働く女性、ひきこもる男性

「寿退社」という言葉が当たり前のように使われ、女性は結婚とともに家に入るという時代はとうの昔に過ぎ去り、社会保障の枠の中で、育休などを活用しながら男性と同様の賃金形態になりつつある今日ではあるが、それでも女性というだけで待遇が変わる職場も多数あり、区別、差別の渦の中で女性性という価値観に悩み、苦しんでいる人も多いことだろう。

外に目を向けると・・・

厚生労働省の調査では、課長相当以上の役職者に占める女性の割合は12.1%だという。EU離脱に関する議論が白熱するイギリス議会を見てみても一目瞭然だ。日本とは違い、圧倒的に女性の割合が多い。先進七カ国の中でも、女性議員の割合は日本が最下位(2019)だ。

我が国より下位を見て議論する意味はあまりないと思うが、アフリカや中東、太平洋地域の小国などと同様の女性の社会進出率の中で、働く女性をどのようにサポートしていくかの議論が急務になっている。日本では女性の活躍する場は決して多くないのが現実であり、それと真摯に向き合う必要があるだろう。

行き場をなくした男性たち

必ずしも男性が隅に追いやられるというわけではないが、確実にその波は来ているだろう。それでも、そんな波など構わず自分の仕事や役割を着実にこなせる男性も日本にはまだまだいる。(と思いたい。)

ただ、その波に乗れない男性にとっては、女性の社会進出は自分の地位を脅かす驚異となってくる。

ここ最近では、ワーク・ライフ・バランスに関する意識改革が徐々になされ、仕事と育児の両立に向けて男女問わずその活用に前向きだ。また、大企業になるほど、女性管理職の活用に関して前向きであり、企業内の助成制度も充実されている。その中で男性は、果たして既存の居場所といわれるものを守り続けていくのか、それとも意識改革とともに大きな舵取りを余儀なくされるのか、そもそも男性性とはという価値観の見直す岐路に立たされているのではないだろうか。

約束された未来とは違う「今」

「男=仕事。誰よりも遅く職場いること、企業に尽くすことこそ社会人だ。」など、仕事場に長時間いることが評価の対象であったり、企業に尽くすこと=社会人という社会のスティグマが脈々と存在し、組織の風土に合うものこそが正しいという価値観の中で、男たちは高度経済成長を走り抜けてきたのかもしれない。

すがりつくということは、言い換えれば、その人にはそれ以外のものがないということでもある。これは非常にリスクの高いことであり、依存症問題にも大きく通ずる。

「依存」という言葉の反対が「コネクション(つながり)」といわれるのも納得できるように、安易に仕事に依存していた男性達は、その依存対象が奪われることに脅威を感じる。つまりは、仕事を取り上げられると、何に力を注いでいいのかわからなくなる人も少なくない。

真面目に仕事に依存していた人であればあるほどそうかもしれない。

多くの人は、なにか自分に役割があると感じられるようなものにつながっていれば、多少なりとも安心しながら生きていくことができる。しかし、それを取り上げられるということは、いわば依存対象を失うということでもある。

つまり、依存対象が仕事からアルコールやギャンブル、薬物等に変わるだけでは根本的な問題は解決しない。

「ひきこもる」は手っ取り早くできる行動だ。
だからそこ、今後も中年男性のひきこもりは上昇傾向になることが安易に予想することができる。

ひきこもることは決して悪いことではない。
むしろその時間をいかに活用して「生きがいを見出すか」が求められる。
意味のあるひきこもり男性が増えることが男性の社会進出の次の大きな一手になるのではないだろうか。




離婚にまつわるメンタルヘルス

平成30年の統計では、日本の離婚率は約35%とも言われ、3組に1組が離婚という結末をむかえている。しかし、近年では離婚の捉え方も様々で、離婚=不幸という方程式が必ずしも成り立つわけでもない。

そもそもどうやって離婚するするのか?

離婚に関しては、主に3つのルートが存在する。

 

①まずは、当事者同士の話し合いの結果、お互いが納得した上で署名捺印を交わし、離婚届を提出する【協議離婚】である。離婚届には、未成年の子どもに関する親権者の取り決めなどを定める欄もあり、婚姻関係解消に関する方向性が、当事者同士の話し合いによって取り決められた後、役所に提出することで法律的に婚姻関係が解消される。いわゆる円満離婚と言われるものだ。

しかし世の中そんなにうまくはいくものでもない。
②お互いの財産分与や子どもの親権、養育費、慰謝料など、片方が離婚に関して納得できず、家庭裁判所などの行政に介入してもらい、専門の調停委員の介入によって話し合うのが【調停離婚】である。お互いの性格の不一致や価値観や生き方そのものの捉え方などが原因にも挙げられ、当事者同士では平行線のまま関係がより悪化の一途に向かうこともよく聞く話だ。

