エナジードリンクやニコチン依存にいかに立ち向かうか

若者のエナジードリンク等の依存問題に関心を持っている人はきっと多いはず。「元気の前借り」とも言われ、試験勉強に集中するために飲んだり、ここぞという場面に備えて飲む人もいる。

エナジードリンク依存のリスクについては、新聞等でも広く取り扱われており、その危機感は年々広がり、そして増しつつある。

また、タバコに関しても、エナジードリンクと同様に気持ちを落ち着かせたり集中力を上げる効果を求め使用する人らも多いだろう。タバコ業界がいくら下火になっているとはいえ、その市場規模は未だ大きく、本来のタバコは形を変え、加熱式タバコなどというものに時代は変わりつつある。

30代も後半に差し掛かろうとしている私にとっては、若い時代によくお世話になっていたのがこのタバコ。最近ではコンビニの端の方でひっそりと売られており、世間の禁煙の流れがこんなところにも現れているようだ。当時吸っていたマルボロメンソールライトやハイライトもあまり見かけなくなった。

タバコのやめ方講座

そうなのです。
ただ今、私は断煙中なのです。
タバコをやめだして約14~5年になります。

ここで注意して欲しいのが、タバコをやめたとは言っていないこと。

これは依存症について話をする上で重要な事のひとつで,完治はしないということの表れ。私自身だってそう。またいつタバコを吸うかはわからないのが現実。

ただ,今タバコを吸わなくなって14~5年が経とうとしている・・・。
15年ぶり吸うタバコは一体どんな味がするのだろうか。
ただ、今は吸う気もない。
この状態を維持していきたいものだ。

なぜやめられているのか?

飲み会などの席では喫煙者のそばにはわざわざ行かない
□パチンコのトイレはなるべく借りない
□ストレス発散は安全なものを用意する
□そもそも何故やめたかったかを再確認する
□問題志向を捨て、解決志向を取り入れる
□失敗しても諦めない

 前にも言ったように、人間強い意志を持ち続けることなんてそうそうできることじゃない。いつだって弱った時に危うくなってしまう。

そして弱った時にこそ依存がどんどん形成されていく・・
依存の反対の言葉は「コネクション」とこの業界ではいわれているように、適切な依存先を多く持っておくことが依存から離れておくには重要となる。コネ利用しながら上手く、そして賢くやめていく選択肢をみずから選んでいくことが回復につながる。

認知行動療法と言えば分かりにくいだろうが、こうやって自分のできることに落とし込むことさえできれば理解できるだろう。

メタ認知を鍛え,セルフモニタリング力を日頃から意識したり、同じ失敗を繰り返さないように工夫しながら回復の精度を上げる。

私自身タバコをやめようと思っても一度でキッパリとやめられたわけではない。
回復することを諦めることをしない限り回復の道は残されている。

エナジードリンク依存にも適用可能か?

適用可能だ
認知行動療法は万能ではないが、このような物質依存・精神依存には一定の効果を示す。実際の禁煙外来でも保険適用にもなっており、治療につながり続けることは回復する上で避けては通れないものでもある。

https://yuruiizonshou.net/tag/%e4%bf%9d%e9%99%ba%e9%81%a9%e7%94%a8/

ただし、通院すれば回復できるものではない。
ちょっと混乱するだろうが、必ず回復できるものなど存在しないが、依存問題から回復し続けている人の多くが何らかのサポートを受けているということ。

この点においては、このサイトで取り扱う他の依存問題にも共通する部分でもある。特に、現在学生のエナジードリンク依存は深刻で、カフェイン等の1日の摂取量を軽くオーバーするほどの量を飲む。

つまり乱用が始まっているということ。
コントロールしようと思いながらもコントロールできないのが依存症であり、まさにその入り口に立っているのだろう。

◆エナジードリンクは元気をくれる
◆何かできるような気がする
◆飲んだからこそできたのだ
このような精神依存こそが乱用の初期症状といえる。
翼を授かったからといって動かす筋肉がなければいつかは堕ちてしまうのだ。

まとめ

何かに頼ることは決して悪いことではない
何かに頼るからこそ頑張れたりできるのも確かだ

しかし、それに捉われてしまうのが依存の問題でもある
一度解決してくれたものに頼りたくなる気持ちも十分わかる

ただ、それに頼り切ってしまうことのリスクも考える必要がある
時には無力な自分も曝け出す場所が私たちには必要なんだと思う



「NO」が言えないのには訳がある!?依存症者はなぜ押しに弱いのか

嫌ならハッキリと「ノー」と言えばいいのに(怒)

でもね、世の中には嫌だと感じながらも「ノー」が言えない人たちがいるのですよ!
彼らには彼らなりの言えないワケがあるのです!

