。

 

症状として、
あ~もう何もしたくない。お仕事休みたい。布団から出られない。体動かすのもだるい。誰にも会いたくない。静かに天井をボーっと見ていたい。今すぐ消えてしまいた。何もかも放り出したい。死にたい。etc

まあ、いわゆる診断基準にも当てはまりそうな症状がたっぷり。
ただし、その症状が継続することはなく、だいたい1日や2日寝ると気持ちがまた上がってくるようです。

まあ普通といっちゃ普通なのかもしれませんが、私にとってはこの年3回の波がとてもキツイものになりつつあります。
本来のうつ病のように一定の期間何もできなくるわけではないのですが、この抑うつ症状は、30代後半の私にとって、なかなか手強い相手となってきました。

きっとこれが長く続き、体も心も動かなくなったら本格的なうつ病などになっていくのかなとよく感じます。

 

割とポジティブ思考な私の頭の中

わたし自身、物事を深く考えすぎると頭の中がぐるぐるになってしまうことをある程度理解していますので、思考にとらわれないように日々努力しているわけです。
問題志向になっているとダメですね。
何が、どこが、なんでそうなったかなどばかり考えていると気持ちは沈むばかり。確かに原因を探る必要はあると思いますが、それに固執してしまい生き方自体が苦しくなってしまう人を多く見てきました。
解決志向でいることが精神的な安定につながると私個人は考えます。
心理療法の中では
、解決志向ブリーフセラピー(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)という分野があるくらい、物事のどの部分を見ていくことが生きやすさにつながるか書かれています。

うつ病の有病率

 

ご存知のとおり、うつ病の生涯有病率は3~7%ともいわれています。若い女性と中高年で頻度が多く、社会経済的影響が大きい病気のひとつといえるでしょう。
そうです。きっと誰でもなるのです。
そう考えるだけでも視野が広がる人もいるかもしれません。抑うつ症状がきつくなると、視野狭窄(簡単に言えば、周りがぜんぜん見えなくなること)に陥って不信感や不安に追い込まれてしまうこともあるかもしれません。今は薬物治療だけでなく心理療法もうつ病には効果があるらしく、回復するための選択肢の一つとして認められつつあるようです。

 

 

波に飲み込まれないためには

まずはひとりで抱えないことでしょうね。
人に素直に甘えるのは本当に難しいこと。
これまで自分で頑張ってきたからこそ自分でなんとかしたい気持ちがあることは確か。
しかし人に頼れなくなるどうなるのか・・・

そうです。モノに頼ってしまうのです。
いわゆる依存の始まりです。
自身のメンテナンスをするためにも、自分で解決できる問題と自分ではどうにもならない問題を理解し、区別しておくことが生きやすさにつながるのではないかなと個人的に感じています。

 

 




アンガーマネジメント~怒ってもいいんです!~

アンガーマネジメント

 

いつの間にか本屋や電車の広告などにもよく目にするようになってきたこの言葉。Anger、そう、怒りです。

どちらかというとマイナスのイメージが強いかもしれないこの言葉ですが、人間が生きていく上でとても重要な感情の一つと言えるでしょう。喜怒哀楽という四字熟語にも書かれるように、感情表現には欠かせないとても重要な感情のひとつ。

大切な感情であるはずのこの怒りは時として猛威を振るい、自分のみならず、周りに多大な影響を与えてしまうものでもあります。

ここでカミングアウト。
そんな私はあまり人に対して怒れない人です。
いやっ、怒りは感じるんですよ?
でも理性というか自我で押さえ込んでしまうタイプといいますか。
本来怒らないといけない場面でも、対人関係を優先してしまい、結局怒れないチキン野郎です。はい。

 

少し話を戻しましょう。
この「怒り」の感情と上手く付き合うことができれば、あなたの周りの人間関係は本音を言い合えるより濃密な関係になっていくでしょう。「怒り」と上手く付き合うことが人生をより良いものにしていくことを体験してみましょう。

そもそも怒りというものは~

 

なかなか言語化しにくい感情のひとつ。怒っているときは冷静さを失っていることが多く、実際何を言い放ったのかなど事細かに覚えている人は少ないのではないでしょうか。
まずは、自分が怒りを感じた状況に焦点を当ててみましょう。

さて、どうでしょうか?

自分が怒りやすい状況が見えてきましたか?