③弁護士や行政機関などによる第三者が介入したにも関わらず、調停が成立しない場合、裁判官等に判断してもらうのがいわゆる【裁判離婚】と言われるものだ。裁判では、財産分与に関して細かい取り決めなどが数多くあり、預貯金だけでなく、夫婦関係でお互いに協力して築いてきた財産に関しても分与の対象になる。また、子どもの学資ローンや住宅ローンも財産分与の対象になってくることから、弁護士等の第三者が介入しながらその取り決めについて明確にしていく。離婚成立まで長時間、長期間かかることも多く、そのストレスは男女問わず重くのしかかる。

主な流れとしては、協議離婚<調停離婚<裁判離婚となるほど労力が増え、生活面や仕事面、そしてメンタルヘルス面にも大きな影響を及ぼすことが容易に想像できる。

メンタルヘルス

離婚手続きでは、相手の言い分なども考慮に入れた今後の見立てについて話し合う。時に相手の感情を逆撫でてしまうことがあったり、反対に人格を否定されるような言葉に晒されてしまう。
そういった面で、自分にとって味方となってくれる相手を見つめておくことは精神的な安定につながるだろう。専任の弁護士だけでなく、【法テラス】などの無料相談などを活用しながら一人で戦わないことが重要と言える。

弁護士ごとに着手金や成功報酬による報酬規定を定めているところもあり、見積もり等をとっておく必要がある。なかには離婚を専門とするカウンセラーと連携をとりながら、離婚までの長い道のりをサポートしてくれるところもあると聞く。

最後の一歩が踏み出せない

離婚を考える多くの女性(今回は女性側の目線から)が自分の我慢を低く価値下げしてしまう傾向がある。価値下げとは、自分がこれまでしてきた努力や我慢を『私が我慢できなかったから離婚に至ってしまった。』と自己評価を低く見積もってしまうことだ。特に2007年以前は、年金分割制度が整備されておらず、離婚したくても夫が加入している厚生年金などを受け取る土壌が整っていなかったためか、泣き寝入りするように我慢を虐げられていた女性も多くいただろう。

その反面、こうした年金分割制度ができたからこそ離婚率の上昇も考えられており、リ・スタートを切りやすくなっと捉えるか、結婚の価値観が変わりつつある現状が伺える。近年多く取り上げられている熟年離婚の背景には、相手の親の介護に関する負担意外にも、このようなお金の事情があるのかもしれない。

【自分の押し殺して我慢を貫き、最後まで離婚せずに一生添い遂げる】ことは現代ではもう通用しなくなっているのかもしれない。もちろん結婚・離婚の価値観はそれぞれ持っているものであり、どれが正しいとか間違っているというものでもない。

自分の人生を自立して歩くためには、相手に依存し過ぎず、自分で立ち上がる決意と行動力が必要となり、きっと離婚に至る経緯には、計り知れない心理的な負担が積み重なってきたのだろう・・・。

離婚によるリ・スタートに失敗しないコツ

■メモにまとめよう
■子どもがいるのなら養育費について計算してみよう
■ふたりの資産とはなにかまとめてみよう
■離婚の理由が相手の過失(暴力や不貞行為、ギャンブルなど)である場合、経緯を記録する
■荷物をまとめ身軽になる
■問題をひとりで抱え込まず、助けを求められる相手を確保しておく
■心理的負担を低く見積もらない

まとめ

長距離走と考えながら、一緒に伴走してくれる信頼できる相手を見つけ、しっかりと自分の生き方全体を見つめ直す機会となれば離婚も決して悪い結果になるわけではないだろう。もちろん離婚することをやめる道だってあるわけで、保留や棚上げしておくことだってできる。選択肢は多くあることに気付くことができれば広い視野で相手と向き合えるかもしれない。

あなたがあなた自身でいられるための選択肢を選ぶのだから、そこに間違いはないと思うし、自分の気持ちを大切にすることがなにより大切だと思う。

ふと離婚に関するメンタルヘルスについて記事が書きたくなった令和一発目の記事でした。今年もよろしくお願いします。




ギャンブル依存症は病気か自己責任か。保険適用のメリットとは。

結論としては、ギャンブル依存症は病気といって間違いない。

日本には、法律によって定められた競馬や競艇、競輪、オートレースといった地方公共団体による公的に認められたギャンブルが存在する。また、現在カジノを含む統合型リゾート施設の開業に向けて、都道府県が誘致に名乗りをあげている最中にギャンブル依存症の治療を保険適用させる動きが活発になってきている。