相手の要求をそのまま受け入れてしまうワケ

親やパートナー、友人知人に何かしらお願いされる機会は割と多い。
「ついでにお茶買ってきてよ」
「テスト前にノート貸してくれない?」
「日曜日ちょっと付き合ってくれない?」
「アマゾンギフト券ください」・・・これは断れる。

相手の要求に答えたい思いはあるものの、どうしても嫌だと感じる場合、意思表示として私たちは「ノー」を示すわけだが、「ノー」は罪悪感と仲良しだ。

心の底では相手の要求はなるべく断らず叶えてあげたいと思う反面、断ることで感じる罪悪感に悩まされる人たちが一定数いる。

そのような人たちにとって、罪悪感は非常に耐え難い感情とも言える。

つまり、耐え難い感情に耐えきれなくなり、「イエス」が結果として示される。要するに彼らの「イエス」は本当の意味での「イエス」ではない場合があるということ。

「ノー」が言えない背景

■そもそも断ることが悪いことだと感じている
■「ノー」と言うことに慣れていない
■「ノー」と言えるような環境で育ってこなかった
そもそも断ることが悪いことだと感じている
断ることで相手を否定してしまうように感じる人はまさにこれだ。
断ることを悪いことだと認知している場合があり、自分がどうかよりも相手からの評価が気になってしまい断れない。
「ノー」と言うことに慣れていない
「頼まれたら助けてあげましょう。」
「人に優しくしてあげましょう。」
など、他者との調和・協力関係が美徳と評価されやすい日本の教育の中では、断り方に関する具体的な教育はほとんどなされていないのが現状だ。断り方を学ぶ機会がないまま大人になった結果、選択肢は「受け入れる」しかなくなってしまう。

「ノー」と言えるような環境で育ってこなかった
人間関係の基本は親との愛着関係の中で形成される。
しかし、その基本が安定していない環境では子どもは安全に断ることができない。

つまり、子ども時代に自分の意思表示「ノー」を言ってきた経験こそが今のあなたを形成する。

自己中心的な関わりは例外だが、主体的に自分の意思表示を尊重された経験が少ない場合もまた「ノー」が言えなくなってしまう。

まとめ

この記事では、何もかも断ればいいと言っているわけではない。
相手との関係を考慮して、自分をその中である程度出せるのであれば妥協点として受け入れることも大切だ。

ただし、無理をして「イエス」を言い続けることで自分自身を追い詰めることはやめておいた方がいい。

特に相手の顔色を伺いながらの「イエス」はあなた自身をどんどん窮地へと追い詰める。「ノー」の意思表示は決して悪いことではないし、それで壊れてしまう関係ならば、きっとそれ以前に破綻している関係なのだと思う。

人間関係で悩んでいるときは特に視野が狭くなる。依存症患者の中には視野が狭くなることと同時に見捨てられ不安から「ノー」が言えなくなる人もいる。

自分にとってマイナスな関係性であったとしても求められることは価値のあることと頭で理解してしまう。そのため相手の要求を受け入れてしまいやすくなる。

新しい人間関係を作ることは非常に大変な作業。それゆえ既存の人間関係に固執してしまう人も注意が必要だろう。

あなた自身を大切にしてくれる人間関係、コミュニティーにいる方がきっとあなたらしくいられるだろう。

その方が生きづらい世の中がちょっとだけ生きやすくなるかもしれない。

なんか書いてて思いましたが、依存症者に限らず、多くの人に当てはまりそうですよね今回の記事。

あ〜でも見捨てられ不安から「イエス」って言っちゃう感じはわかる気がするかも。

 




アルコール依存症者必見!アルコール好きとアル中の違い

私はお酒が大好きです♪
日本酒、ビール、焼酎、ウイスキーなんでも好き⭐️仲間内でだらだら時間を忘れて飲めることは私の人生を豊かにしてくれている!

