誤解に騙されるなっ!依存症のホントとウソ

誤解に騙されるなっ!依存症のホントとウソ

とまあ、ちまたにある依存症に関する誤解や偏見、実際のところや嘘などじっくり取り上げていきましょう

 

 

 

 

 

 

 

Q,依存症は男性特有の問題で女性はそれほど関係ない
a,明確な性差があるわけではありません。アルコールを例にとると、飲酒を開始する年齢が早い人ほど依存症になるリスクが高まるそうです。女性の依存問題は表面化しにくい傾向があり、最近言われている「女性の依存症患者が増えてきた」という背景には、これまで見過ごされてきた暗数が社会情勢とともに認知されてきたのでしょう。女性の社会進出も背景にあるのではとも個人的には思います。アルコールに関しては、うつ病との関連も指摘されており、飲酒問題がきっかけで依存症治療につながることも多いとか。女性だからといって安心できないわけです。さらに言えば飲酒が機会飲酒ではなく習慣的な飲酒になっている人は特に注意が必要だとか。

 

Q,大麻やコカイン、覚せい剤などで捕まっている芸能人がいますが、割と普通な顔をしてるのはなんで?

a,そうですね。依存症は周りからみても使っているか使っていないかわからないのです。想像の中の薬物依存症者達は、生活が乱れ、目の下にクマができ、ガリガリで、手が震えてヨダレを垂らしている・・・なのかもしれません。
しかし、実際の依存症者達の姿はそうでないことがほとんどです。
さらに言えば、上記の薬物は精神依存が主な薬物と言えます。
以前の記事で身体依存と精神依存について書きましたのでそちらを参考に。

 

Q,睡眠薬も依存性があると聞きました。それらは違法薬物と何が違うの?

a,もちろん睡眠薬や抗不安薬の中にもベンゾジアゼピン系の薬物は存在します。ベンゾジアゼピン系は依存性があり、その取り扱いには注意が必要です。長期間の服用では身体依存が形成されるリスクもあります。離脱時には不安が大きくなったり、自律神経症状が出現することもあるほどです。
しかし、薬剤の摂取が直接的な快楽をもたらすわけではなく、治療に適切につながっていれば耐性が急速に形成されることは少ないでしょう。
(要は乱用しないことが重要。主治医としっかりお話しましょう。)

Q,覚せい剤はダイエットに効果ありと聞いたことがあります。実際はどうなのでしょうか?

a,覚せい剤等の薬理効果として食欲抑制作用が顕著に出るものがあります。つまりは何も食べなくていい状態が薬物を摂取することで作られるということ。この一点だけを見れば体重の減少には一時的に効果を示すかもしれません。ただし、その食欲抑制効果が切れた後はどうだと思いますか?その通り。リバウンドによって食欲が著しく高まる時期がやってきます。だからこそ、その食欲を抑制させるために違法薬物の再使用を繰り返してしまうのです。
負のスパイラルが形成され、いとも簡単に依存症になってしまうリスクがそこにはあるのです。
その一時的な体重減少にすがりつきたくなる気持ちはなんとなく分かります。
それこそが精神依存なのでしょうね。
女性が求めているような綺麗な痩せ方はできないと思います。

 

Q,依存症の親を持つ子どもは依存症になるのですか?

a,近年アルコール依存症の発症のしやすさと遺伝の関連が報告されています。アルコール依存症については、危険因子が特定されつつあり、遺伝のみならず、環境因子との相互作用によって依存症のなりやすさが解明されてきた部分もあります。特に家族がアルコール問題を抱えている場合では、その発症率が高まるとも言われています。また、機能不全家族で育った子どもの依存症罹患率や文化的な背景も依存症のなりやすさに関わってくることも。
ただ、必ずしも子どもも依存症になるわけではありません。
その世代間連鎖から脱出するためにもあなた自身が少しでも治療などに結び付けばその負の連鎖は止められるかもしれません。
完治はできませんが回復できるのが依存症です。

 