依存症治療で有名な国立病院機構久里浜医療センターの調査では、強い依存性が疑われるギャンブル依存症患者の暗数は全国で320万人にも上るとも言われており、日本人のギャンブルに対する捉え方を見直す時期に来ているのかもしれない。

最近は、店頭ののぼりやCMが少なくなったものの、日本にはパチンコやパチスロといった法律的には賭博に含まれないグレーな遊戯を重ねる事によって日々ギャンブル依存症者が量産されているともいえる。法律の規制の範囲の中での遊戯だからといって油断は禁物なのだ。

■ギャンブル依存症は行為障害に分類され、診断基準には、
①興奮を得たいがために掛け金の額を増やす
②その行為を中断させられると落ち着きがなくなったりイライラしたりする
③制限をするにも関わらず、その枠を超えてしまう行為が伴う
④感情が一時的に楽になる機能をもつ
⑤嘘や言い訳が多くなる
⑥日常生活に支障をきたす程にコントロールを失ってしまう
などの特徴が、数個あるだけでも病的ギャンブルになってしまう。
(診断基準の詳細は省略

最近では、ニュースなどで加熱過ぎるほど取り上げられる覚せい剤問題を筆頭に、アルコールやギャンブル、ゲームといった多くの依存問題に焦点が当てられている。次の対象になるのは、潜在的な依存症が多いとされるギャンブルに向かう世論の流れはある意味至極まっとうな流れともいえるだろう。

自己責任では語りきれない当事者たちの苦しみ


先程もいったように、ギャンブル依存症は病気と扱って間違いない。一旦依存症になってしまうと、その行為を止め続けない限り回復していくことは困難になる。ブレーキが壊れた車が壁にぶつかるまで止まらないことと同じように、回復に向かう当事者たちは、自分のギャンブルが病的であることを理解している。

一度行動に走ってしまうと外からの力が働かない限り、もう止められなくなってしまう。まさにここに病気の根深さが感じ取れるだろう。

お金があればあるだけ使い、なければ金策に走り、ギャンブルに勝てばもっと勝ちたくなり、負ければその負けを取り返すかのように勝負にこだわる。
まさに、こういった過程で病的賭博が形成されていくのだろう。

回復するためには治療が重要

未だに依存症は自分の意志で何とかやめていけると思っている社会が多く存在する。実際に強い意志でやめ続けている人達が居ることも事実であるが、当事者たちは意志だけではどうにもならないことを理解している。

日常生活において、彼らの前には、その行動(ギャンブル)につながるきっかけが山ほど積み上がっているのだ。コンビニの雑誌しかり、一万円札を見るというそんな単純なきっかけでさえ欲求が入ってしまう。

それらの欲求と戦うには意志の強さだけではどうにもならない。
専門治療施設につながることや自助グループへの参加が回復には大きな助けとなるにも関わらず、当事者やその家族などは意志の力に固執し、依存問題を更にこじれさせてしまうことが多い。

社会資源についての理解が乏しいだけではなく、依存問題を自分たちで収めようとすればするほど問題は複雑化する。
精神保健福祉センター
そもそも↑の様な社会資源を知らない人も多く、そこにたどり着くまでに多くのものを失い、つながる気力すらなくなってしまうのだ。

保険適用は賛成?反対?


タイトルにも書かれているとおり、依存症治療における保険適用をどう考えていくかが課題となっている。

国民の大事な税金なんだぞ!自己判断でギャンブルを楽しんでいる奴らになんで税金が投入されなければいけないんだ(怒)

まぁ、おっしゃる怒りはなんとなく理解できる部分もある。しかし、今回の医療保険適用に関しては、「集団治療プログラム」などを対象に検討が進む。

今後この「集団治療プログラム」の定義も含めて議論がなされるのだろうが、いわゆる院内のミーティングをより構造化し、治療として取り入れる流れが厚生労働省としてあるのかもしれない。

社会の中で、依存症の回復に向けて、自助として活動している多くのグループ(AA、NA、GA、SA、OA、EA、CoDA)が回復に大きな成果を出しているモデルを、今まで以上に医療の中に取り入れ、回復の一助として活用する流れには大いに賛成できる部分はある。
同時に、自助グループであることの強みがなくなってしまわないかという不安もこの保険適用を考える上で配慮すべき点だと個人的に感じる。

これまでの依存症治療に関しても、保険適用の範疇であったものの、病院内における治療プログラムは施設に委ねられている部分が多かったといえよう。特に、精神科等の診療報酬加算の算定に関しては、複雑なものが多く、治療プログラムを構造的に行っている専門病院は極めて少ない印象がある。