ゆるおさんお酒好きですもんね〜
ところで、酒好きとアル中(アルコール依存症)って何が違うの?

いい質問ですね。
あいまいだけどすごい知りたい部分ですよね⭐️

酒好きとアル中の境目

まずはここをチェック!

□お酒を楽しめる→酒好き
□お酒に人生を奪われる→アル中(アルコール依存症)

あなたにとってお酒はどういう付き合いになっていますか?

■普通の酒好きは・・・

お酒の耐性(肝臓のアルコール分解速度が早いかそうでないか。つまり酔いやすいか酔いにくいか)を考慮した上で、お酒を楽しめる人は一般的に酒好きといえる。

生活の一部にアルコールがあり、ストレス発散のひとつの手段としてうまく付き合っていけるものになっているだろう。

ストレスはアルコールでも解消できるし、それ以外でも解消できる。アルコールにこだわらなくても、それ以外の選択肢がいくつも存在することはお酒を楽しむために重要なキーワードとなる。

https://yuruiizonshou.net/addiction3-2/

■アルコール依存症者のお酒とは・・・

彼らにとってのお酒は、上記に示したお酒を楽しむ人たちとは一線を引く。
アルコールを中心に生活が回り、自分の人生が生きていけなくなってしまう。つまり生活の中心にアルコールが居座ってしまっている人はアル中であるといってもいい。

加えて、依存症は否認の病ともいわれ、多くのアル中は自分のアルコール問題に関して都合のいい解釈をしてしまう。

「いつもはこんな飲み方しないが、飲みすぎてしまっただけだ」
「今日は特別な日だがら」
「気分が上がらないから飲むしかない」

こういった言葉を繰り返しながらアルコールを飲むための言い訳を作り出してきた人も多いことだろう。

まさに、アルコールによって自分の生き方が奪われているという言葉がぴったりだ。

何も悲観することはない

この文章を読んでいるといくらか気が滅入ってしまうだろう。しかし、そこまで悲観的に落ち込む必要もない。

https://yuruiizonshou.net/%e4%be%9d%e5%ad%98%e7%97%87%e3%81%ae%e3%81%84%e3%82%8d%e3%81%afvol1/

以前の記事でも書いたように依存症は病気であることを理解し、受け止めて治療に結びつくことができれば、依存症は回復する事ができる病気でもある。

悲観と言い訳を繰り返し、さらなる沼に引きずり込まれないためにも自身のアルコールとの付き合い方に問題を感じる人は何らかの策を講じてみるといい。

 

コンビニ行けばいつだって手に入るものだからこそ、アルコール問題って本当に大変そう。

 

私だってアルコールに関しては、依存症の沼に半分足を突っ込んでいるとよく思いますよ。
日常生活に支障がきたしていないだけ。
そう、いつだって死神は音もなく忍び寄るのです。


※この記事の表紙には美味しそうなビールが並びきっと読んだ当事者にとっては引き金となりうることも考えられるが、是非ご容赦いただきたい。
※ちなみに本来のアル中とは、アルコール中毒のことであり、この記事では便宜上、一般人が理解しやすいように、アル中≒アルコール依存症と記載しています。





依存症のいろはvol,1

依存症の基礎知識編

 

飲んだくれて暴れたり、逮捕されたという人は周りであまり聞かないし、依存症っていまいちピンとこない。

 

薬物依存症とかアルコール依存症、処方薬、摂食障害、ギャンブルなど怖いイメージあるけど、実際周りにそんな人いないしなぁ・・・

 

依存症の人が周りにいるってあまり実感わかないですよね〜

実は、依存症って目に見えない病気なの知ってます?

 

あ、お久しぶりです。

ゆるい依存症のお話の管理人【ゆるお】と申します。

 

依存症は目に見えない病気!?