怒りを表した事実はよく覚えていたとしても、実際にその状況を振り返り、言葉のやり取りを思い出す作業ってなかなかむすかしいですよね。
ここで違う角度から自分の「怒りチェック」です!
何をチェックするのかというと・・・

その怒り、強すぎる怒りになっていませんか

その怒り、多すぎる怒りになっていませんか

その怒り、長すぎる怒りになっていませんか

アンガーマネジメントを実行していく上で、この3つは何度も振り返ります。まさにセルフチェック。

怒りをぶつけているときは冷静さは失っているでしょうが、振り返ってみてその怒りは「強すぎる怒り」になっていませんか?怒りの度が過ぎて暴力や人格を否定するような暴言に変わっていないでしょうか。あんたの怒りは妥当な怒りでしょうか。

怒りが拡散していないでしょうか?とにかく相手のいろいろなところに怒りが波及し、きっかけから遠ざかってしまっていないでしょうか。焦点付けた怒りになっていますか?

怒りは時間が経てば緩やかに収まっていくものですが、その怒りは長すぎる怒りになっていませんか?また、怒りにとらわれすぎていませんか?

このように、単に「怒り」という感情の中にもたくさんの要素が入っていることがわかります。現実検討能力が大事です。私この言葉大好きなんですよね。果たしてこの怒りはどの程度怒るべきものか、また、本当に怒るべきものであるかを精査する必要があるということです。

皆さんは私のように現実検討能力にこだわり過ぎず、心の隅に置いておくぐらいがちょうどいいでしょう。知識として知っておくことだけでなく、体験として持っておくことがスムーズな人間関係につながるのかもしれません。

とにかく

怒りの感情は大切な感情だと理解しておきましょう。自分を殺して生活していく人生ほどつまらないものはないですよねきっと。怒れない私が言うのもなんですが、主張や意見を持つことって怖いものだけど、自分の大切なものを守るために必要になるものなのだなと改めて感じました。

格言 怒る事は自分を主張し自分を守ること

 

 




依存症のフォーラムに行ってきた話~

たまの日曜日、時間がゆっくりと流れるのを感じるぐらい何もせず、ただ空を眺めたり布団の上で変わり映えしない天井のシミを数える日にしたかったなぁ・・・と夢見ながら、重い腰を上げ、車で名古屋城方面へハンドルを切っていくのです。

依存症のフォーラムに行ってきた話~

さて、割と多くの都道府県でもこういったフォーラムが活発に行われつつある今日この頃。名古屋のとある場所で依存症のフォーラムがありました。後援に新聞社が数社ついており、関心の高さが伺えます。

とある依存症回復施設○○周年を迎えるにあたり、今日に至るまでの経緯を振り返ったり、登壇者が自分の依存問題について赤裸々に話したり、失敗を繰り返してきた辛い体験などが語られ、普段感じることのないような緊張感が会場に張り詰めていました。

なかには、精神科のドクターが、一般向けに依存症とは何か?をわかりやすく説明してくれたり、当事者の周りにある社会資源の活用に向けた地域の取り組みなどが紹介されていました。

会場を見回すと・・・

 

まあ、普通じゃない人達がチラホラ(笑)依存症に関する理解がある人たちなら、ある程度そこでフォーラムに参加している人たちの苦しみや葛藤、そして依存症という病気に立ち向かいながらも「今」回復に向けて努力している姿が映し出されていることがわかりますが、多分何も知らない人があの会場に入ると、とてつもなく「違和感」を感じることになるでしょう。
依存症者の特徴といいますか。
依存症者かどうかは見ただけではわからない。と以前の記事でも書きましたが、依存症かどうかやっぱり見ているとわかってしまう人達もいるのだということ。
それもまた、この依存症問題の面白いところ。

さらに会場をじっくり眺めてみると、病院などの治療施設関係者と思われる人や、付き添いなのか当事者の家族など、様々な人間模様がそこにはありました。(実際合っているかどうかは別として)
きっと何年ぶりかに会ったのだろうという表情で再会を楽しむ人や、ハグなどでお互いの心を通じ合わせる人などなにか当事者らの癒しの場でもあるのだなと感じました。

体験から感じたこと


会場で、とある女性とお話する機会がありまして、その人は昔自分が依存症でどうにもならなかったこと、フォーラムにくることで元気をもらったり与えたりできること、そして依存症とは距離を取れているものの、今もなをつながり続けていることを話してくれました。

違法薬物、処方薬、関係依存、摂食障害、性依存。ここに集まる人たちはそういった問題を抱えながらも、その日一日を乗り切るためのミーティングに参加し続けるそうです。

フォーラムでは回復の道のりや、それぞれの紆余曲折したストーリーが語られ、とても充実した時間となりました。

 