保険適用のメリットには、精神科などで安定した枠組みの中で治療につながれる患者が増え、依存に関する社会の理解が進むことが予想される。潜在的な病的ギャンブル依存症者にもスポットライトが当てられ、相談機関や専門病院が増えるだろう。

特に、当事者の家族は相談できる機関が増えることで依存問題をひとりで抱え込まなくて済むことは大きなメリットになる。ギャンブルに関するブレーキが壊れているのだということを理解した上で当事者と向き合い、「底つき」が幾分か早くなるだろう。

また、精神科などでは、外部協力者として自助グループのメンバーが病院などに訪問し、メッセージを届けるなどの活動をしている。私自身地域で行われている一般向けのミーティングに参加した経験もあり、ミーティングを当事者やその家族に運ぶことの意味を徐々に体験を聞くことで理解してきた。

オープン・スピーカーズ・ミーティング
今、回復し続けている当事者たちだからこそ語れるメッセージが病院内に入ることは、依存症治療の大きな前進ともいえる。

では、残された課題とはなんだろうか。
専門医やコ・メディカルの育成課題や病院による患者の悪質な囲い込み問題、自助グループへの橋渡しなどの連携課題、社会復帰を見据えた外来治療の構造化など考え出せば多くの課題が浮かび上がる。

まさに、保険適用に向けてこれらの課題を丁寧に説明できるよう議論すべきであり、慎重な検討と現場の声をすくい上げる必要があるだろう。

まとめ

カジノ事業を誘致するための小手先の依存症治療の保険化だけは避けてほしい。その他にもTwitterなどでは、タバコやギャンブル依存症は保険の対象になるにも関わらず、不妊治療や妊娠出産の保険適用に関してまず手厚い施策が必要なのではないかというツイートがバズっている。

また、ギャンブル依存症だからとひとくくりにまとめてしまうと問題の本質を見失ってしまう。依存問題の背景にある疾患にも目を向け、主治医をはじめとするコ・メディカルとも連携していくことが大事な過程であり、その先にある自助グループにつながれるまでの流れをモデルにするなど、今まさに回復し続けている人の力が大きな財産になるだろう。

もちろん依存症は病気であり、治療すべき対象ではあるものの、限りある財源の中から優先順位や今やるべきことをまともな大人たちが議論する必要があるだろう。




自首は回復への遠回り。ホリエモンの正論がポンコツ杉村太蔵をメッタ打ち

日曜日の朝のアニメ帯が終わり、将棋番組がひと段落したところでいつもTBS系の情報番組「サンデー・ジャポン」を見るか、フジテレビ系の「ワイドナショー」を見るかで迷う。先週から引き続く沢尻エリカ容疑者の話題が挙がるだろうと思い、今日は「サンデー・ジャポン」にチャンネルを合わせたわけだ。

よくぞ言ってくれた!ホリエモン!


ひとしきり沢尻エリカ容疑者の過去の友人関係、現在のクラブ事情、よくわからない関係者のインタビューが紹介され、MDMAがどんなに怖いものであるかという印象を与えた上で、スタジオに意見を求めるという構成。

芸能界に薬物汚染が蔓延しているかのような口調でナレーションが入り、「某デザイナー」や「某女性タレント」といった視聴者の想像を駆り立てるような煽りをしながら薬物のルートや疑惑の人間関係に話を持っていく。

 

そこで口火を切ったのがポンコツの杉村太蔵だ。(割とキャラは好きなのだが・・・)
「薬物を使用している人は、自首してちゃんと反省した上で治療に結びついたらいい」

一見まともな意見だと感じるが、ここに大きな隔たりがあることにお気づきだろうか。
そこですかさずホリエモンが言い放つ。
(薬物を)やめるのはいいけど、自首しろっていうのは言いすぎだろ。
ホリエモンのこの言葉は、まさに今薬物依存症で苦しんでいる人たち側からの視点を取り入れている言葉だ。彼ら彼女らにとって「自首する」ということは、社会から排除されることとイコールなのだ。
加えて「自分でやめればいいんじゃないか」という言葉を添えており、治療の必要性と捕まるだけでは解決しない薬物問題の根深さをうまく表現した言葉だと感じた。