外傷があれば周りから見てもその人がケガをしているのは明らかだ。車椅子に乗っているなら下半身に支障がきたしているのか、それとも手術などで一時的に歩くことを止められているのかはある程度想像ができる。

しかし、依存症は目に見えない病気とも言われており、周りから見てもその人が依存症か依存症でないかほとんど見分けがつかない。(後遺症が残るほどの乱用を続けた場合は別)

それは一般人であろうが、医療関係者であろうが本当にわからない。それほどまでに依存症は孤独で一人で抱え込んでしまいやすい病気でもある。

ただ、その中で本人が依存症に陥っていることがわかるサインがあることも確かだ。

 

■感情の起伏が激しくなること
■多くの嘘をつくようになること

依存症の多くが、【嗜癖→乱用→依存】の過程を経ていくともいわれている。つまり、自分のコントロールの範疇でなくなっていく特徴がある。アルコールや薬物では「やめようと思っていても飲んでしまうこと」、ギャンブルや摂食障害では「今日はやらないでおこうができなくなること」病気によって症状は違うものの、依存をテーマに共通するものがある。

依存に至る過程で脳が器質的に変化してしまう。(例えるならば、生卵が茹で卵になるようなもの)だからこそ、依存問題は放置していても治らない。

治療すべきひとつの病気として捉えることが回復には必須になるだろう。このシリーズでは、依存症について広く、浅く、でも少し役立つ情報について取り上げていきたい。

なるほど。

乱用を繰り返していく中で依存症になっていくのね。ひとつの病気として考えると誰にでもなるものなのだとちょっとわかった。

ゆるおさんはどんな依存症ありますか?

 

おやっ、人の依存に興味が出てきたことはいい傾向ですね♪
その話はいつか取り上げましょう♪

おっと💦 そろそろ次の記事を書かないと。

 




なぜ自粛明けはギャンブル依存症のリスクが高まるのか

緊急事態宣言などの外的要因によって、全国のギャンブル依存症者は、概ね戦場に出ることを止められているわけだが、こうした外的要因によってあたかも依存症はコロナと同様おさまったかのように見える。しかし、実はまったくそうではない。
緊急事態宣言が解除された今、この自粛明けこそ、依存症たる問題性が浮き彫りになってくる時期といえる。

ただ止まっているだけの依存は回復とは言えない?

一般の人々の認識では、一定の期間ギャンブルにいかなければ依存症というものは完治したものだと思いがちのようだ。しかし、実際のところ、そう簡単にギャンブル依存症は治らない。以前の記事でも書いたとおり↓↓↓
緊急事態宣言中の最中パチンコに行く奴はギャンブル依存症か否か問題

ギャンブル依存症の定義には、コントロールの障害がつきまとう。

「外出自粛でギャンブルに行ってないんだから、コントロールできてるじゃん」
と一見そう見えがちであるが、彼らにとって止めることとは行ける状況でやめていくことにある。

脳内の報酬を求める回路は、自粛によって強制的にシャットダウンさせられていると言ってもいいだろう。そう、自粛が明けるということは、まさに再起動がはじまったのだ。

意志の強さなどの問題ではなく、一度脳が依存状態になってしまうと、あとは引き金から離れ続けなければ回復はしていかない。彼らにとっての回復とはギャンブルにいける環境でやめ続けることだ。

あなたがもし、依存症ではないと思うのであれば、自粛明けから断ギャンブルしてみることをオススメする。行ける状況でいかないことを選択していく苦しさを感じた時、果たしてあなたはギャンブルにいかない選択肢を選べるであろうか。

日本には公的なギャンブルもあり、法律に認められた範囲で楽しめる遊びがたくさん存在する。この記事は、ギャンブルがいい悪いと言った単純な問題ではなく、依存する心について取り扱う。

依存症になっていないからと言って安心するのではなく、誰にでも依存症はなりうると思っておいた方がより良い生き方を選択することにもつながるだろう。

依存症は、その日一日回復に力を注ぐことが治療でもあり、今日一日まずギャンブルしないことを継続していくことが回復といえる。

 




躁うつ病のサインを見逃すな!双極性障害の治療と実際

「人をまくしたて、自分が決定したことになんら確信が持てずともそれを曲げず、罵倒したと思えば自分のペースで仲直りしたと勘違いし、関係を築いては自ら破壊し、いったいあの人は何がしたかったのだろうか。いつも何かに追われているようで、止まることに恐怖すら感じている様子だった。」

隔離室の強化ガラスを挟んで、私と双極性障害(以下躁うつ病)者との出会いはそんな感じから始まりました。当時の私が感じた病気と回復についてのお話。

そもそも躁うつ病って

気分・感情が高まったり、逆に気分がズンと沈んだりと感情の振れ幅が大きく、躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気のこと。