いや・・ほんとすごい。
治療に継続することの凄さを感じましたね。

だって面倒くさいやん。
日曜日の朝からこんなところに来なくても家で寝ておきたい。
ちょっと顔を出す程度にしておこうかな。

これこそ私のセルフトーク
しかし、そんな私でもしっかりとフォーラムに参加し、身をもって体感・体験できた自分自身を褒めてあげたいですね。もちろん寝ているだけの休みの過ごし方にも意味はあるだろうし、家族サービスをする家庭だってある。はたまた自身の興味のある分野の勉強に励む人もいる中で、今日の私はこうやってフォーラムに参加できたことを褒めてあげようと思う。

当事者たちの語られる内容はそこに集まった人たちのものなので書くことはしないが、そういったミーティングなどで感じた私の所感は今後も書き連ねていきたい。

実際年に何度か一般向けのオープンなミーティングには積極的に参加する方なのでその機会があればまた書いていきたい。

 

追伸
髪をカットしました。モンチッチのような髪型になってしまいました。前髪が湿度でくりんとなってしまうこの季節。早く夏を飛ばして冬にならないかなぁ~



仮想通貨の甘い囁き~

仮想通貨の甘い囁き~

お久しぶりです。
だいぶ日が空いてしまいました。
持ち帰りの仕事があると、したいことも一向に進まないですね。
本日は仮想通貨(暗号資産)のお話です。

 

仮想通貨(一般的によく聞くビットコインやその他のコイン)の値動きが最近活発になってきてますね。私が仮想通貨を知ったのは今から約3年ほど前にさかのぼります。
とあるオフ会のメンバーが仮想通貨に手を出しているらしく、まゆつばもので話を聞いたのが最初でしょうか。仮想通貨自体はそれ以前にニュースでも聞いたことがあったものの、身近な友人が仮想通貨を保持していることで一気に興味関心が湧いたわけです。

ただし、私の性格上、投資案件などに関しては、自分で動いて調べない限り基本的には甘い話は信用しないのです。元々相手や物事を疑ってかかる性格でもあったので、以前行っていた少額の現物株(利益が出ず途中で離脱した経験アリ)ですら周りにはほとんど話したこともないぐらいでした。そんな中、割と長い付き合いをしている友人の仮想通貨話は儲ける儲けないはさておき、興味が沸くものとなりました。

出川組参戦!

 

私は仮想通貨では、いわゆる出川組
出川組とは、お笑い芸人の出川哲朗さんが一時期仮想通貨のCMに出ていてそれがきっかけでこの世界に入ってきた人達のことをいいます。
厳密にはそのCMの前には動き出していたので、実際はもう少し早い段階からの参入となりました。

 

特にお金を何倍にも増やしたい。という熱烈な欲求から入ったというよりは、「なにか投資について勉強がしたいし、トレードといってもデイトレードなどは仕事の都合もありできないし、株も以前途中離脱してしまった・・・銀行にあずけるぐらいなら何かないものか。」という気持ちだったと思います。
当時、仮想通貨の草分け期ともいいますか、知ってる人は知っている、周りが積極的に周知しているわけでもない、そんな雰囲気があったと思います。私がまず口座を開設したのがコインチェックという取引所。そうです。2018年に約580億円の仮想通貨が不正に流出したあの取引所です!
580億円ですよ!
580円を置くのではないですよ?
・・・とまあ、そんな事件がある未来など知りうる余地もなく、るんるん気分で口座を開設していったわけです。

ビットコイン

 

口座を開設して以降、実は私はビットコインをほとんど持ってないのです。え?と思われる方もいるでしょうが、割と私は冷静に当時のビットコインを見ていました。
素人目線の私にとって、ビットコインの本当の価値なんてわかるはずもなく、そこにお金を注ぐことはリスクが高いと思っていたわけです。
そして私が購入したのは、ビットコインのその他にあたる、アルトコイン(主要ではない仮想通貨の総称)というものでした。
この時期ビットコインは過去最高値を更新し、いわゆる仮想通貨バブルとなりその勢いはとどまる事を知らないような雰囲気で充満していました。

そして2018年1月から約1年5ヶ月の下降トレンドに入っていくのです・・・。

主要と言われるビットコインに手を出していなかったことが幸いし?笑、自身の持つ仮想通貨はビットコインほどは価値が下がらなかったことも今こうやって続けられているのかもしれません。(あんな高値で掴んであれほどの下落してしまったらもう撤退していたことでしょう。)

トレードの基本

 

別にこれが正しいとも思いませんが、ルールという枠組みの中で資産運用をしています。

①余剰金で運用すること

②レバレッジはかけないこと

初心者なので大まかに分けて、この枠組みの中で自分なりの投資(長く見据えた資産運用)をしていく決意で始めたわけです。

今現在のこと

 