沢尻エリカ容疑者のテレビ復帰に関して、ポンコツ杉村太蔵の「法を犯した人に対して、厳しさを示すこと」に対して、ホリエモンのツイッターでは「一発アウトとかおかしいでしょ普通笑」と真っ向から否定した。
ホリエモンTwitter引用
厳罰化すりゃ犯罪減るって思うのは浅薄だし、厳罰化は社会を不自由にする」とした上で、「そもそも、ある程度麻薬などは合法化したほうがいいのに」と激論を交わしていた。
Twitter引用の後半のコメントについては別の記事で取り上げるとして、厳罰化=犯罪減少が必ずしもそうでない部分は大きく共感を覚えた。

実は治療過程では自首は遠回り

ポンコツさんが放つ感情論だけでは依存問題は解決に向かわない。やはりこの依存問題に関しての議論は避けて通ることはできず、根拠となるデータと当事者たちの声を取り入れた支援の在り方を思案すべきだろう。
実際のところ、薬物問題は司法的な厳罰を与えると本人は治療から離脱してしまう。もちろん犯罪を犯したのだから罪は償わなければいけないのが法治国家というものだ。

しかし本当にそれは本人のためになる施策だろうか。

彼らが自首して治療から離脱してしまうことでさらに社会復帰が困難になることをマスコミは考えない。
ただ、そういった社会資源に助けを求めることが苦手な本人たちの特性と受け入れがたい社会全体の問題も背景には隠れているのも事実。

番組の中でデーブスペクターが話していた「海外では、違法でありながらも刑罰から外すという取り組みもしている。ただ、販売人は捕まえるというシステムも国によってはある。」こういう事実なども含めて、薬物依存全体についての施策がより当事者たちに沿ったものになることを期待する。



睡眠時間を返せというやつほど普段普通に寝ない説

ショートスリーパー気味の管理人です。平日は4時間半サイクルの睡眠でなんとか乗り切っているのですが、今回はそんな睡眠に関するお話。睡眠の質や覚醒障害に関する注意と近年多いスマホとの付き合い方や治療に至るまでについて取り上げます。

睡眠の質はこうやって崩れていく

睡眠の質は成長とともに変化するものであり、小さい子どもと大人では意味が大きく異なってきます。特に思春期の安定的な睡眠は、精神疾患の予防に役立ったり、成長ホルモンの促進との関係が深いことがエビデンスで示されているところでもあります。小学校低学年の睡眠時間は比較的長く、20歳を過ぎるにつれて平均7~8時間睡眠に安定していくと言われています。身体と脳をじっくり休めるためには、一定の睡眠時間の確保が絶対的に必要ですね。
ひとことで不眠障害といっても、寝つきが悪かったり、睡眠時間が確保できず中途覚醒してしまったり、早朝覚醒や熟睡できない質の問題など、多くの分類が実際のところはあり、一般的に「不眠」と呼ばれるものは、睡眠に関するリズムが崩れている状態を指します。
近年では、大人に限らず、子どもでも不眠に関する悩みを持っています。未就学児の睡眠指針などでは、子どもも大人と同様に睡眠に関する疾患に罹るリスクを抱えており、適切な診断には専門的な診察や検査が必要となったり、医師や医療機関につなぐ必要性を示しています。仕事や学校などの日常生活に支障をきたす様な睡眠になっているのであれば、そこには大人だろうが子どもだろうが大きな違いはなくなってきているようです。



スマホ、PCなどが不眠を後押し?

夜遅くまでスマホやタブレット、PCの前にいないだろうか。
私はYESです。
むしろ仕事も含めると一日の大半の時間が画面の前にいることになる。好きなことをするには時間が無限にあっても足りない。一日24時間ではとうに足りないと思う人も多いのではないでしょうか。「暇ですることがない」という人の気持ちがあまりり理解できない管理人です。時間は自分で作るものだと昔誰かに聞いた覚えがあります。
確かに正論だ。それもよくわかる。
自分がもっと時間の使い方が上手ければ好きなことにも時間を使えるのにと思いながら日々モヤモヤする日々です。
そこで白羽の矢が立ったのが【睡眠時間を削ること】です。
もしかすると同じような考えの人も多いのではないでしょうか。
時間がないから睡眠時間を減らして自分の好きな事に使おう。という浅はかな考え。
それでも私の生活のスケジュールを考えると睡眠時間を減らした方が効率よく時間が回る。
だからこそ甘んじて睡眠時間を減らすことを受け入れているというところでしょう。

医療につながってみて


こんな管理人ですが、学生時代不眠に悩まされ近所の心療内科に数回通った記憶があります。初診を終え、睡眠の質について主治医と話し合い、睡眠・入眠導入剤を処方してもらいました。たしかマイスリーだったと思いますが、そうい類の処方薬をこれまで飲んだことがなかったため、最低量を処方されたと思います。
マイスリーは、超短期間で作用する睡眠・入眠導入剤で、効果の早さが特徴です。眠気が翌日に残りにくいのも特徴で、寝付きが悪い人に処方されることが多いのだとか。実際の処方された睡眠薬を飲んでの感想は・・・