特に激しい双極性を持つのがI型で、周りから見ても一目瞭然に活動的になる。誰かれかまわず話しかけたり、元気すぎるという理由では納まりがつかないぐらいの病的な状態がそれにあたる。睡眠時間を惜しんで何かに没頭したり、ひとつのこだわりに固執し、金銭感覚が狂う人もなかにはいる。

周りの意見など聞く耳を持たなくなり、仕事などもその場の気分・感情で辞めることだってある。躁うつ病を病気と捉えられず、自分の性格の問題と決めつけたりするなど、多くの物事に対して視野狭窄している状態。

 

双極性II型は、軽い躁状態とも言われ、数週間〜数ヶ月をひとつの流れとして、躁とうつが波のように訪れる状態の人も多い。うつ病的な気持ちの揺れ動きも主な症状の一つであり、何もしたくない軽いゆううつな気分から、布団から立ち上がれないほどの気持ちの落ち込みや、食欲低下、興味関心がなくなることも症状のひとつだ。I型に比べて、躁のエピソードよりもうつ感情が強く出る人も多く、どちらの精神疾患も中学生から中年期まで幅広い年齢で発症する病気といえる。

強化ガラス越しのあの人は・・・

怒りの感情はきっと誰に向けてでもよかったのだと思う。誰よりも偉くなったような口振りで話すあの人は、こちらを攻撃することで自分を保ち、抑えていたのかもしれない。きっと何度も再発を繰り返す中で、多くのものを失ったり壊したりしてきたのだろう。治療につながり回復に向かおうとしているあの人に、当時の私はネガティブな感情しか向けられなかった。

自己中心的に振る舞い、人を罵倒し、話題を奪い、多弁でこちらの思いなど受け止める気もなかったその人を外来の待合室で一度見かけた。

頭を伏せ、一度も顔をあげる事もなく、家族に手を引かれて歩いていたあの人の姿に、強化ガラス越しにみた面影は一つもなかった。

あの人の躁状態はきっと病気がそうさせていたのだろうと思えた瞬間だった。
思いつきで自傷行為や自殺企図を何度も繰り返していたのもきっと病気がそうさせていたに違いない。

躁うつ病の治療とは

躁うつ病は再発しやすい病気だといえる。
寛解(病気の状態がほぼ消失し、コントロールできている状態)に至るまでには長期的な治療が必要になるし、そもそも
正確な診断を受けるまでに数年以上かかる精神疾患ともいえる。

早期発見が重要な課題になると同時に、家族の協力をいかに治療につなげるかが鍵でもある。しかし、躁うつ病患者の中には、すでに家庭関係が壊れている人たちや自ら家族との縁を切っていった人も多く、家族以外のパートナーなどの協力者がその役割を担っている部分もある。

また、躁うつ病の治療には、薬物療法や精神療法が選択されやすい。
適切な治療を継続していけば、症状をある程度抑えて普通の生活もできる。一人で回復していくことには限界があるのも事実で、治療には大切なポイントが3つある。
病識を持つこと(病気に関する理解を深めること)
治療に参加し続けること
躁うつのサインに気づくこと

病識を持つこと
病識を持つことは、どの精神疾患においても大切なことである。
しかし、誰しも「あなたは病気です」と言われていい気持ちにはなれない。とはいえ、躁うつ病は、本人が自覚しにくい病気でもあり、「行動化」が顕著で、逆に言えば周りから見ると発見しやすい病気ともいえる。当事者は精神疾患の再発に気付きにくく、周囲からの声かけが回復へ足掛かりとなる。

治療に参加し続けること
躁うつ病患者の中には、自己判断で通院をやめてしまう人もいる。うつ期に入れば「行動化」は治ることから、治療につながる人も多い。躁状態の期間は、ブレーキが壊れた車のように、壁に激突するまで止まれないほどの強引さを兼ね備えている。自己判断で処方薬を止めたり、勝手に調整したりしないためにも治療への参加が回復には必要になる。

躁うつのサインに気付くこと
活動的になり、夜も寝ないで平気な状態になる。異常なまでに話し続けたり、思いつきのアイデアを誇大化させ、根拠のない自信に満ち溢れたり、性的に奔放になる人もいるようだ。要するに、躁うつ病は「行動化」しやすい病気でもある。特に躁状態に入る前には、個別の特徴的な行動が出てきやすいようで、主治医やケースワーカーなどとも症状をまとめておくと良い。

