「虐待は世代間で連鎖しやすい」と聞いたことがある人もいるだろう。
コレは、実に的を得た言葉だと思う。
子どもたちに向かうそういった暴力の源となる「力」は一体どこから来るのでしょうか。また、なぜ虐待は世代を超えて脈々と受け継がれていくのか。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6384145
児童虐待の疑いがあるとして、児童相談所の通告件数が過去最多となった。近隣住民からの積極的な通告が増え始め、統計を取り始めた2004年からその件数は倍増し、10万人(児童虐待の疑いを含む通告件数)を超える事態になっている。
「身体的暴力ではないから酷くない」
「命に関わる程度ではないから大丈夫」
「躾の一環だから」
などの暴力を正当化する言葉は虐待の常套句ともいえる。いじめ問題と同様に、当事者が声をあげることが困難な状況を作り出すことも虐待の定義でもある。「ウチの家庭はそこまで酷くない」などと暴力行為を低く見積もってしまう家庭も注意が必要で、どの家庭でも虐待が起きやすいということを頭の隅に入れておく必要がある。
https://www.youtube.com/c/korekorech/videos
↑先日のコレコレチャンネルの動画でも少し取り上げられた児童相談所連れ去り案件疑惑の背景にも虐待や家庭内暴力、機能不全家族などの多くの要因も考えられる。
1:13:25〜以降の「児童相談所の闇がやばい」では、行政が抱えるもどかしさも伝わってくる。どちらが悪いと一概に言えないが、DVや虐待は形を変えて複雑化しているのが見て取れる。
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/dv-child_abuse/index.html
また、虐待をする者が以前被虐待体験を経験している割合が高いことはご存知だろうか。虐待を体験した者が虐待する側に回る。なぜ虐待は世代間で連鎖されているのか。それはきっと、虐待された当事者が癒されないまま大人になっていることが大いに関係しているかもしれない。
そんなこと言われたって、
いま苦しいのは虐待されてる私なんですけど(怒
まさにその通りで、その怒りが世代間をまたいでいるのでしょう。虐待を受けた当事者たちのケアは極端に少なく、児童相談所などの立入検査で目を光らせておくことでしか防げないケースもあると聞きます。親が意図して行政に関わらせないことを防ぐために立入検査ができた経緯もあるぐらいです。
特に、家の中で行われる虐待は隠蔽されやすい。
「モノを投げる」
「遊び半分で馬乗りになり首を絞める」
「特定の子どもに当たる」
「つねる、こつく」
親のストレス発散方法が子どもへの小さな暴力であることも事例としては少なくない。
重要なことは、虐待を受けた子どもが癒やされることと同じくらいその親にも支援が必要だということ。
だって、よく言われるでしょ?
怒ってる人は困ってる人だって。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/index.html