【すごい効いて怖い】が率直な感想。

寝付きの悪さに困っていた当時は、何度かお世話になったものの、継続して飲まなくなったのを覚えています。
精神科や心療内科で処方される薬剤の効き目を実感した体験でした。
しかし、同時に医療につながる大切さも体験することができたのもいい経験で、睡眠薬が必要な患者にとっては、この一粒でその日が眠れるのも大切な医療なんだな再確認できた。
管理人の場合は、その後睡眠に関しては、薬物療法に頼るのではなく、根本的な睡眠の問題を精神療法や心理療法の中である程度折り合いをつけることになったため自然とお薬からは離れることができました。
治療に関するお話はまた次の機会にでも。
早めの受診が大切ですね。

10年ほど前に標語で、「お父さん、眠れてる?」という言葉がありましたね。
あのように気軽に睡眠について話せる雰囲気が生活の中で出来るといいなと思いながら時間を見るともうすぐ2時!!!
明日のためにもう寝ます。


芸能界はもうズブズブ!?薬物汚染と回復と

ここ最近、芸能界の薬物汚染があらわになってきている。大麻取締法違反で懲役6月、執行猶予2年の判決が出た、KAT―TUNの元メンバー田口淳之介被告や、薬物依存症者向けのリハビリ施設「日本ダルク」の職員でもある田代まさし容疑者が覚せい剤を所持していたとして、覚せい剤取締法違反で逮捕されたことは記憶に新しい。そして、ここに来て女優の沢尻エリカが合成麻薬MDMAを所持していたとして、麻薬取締法違反の疑いで逮捕され、本人も自分のものであることを認める供述をしているという。果たして、なぜこうも急激に芸能界で逮捕者が続出するのか。それほどまでに芸能界に薬物汚染が広がっているのか、はたまたこれは一時的なものかなどをゆるく触れていきたい。


MDMAってなんぞや

化学構造が覚せい剤と類似しており、覚せい剤にも似た効能を人体に及ぼす合成麻薬の一種であり、興奮作用やLSDのような幻覚作用を特徴とする。基本的に錠剤であり、「エクスタシー」や「バツ」、「エックス」などアンダーグラウンドで多くの呼び名がつけられている。また、MDMAはセックスドラッグとも呼ばれ、性行為の際に使用されることもあり、副作用があるにも関わらず、強い快感を求めて若者を中心に広がる傾向がある。副作用は心臓や肝機機能障害といった身体的なものに留まらず、精神錯乱状態になったり、記憶障害を併発したりするなど、深刻な精神的ダメージを人体にもたらす。効果は数時間ほど持続され、注射などの専用の器具がなくても摂取できるため、どうしてもハードルは低くなってしまう。その背景には「注射は危ない、やばい」といった固定観念が存在するのかもしれないが、MDMAは麻薬及び向精神薬取締法により罰則があり、あたりまえのように違法で処罰の対象になる。単純所持だけでなく、譲渡や営利目的などによっては、さらに重い刑罰が課せられるのが薬物事犯の特徴でもある。このように、薬物事案によって法律が若干違っていたり、刑罰の重さも違ってくる。「友達の物を持っていただけ」では済まされないのが現在の薬物事情とも言える。

依存性と回復


MDMAなどは、ヘロインやアルコールに比べると依存性は低い。
以前の記事でも書いたとおり、
精神依存と身体依存について 依存にはこの2つの課題が大きくのしかかる。また、MDMAは覚せい剤と同様に、身体依存はほとんど形成されない。沢尻エリカの逮捕前日の映像を見てみるとわかりやすいだろう。
一見普通に見える。
実際そうだ。手が震えるわけでもないし、精神錯乱状態にも見えない。身なりはとても気遣っており、誰がこれを見て違法薬物を使っているだろうと思うだろうか。

しかしそれは安全を保証するという意味ではない。

多くの人達は勘違いしている。

依存問題は表面に現れにく。この「精神依存」がとても厄介であり、一度形成された「精神依存」は、治療を行っていかなければ回復できない。「薬物を使いたい気持ちはゼロにはできないが、その気持ちを持ちながらも、使う以外の選択をしていきながら回復していくことは可能だ。」ということだ。近年、刑罰よりも治療に重きが置かれてきているのも現代の流れとも言える。