まとめ

躁うつ病は、何より医師による診断が大切だと個人的に感じる。
高まりすぎた感情に対しては、抑制的な薬物療法を用いることだってあるだろう。反対に、落ちすぎたうつ感情には、精神活動を活性化させるような対症療法が精神科にはある。

注意しておかなければいけないことは、うつ病に用いられる抗うつ薬を躁状態の患者に投与すると「さらなる躁を引き起こしてしまう」ような悪い結果にならないように診断と主治医の考えを理解しておく必要がる。

だからこそ、主治医との定期的な診察は、回復において大きなウエイトがおかれる。再発の兆候を見逃さないためにも早めの精神科への受診を勧めたい。

躁うつ病のサインを見逃すな!双極性障害の治療と実際。




ADHD講座!大人のあなたもきっと当てはまる!診断と特徴

「あれ、自分って発達障害じゃないのかな?」
「どうも周りとうまくやっていけない」
誰しも一度は思ったことがあるのではないだろうか。
特に今回は、発達障害の中でも表立って目立ちやすいADHDについて取り上げる。

そもそもADHDとは・・・

注意欠陥多動性障害(Attention deficit hyperactivity disorder:以下ADHD)とは、病気ではない。あなたが持って生まれた特性(キャラクターや人格そのもの)といった方が理解しやすいかもしれない。心理領域では、障害として幅広く説明されるものの、多くの人々が多かれ少なかれその特性を持っている。そしてADHDには、主に2つのタイプが存在する。
注意欠陥タイプ
人の話をじっくり聞くことができず
、注意散漫になったり、目移りして落ち着きがなく、うっかりミスが重なったり、人との約束などを覚えられない(忘れてしまう)など、とにかくケアレスミスが多い注意欠陥タイプ。
多動タイプ
注意集中力がなく、いつも忙しそうにしていたり落ち着きがない。思ったことを口にしやすく、周りの流れをぶった切ってまで自分の主張を述べたり、待つことが苦手で、人と深い関係に発展する前に関係悪化してしまうこともある。行動として現れるだけでなく、ソワソワと精神的に何かしてないと落ち着かない人もここに分類されるかもしれない。

さて、あなたはどっちのタイプ?

もちろん注意欠陥、多動どちらも持っている人もいるだろう。私自身は、注意欠陥の特性がやや強く、ひとつのことに集中して取り組むが、気が散りやすくその維持に悩まされることが多い。マイナスに捉えやすいこの発達問題であるが、自分自身の特性を知ることができれば、それもまた強力な力となるだろう。

 

ネットには様々な診断ツールがあり、あなたをADHDであることを後押ししてくる。
もう一度いうが、ADHDは病気ではない
ただ、その中でも「頻度と程度」には注目しながらこの障害には付き合っていく必要がある。
誰しも物を無くすし、ケアレスミスだってしてしまう。相手の話よりも自分のことを話したいし、自分中心で世界が回っていると感じていた方がとても気持ちがよく生きている実感を感じるだろう。

しかし、ADHDの人々は、その程度が顕著に現れやすい。そして、そのバランス感覚がうまくつかめない人も多いと個人的に感じる。

障害か障害ではないかを明確に区別することは難しいが、「理解しているにも関わらず、同じ失敗を繰り返してしまう」時は障害の疑いが濃くなるだろう。脳の機能的な問題も関わっていることも多く、本人に悪気はなくても障害によって当たり前のことができなくなっている状態ともいえる。

しかし、たとえ診断されたとしても発達検査では、自身の特徴とその対策について教えてくれるので安心していい。日本の児童精神科等では、WISC-Ⅳ新版K式発達検査が主に使われる。また、成人であればWAIS-ⅢやWAIS-Ⅳなどがそれにあたる。

きっとこの記事にたどり着いた人なら、自身の発達的な部分に対して多少なりとも違和感を感じている人も多いことだろう。仮に、発達障害の診断をすでに受けている人がいたとしても安心していい。

自身の特性を知り、うまく付き合っていく方策さえ掴めれば、人生は今以上に有意義になる。一番心配な人は、自分が何に困っているか分からないけれど、いつも自分の周りではいろんな出来事が発生していて疲弊している人、だと感じる。困っている当事者は、自分の状態が見えにくくなってしまうのがこの障害の特徴でもある。