価格が下がると仮想通貨を買い増しし、それを繰り返すことで平均取得単価を抑えながらこの2年ほど耐えに耐えてきたわけです。
そのかいもあり、現在は含み益が出ている状態。
税制の問題や確定申告に関する知識がまだ見についていない私にとって、どこで利益を確定させるかは大きな問題です。
焦るつもりはないので、この仮想通貨(暗号資産)を長い目で見守っていくつもりです(ガッチリホールド。通称ガチホ勢。)

追伸
だらだら書くのもアレなので、この話はまたの機会にでもしようかなと。今日久々にカラオケにいきました(´∀`)
高音が出にくい声になってしまいました。低くこもる歌とたまに出す高音なら自分に合っているのかも。中島みゆきさんの「糸」など熱唱して少しすっきりした土曜日です(n‘∀‘)η

 

 



メンヘラ女子の究極攻略法

メンヘラ女子の究極攻略法

 

ネット用語として生み出され、今ではもう日常会話の中に浸透しつつあるこの「メンヘラ」という言葉。当初はメンタルヘルス(精神的な健康状態)に問題がある人として恋愛や仕事、その他人間関係に多大なる影響を及ぼす人達と言われていた。
しかし、その定義は今でも曖昧で、心に何かしらの問題を抱えている女子であったり、自傷行為を繰り返す病んでいる女子、または精神科に通院している処方薬依存の女子など、おおむね「病んでいる女子(最近は性別関係なく利用される場合も)」が一般的なメンヘラの理解として定着してきたのがその経緯であろう。

 

究極攻略とは


メンヘラ
女子は、昔でいう精神科などに通院している境界例(ボーダーラインパーソナリティ障害)にあたる分類であろう。昔から言われている境界例は容姿が平均よりも上の患者が多く、また惹きつける何かを持っていることが多い。(何を基準に平均より上なのかはさておき)実際にツイッターのキーワード検索を利用しメンヘラと打ってみるとメンヘラたる何かを感じることができる。同時に自己顕示欲と自己承認欲求などにまみれ、社会の中での生きずらさを私は感じることができた。ただ、平成という元号の中で変わってきたのは、男性もまたメンヘラになりつつある流れも見て取れる。

 

攻略といっても付き付き合うことが攻略か?
回避するほうが攻略なのか?

たしにそうである。一般的な社会生活をおくる上で、自分のプライベートや仕事のやりがいなどを見出したり、少しでも豊かに生きていきたいと思うことはあっても、わざわざメンヘラという燃え盛る業火に身を投じることはどういった意味を持つのだろうか。
飛び込む本人がメンヘラに引き寄せられる体質なのか、はたまたドMなのか。それよりも人生のハードルを上げるような相手をチョイスするのではなく、回避したほうが自分のためにもなるのではないかという意見もごもっともである。

 

 

 

 

つまるところ正解は・・・

関わらない事が身のためであろう。彼女らは人の境界をいとも簡単に超えてくる性質を持っている。一般的な精神状態と神経症圏内の間の意味のボーダーではなく、神経症傾向と精神病傾向のボーダーであるということを踏まえて関わりを持たねば怪我以上の問題に発展することがある。

 

 

付け加えると彼女らの魅力とは・・・

身なりや容姿もある程度そうであるが、あれほどまでに自己表現を素直にできる彼女らは羨ましくもある。その一点においても彼女らは魅力的でるように私は感じる。自分がもし辛くなった時でも、メンヘラが選択するような対処方法などは選択肢に上がることはあまりないだろう。それほどまでに一般の人達は自制しながら生きづらい世の中を耐え忍んでいるのかもしれない。そんな中でメンヘラ達はある種いとも簡単にその対処方法を活用しているようにも感じる。以前自傷行為についての記事にも書いたが、一般人が選択しない道を進むその姿には惹かれるものがあるだろう。

 

 

攻略について

上手く攻略したと思っていても逆に攻略されてしまう人が多いのが世の常です。彼女らとともにいる上で、重要になることは、関係維持能力と巻き込まれないように適切な距離感を保つこと。そのラインを乗り越えたり壊したりするがゆえのメンヘラでしょうが、この最低限の注意点は心構えとして持っておくほうが良いかもしれない。

 

 

 

追伸
タピオカブームで行列に並んだが、あまりの時間のかかり具合に離脱しました。なぜ今そんなにタピオカが必要なのかなど、並ぶ人たちの心情を考え出したところで飲む気を失ってしまいました。ブームが落ち着いてからしっかり味わおう♪