では果たして彼ら彼女らの回復とは一体何なのか。
それは専門機関で治療するとともに、芸能界にももどる居場所を作らなければいけないということだと思う。彼らの活躍の場所を奪ってはいけない。孤立させることは、彼らの回復から遠ざかることにつながる。報道に関しても十分気をつけなければいけない。

薬物報道ガイドラインでは、報道において避けるべきことなどが盛り込まれている。
■「白い粉」や「注射器」などのイメージカットを用いない
■著名人の薬物依存に陥った理由を憶測し、転落、堕落の結果使用したという取り上げをしないこと
■その人の雇用を奪うような行為をメディアが率先して行わないこと
■スクープとして取り扱わないこと
など、一部抜粋するだけでも重要なことが書かれている。

彼らを正当化する気はないが、彼らは人を傷付けるようなことはしていない。しかし、彼らのそばには薬物などがあったことは事実であり、様々な経緯を経て使用に至ってしまったのだろう。単純な快楽目的の使用ではなかったかもしれない。やはり憶測だけで相手を傷付けたり、排除するような社会では回復につながらない。

彼らに今必要なのは安心して治療に向き合うことなのかもしれない。
依存を抱える人たちに共通するような【生きづらさ】が伝わって来る限り、このような依存に関する記事は書き続けたい。



暴言吐きやすい人必見!その一言を変える認知行動療法って?

管理人は暴言は吐きません。いやっ、むしろ「吐き方がわからない」といったほうが正しいでしょう。言葉が出るよりも先に多くのことを考えてしまう。「この人にこの言い方はきつくないか」、「さすがにオブラートに包んだほうがいいよね」、「後でやんわり伝えておこう」などと思ってるうちに言いそびれてしまうことが多々あります。暴言吐けない私は実は上手く自分の中で処理できているのか、はたまたただ単に相手を責められないチキンなのか、そんなところを掘り下げていきます。

感情と上手く距離感を保つためには


「感情的に相手に暴言を吐いてしまった」、「感情にとらわれて気持ちが落ち込みどうしようもなくなってしまう」など私たちの生活には多くの感情が関わってきます。いい感情に包まれているだけが生活ではありません。むしろ、生活の中には負の感情の方が多いかもしれない。しかし、負の感情にあまりにもとらわれていては何もできなくなってしまうからこそ、人はもがき、あがきながら対処方法を探し続けるのだと思います。
その対処方法が良いものであれば、それはあなたを助けてくれる良いコーピングとなる一方で、誤った対処方法は、気持ちをさらに負の方向へと押しやってしまいます。あなたの対処方法は果たしてどちらなのか。
「イライラ」、「不安」、「落ち込み」など自分にとって受け入れがたい負の感情にも、実は役割があるのをご存知ですか?これらは、いわば危険なサイン。自分自身をこれ以上追い詰めないために脳が感情として信号を送っているわけです。
そこで重要なのは、自分の感情の出どころを探す作業です。
「なんでこんな感情が出てくるのだろうか」、「なんでイライラしているのか」などの考え方の癖について深く取り扱うことが認知行動療法でも用いられることのひとつ。



認知行動療法ってどんなもの?

詳しくは違う記事で取り上げますが、認知行動療法とは、自分の考え方のクセに気づいてその対処方法を具体的に考えていく作業です。感情の出どころはまさにそれぞれの経験に基づいたものなので、「イライラの下(無意識)にある自分の考え方」や「気分の落ち込みにある背景」について語ることも治療のひとつになります。話は戻りますが、以前のアンガーマネジメント~怒ってもいいんです!~でも感情は無理に押さえつけなくてもいいといいました。ただ、重要なのはその出し方。感情にとらわれた怒りになっていたり、強すぎる怒り、長すぎる怒りになっていないかを見直すことが大事と言いました。大切なものを守るためには怒りを適切に表出させる必要もあります。そこで重要となるのがこの感情との距離感です。

インファイターだけではノックアウトされますよ


ボクシングをご存知ですか?ボクシングの戦うスタイルにインファイターとアウトボクシングという型が存在します。前者は相手との間合いを詰めてなるべく小さく、コンパクトに、内側から相手を攻めていく一方で、アウトボクシングは、全体を見回し相手が踏み込んできても身体をかわしながら距離を保ちつつじわじわと外側からダメージを積み重ねていくスタイルのボクシングです。(素人解説ですいません)感情と距離をとる上で、このバランス感覚が最も大切になってきます。

インファイターは、いわば自分の考え方や感情の出どころをガシガシ掘り起こしながら自己内省を深める作業。
一方でアウトボクシングは、客観的に分析したり、状況や感情に巻き込まれないように俯瞰しながら関わる作業。