診断によってカテゴリーされ、心ない言葉や差別を受ける心配もきっとあるだろうが、発達検査を受けることで自身の特性が見えてくる。そういう意味では、発達検査を受けるメリットは大きいといえる。

発達障害は一種の才能であるとも捉えられる。芸能人の中にも発達障害を公表している人が多数おり、能力を生かした仕事ややりがいを見つける上でも自己理解を深めていくことはあなた自身の視野を広げることにつながるだろう。

↓ADHDを公表した芸能人まとめ↓(外部リンク)
https://badvugum.com/youtuber/adhd-yumeijin

↓東京発達障害者支援センター(TOSCA)(外部リンク)
http://www.tosca-net.com/soudan/

↓生駒医院 発達障害とIQ検査とワーキングメモリー(外部リンク)
http://www.ikomaiin.com/index.php?QBlog-20150719-1




ゆりにゃとタイチョーから見えてくる自傷行為とタトゥーとボディーモディーフィケーション

ボディーモディフィケーション(身体改造)と自傷行為、タトゥー、刺青、ピアスそれらの表現方法には、やり方手法は異なれど、身体に傷をつけるという点で共通する部分があり、自己表現のひとつという範囲から周囲に大きな影響を与えるほどのインパクトを持ったものまで様々ある。

Twitter等のSNSでは、検索すれば簡単にその手の人たちともつながることができる。「蛇にピアス」(金原ひとみ,集英社)で題材にされた舌先を裂く「スプリットタン」は当時の私にも大きな衝撃を与えた。
とはいえ私自身は、ピアスなども開けたことがなく、また積極的に開けるに至る行動をとってこなかった。「痛い、怖い」はもちろんあるが、「一度手を出すときっと止まらなくなる」といった方が合っている。
自分を表現する手段や理想を形にしようとする彼ら彼女らの姿はとても魅力的に感じる。

ゆりにゃへの愛はタトゥーを入れることで証明できるのか

YouTubeやTwitterを見ていると、トレンド蘭からその当事者のTwitterを遡り、ことの経緯を調べることがある。また、まとめサイト情報を見ながらなぜこの問題が今起こり、バズっているのかをよく考える。今回は時事ネタを交えて自傷行為について深掘りしたい。

←要約すると、有名女性インフルエンサーであるゆりにゃ@yurinya1128さんに気持ちを寄せる斉藤タイチョー@saitou_taichouが、本人への真剣な愛なのか、気をひきたいのかは定かではないが、「入れ墨、彫れよ!!」のLINEの返信をまともに受け、指に刺青を入れる行動に出た。
リプ欄には「黒歴史確定だろこれはwww」や「どうせ後から後悔するよ」、「一時の気の迷い」などの厳しい言葉が多く、その行動に恐怖すら感じるフォロワーも多くいたという。
唯一、
彼を評価できる部分があるとすれば、「行動力」だと思う。しかし、その行動も浅はかでその真剣さも外で見ている私には全くといっていいほど伝わってこなかった。

https://twitter.com/saitou_taichou/status/1255816115625750529
↑↑Twitter詳しく見たい人はご自由に↑↑


この経緯から見ても・・・

この男性の発言や安直な行動から伝わってくるように、振り向かせるための道具として自傷(入れ墨)が用いられたことがわかる。これはタトゥーや入れ墨が好きな私からすると怒り心頭な案件である。この男性は、以前にも同じ女性に気をひくためかリストカットの画像を添えたLINEを送っていた。

相手の言うことに従順になることが深い愛情と勘違いしているのかもしれない。たとえ相手がその場の気分で言い放った「入れ墨、彫れよ!!」の言葉があったとしても、わずか9時間後に後先考えず行動してしまう人間に長いスパンでの計画性はないのだろう。

過去の関連記事↓↓

間違って自死に至る病~リストカッターケンイチ

 

入れ墨やタトゥーが悪いのではない。これをすれば相手が受け入れてくれるだろうという「甘え」に入れ墨が使われたことがたまらなく不快だった。文化的に認められるようになりつつある自傷行為」の価値観がまた地に落とされた感じがした。

20年前の日本では、ピアスやタトゥーそれ自体が非行や自傷の象徴であった。まさにこの問題を通してタイムスリップしたような気持ちになり、この男性の恋路がどうなろうと関係ないが、ネガティブなニュースとして偏向報道されないかが心配になった。