人との会話の「間」が怖い人必見

人との会話の「間」が怖い人必見

 

人と会話をしていて、「間」ってたまにできませんか?
あれ?次こっちが聞く番だっけ?
あれ?なにこの「間」?雰囲気悪くない?
早くしゃべらないと(焦)

このように誰でもコミュニケーションにおいて「間」の取り方に困ったことがあると思います。

 

 

 

実はこの「間」・・・先に動いたほうが負けなのです(笑)

 

 

 

まぁ、負けといっても相手との勝負ではありません。
多くの人は、自分自身の葛藤に耐えられなくなり、わざわざその大切な「間」を意図的に壊してしまうのです。

 

 

 

 

そんな私もこの「間」がとても怖かったひとり

人一倍臆病で、自分から空気を壊すような動きなどできるはずもなく、事なかれ主義ではないにしろ、人間関係において敏感で、なるべく相手にも嫌な気持ちをしてもらいたくないといった八方美人っぷり。

人はあなたの事なんかそんなに気にしてないよ。
          自分の思うように生きることが一番だよ

と頭ではわかっているのに、必要かどうかもわからない勝手な気遣いを繰り返してきたのが私のコミュニケーションなのです。
見方によったら上手くコミュニケーションを取ることができているのではないかとも思われがちですが、それとはまた少し違う・・・なんとも表現しづらい。そんな感じの私のコミュニケーション。

 

 

 

最初はやっぱり「間」は怖い

そんな敏感な私ですから相手との会話では必要以上に相手のことを考えてしまいます。
「私と話ししてて楽しいかな?変な雰囲気になってないかな?」
という思いが頭を駆け巡り、「間」を無意識的に避けて質問やさっき聞いた内容をニュアンスを変えてもう一度聞くようなよくわからないコミュニケーションを取っていたことでしょう。

 

 

重要なのはまずは「間」に慣れること

まずは「間」に慣れている人などほとんどいないと思っておきましょう。実際に話し上手な人や、話すことを仕事にしている人(例えば教師とか)でさえ、授業内容に関しては知識でその「間」を埋められても、コミュニケーションの中から生み出される「間」には苦手意識を持っている人が多いと思います。
つまり、「間」をじっくり感じて楽しむことが慣れるための一番の近道と言えます。

 

 

 

「間」をどう捉えるか考えよう

「間」はコミュニケーションの中でしばしば起こりうるものと考えておいてください。その雰囲気に耐えられなくなって反応するのではなく、その雰囲気を感じることを意識してみましょう。
あなたのペースで会話していませんか?
「間」はもしかすると相手の考えるスペースなのかもしれません。
だからこそ「間」という葛藤場面をしっかりと認識することが重要。

 

 

 

 

場合によってはAKYも使ってみよう

若干死語になりつつあるAKY(あえて空気を読まない)。
コミュニケーションは双方向の力を利用します。
こちら側から出される矢印は必ずしも帰ってくるものではないかもしれません。だからそこ「待つ」ことも重要。
AKYによって相手の考えるスペースを作ったりしながら観察してみましょう。渦中にあるコミュニケーションを観察し、体験することで自分のコミュニケーションの特徴が見えてくることもあるでしょう。
たった一言であなたが周りから変な目で見られることはないように、ちょっと変な雰囲気になったとしても安心して「間」を感じ取りましょう。

 

 

 

客観的にコミュニケーションを感じられると

多くの人達がその葛藤を抱えられず、無理やり埋めてしまいがちなこの「間」に慣れることができるとコミュニケーションに余裕がきっと持てるようになるでしょう。
自分のコミュニケーションに自信が持てるようになってきたり、無理に自分の話題を切り売りしなくてすみます。相手のペースでコミュニケーションができるようになると、自然と他人の共感ポイントに気付けるようになったりもします。

 

 

最後に

「間」が怖いのではなく自分の葛藤に耐えられなくなってしまっている状況が見えてきましたか?
それを感じ取れる人はセンスがいい。
「間」をコントロールできると会話にも余裕ができる。
この記事を読んだあとには、きっと会話が待ち遠しくなっていることでしょう。相手のペースの中で自分の意見が言えるようになれば共感や信頼関係の形成がスムーズになっていきます。
もう一度タイトルを見てみましょう。
きっと「間」に対するあなたの認識は、もう以前とは違うものになっているはずです。

追記
少し自己啓発的な要素が含まれる文章構成になってしまいましたね。
書き方なども含めていろいろチャレンジしていきたいです。
需要があればこういう内容のものも書き留めていこうかと考えています。