暴言をよく吐いてしまって困っている人は、この両方の作業を行ってから言葉にすることで人間関係がスムーズに行くことも!?感情なんてどうにかできるものではないと思っていませんか。世の中には持って生まれた才能や裕福な環境によって人よりも優位な条件が整う人だっています。生まれた環境はその人に多大な影響を与えるでしょう。
しかし、環境だけが人間を作るわけではありません。重要なのは、変えられない環境と努力によって変えられるものだってあることに気付くことが第一歩。これを見ている人に伝えたいのは、この変えられる部分を一緒に変えていきませんかということ。そして、認知行動療法に少しでも興味を示してくれる人が増えればなお嬉しい。ぜひ自分の認知に少し触れてみませんか。

ホワイトニングも歯磨きも歯茎マッサージも1本でできる【Shiro`s(シローズ)】

解離したら依存症と自傷行為が治った件

なんかタイトルが安っぽいアニメ小説みたいな感じですね。

解離症状を持つの人の多くが、幼少期などから過酷な生育環境に置かれていたということが往々にしてある。もちろん本人にとって衝撃となる出来事がきっかけで解離が維持され苦しむ結果となるのが通説ではあるものの、生育環境にも大きな特徴が見い出せるのではないかと解離症状を呈する人たちを見ていてよく感じる。仮説としては、生育環境と解離症状にはなんらかの関連があるのではないかということだ。
「切っている間は痛みで何も考えなくてすむ。」
「処方薬を過剰摂取していないと落ち着かない。」など、自傷は時に何かを癒してくれることがあるそうだ。
しかし、これはなにもメンタルが病んでいる人に限ったことではない。私たちでさえも、なにかに依存していると安心できることは日常生活にたくさんある。目に見えた傷として表現しないものの、自ら理解しながらも危ない方法に追いやっしまってはいないだろうか。

生きていくのはツライよ

幼少期の親からの虐待、ネグレクト、学校などでのいじめ、助けを求めたが誰も助けてくれない見捨てられ体験、心理的・身体的・性的暴力などの被害体験、また、恐怖や恥なども外傷体験として心に傷跡を残す。自殺未遂や自傷行為を繰り返す子どもたちにも共通する一種の「解離せざるを得ないような苦しい体験」がそこにはあるのかもしれない。
自傷行為を繰り返す者は助けを求める力が若干弱い気がする。
「援助希求能力」がまさにこれにあたる。
それは、裏を返せば、「自傷を繰り返す人達は、一人で問題を抱え込みながら必死で真面目で愚直に闘っているともいえる。」
以前の記事でも書いたとおり↓
間違って自死に至る病~リストカッターケンイチ

たとえ選択肢は間違っていたとしても、生きるためには自傷が必要だったのかもしれない。
多くの外傷体験を一人で抱えておくのは決して簡単なことではない。
だからこそ、その痛みを感じなくさせるためにも「解離」は必要になってくる。



解離とは

自傷行為にはたくさんの効果があり、その内の一つがここにいるのだけれどここにいない感覚を味あわせてくれる。
まさに離人感。
自傷を繰り返す多くの当事者が、この解離状態を何度も経験しており、生き抜くために「切る」選択肢を積極的に選ぶ者もいるぐらいだ。現実と切り離してくれるこの効果は現実と向き合わないですむにはちょうど都合がいい。解離することで何かが解決するわけではないが、今その瞬間の辛さからは解放してくれる。まさに依存の問題が背景に隠れているのだろう。
この記事のタイトル回収をするためにはその部分にも触れておく必要がある。
タイトルの通り、「解離」しているときは何も考えなくてするのが解離のメリットともいえる。
各々が抱える問題を一時的にでも棚上げしてくれる「解離」にはとても甘い魅力が醸し出されている。
結論を言えば、「とっとと解離しちゃえよ、YOU!」ということだ。
今この瞬間を生き抜くための解離であれば、それは一つの大切な対処法になりうると私個人は思う。
ただ、十分理解しておかねばならないことは、
①医療機関や他の専門家にはつながること
②解離してしまう自分を正直に話すこと
これらが大事。

なにも自傷することが解離ではない。
何も考えなくていい状態や今ここにいるけれどもいない感情を自ら作り出してやることがいい「解離」につながる。
それは何かに没頭することでもいい。
嫌なことから逃げていい思考を頭の片隅にしっかり持っておくことが生きづらさを少しだけ解消してくれる。

 

追伸
個人的なお大きなイベントが落ち着きましたので記事更新頑張っていきます!
あとダイエットも継続中。
7月からやりだして7キロ程減量中。
ゆっくりじっくり絞っていこう。今日一日継続することが大事。

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