最後に

依存症に関する誤解が多いのがこの界隈の特徴。確かに使ったことのない人間が言えることは、体験した者と比べてその重みが違うことは承知の上。多くの人がその誤解を理解した上で過ちを起こした人たちに優しくなれればいいなと感じる。テレビで○ャニーズ事務所のメンバーが土下座している映像を見た。誰に対しての土下座なのだろうか。彼は見せしめのために土下座したのだろうか。
彼がやるべきことは世間への土下座ではなく治療につながることだと私個人は感じる。彼が賢く薬物をやめていく上で、きっと失敗もするだろう。それでもやめることを忘れず少しづつ回復していくことを祈る。



地雷回避の極意!避けろデートDV男

地雷回避の極意!避けろデートDV男

近年話題に挙がるこのデートDVの問題。嫉妬や束縛がエスカレートして相手を追い詰め、時として身体的・精神的・性的な暴力まで至るこのデートDV。
パートナーを選ぶ上で、この地雷は避ろ!というポイントをいくつか挙げよう。

 

監視型DV男

相手を支配するこのタイプは、相手を監視下においておかないと心配で何をしでかすかわからない。LINEやSNSなど、誰とどんなやり取りをしているかなど把握しておかないと気がすまない。本来の守られるべき個人のプライバシーの垣根を、いとも容易く越えてくる。

感情抹殺追い込み型DV男

相手を否定する言葉で相手の思考を鈍麻させ、自分の支配下に置くことでその不安を解消するタイプ。人格否定や相手の家族でさえも否定し、孤立させることで助けてくれる環境を分断させる。別れを切り出されると逆上したり、相手をコントロールすることに重きを置く。

 

攻撃型DV男

その名のとおり暴力を用いて相手をコントロールする。殴った本人ではなく、殴られた被害者があたかも悪いように操作し、その思考を麻痺させることが特徴。暴力は必ずしも被害者に向かうとは限らない。子どもや周りの人間関係を破壊することで本人を従わざるを得なくさせる。

 

甘い囁きに騙されるなハネムーン型DV男

DV後に突然優しくなる加害者。「暴力さえなければこの人はいい人だから」などと被害者が淡い幻想を描いてしまうぐらい優しくなる。しかし、その優しさは一時的なもので、緊張⇒暴力⇒ハネムーンを繰り返し負のスパイラルが形成されてしまう。

 

金銭欲求型ひもDV

まさにひも。お世話してもらいながら金銭を要求し、相手をひとりの人間とは見ようとしない。このぐらいの金額なら出してあげてもいいかなとおもわせる絶妙なラインを熟知しているこのひも男。金銭的依存はその後違う依存に進化していくことも。

 

性的接触所有物型DV男

「付き合っているのだから、性的なものは当たり前でしょ」などと自分の中の認知があたかも全てであるように振舞うこの男。パートナーをひとりの人間と認識しておらず、自己中心的な考えになりやすい。性的な合意のもと行為に至る背景には目に見えないようなプレッシャーがかかっているかも。NOを言えない女性は注意。

 

 

当事者の姿

当事者は、問題の渦中におり、自分が受けているDVに関しても鈍感になっていることが多い。そもそもこれがこの人の愛情表現だと自分を納得させるような言い訳を繰り返すこともある。デートDVなどを含めると、女性の半数以上がこのようなDV(経度から重度)の経験があるという。

 

加害者の姿

加害者は、その罪の意識が薄いのが特徴。そもそも加害者側はそれがDVであるなどと思っていないことが多かったりする。また、気付いていたとしても、「これは二人にとって良かれとしてやっていることだから」などと認知の歪みなどが存在する場合もある。

 

 

さらなる犯罪に発展しないために

DVは継続される中で、日常化したり習慣化される場合もある。それはまさに傷害に発展するものであり、当事者たちの問題を超える問題になっている。暴力を目の当たりにした子どもたちはそれ自体が虐待になることも大人は理解しておかなければならない。
最近ではスマホの位置情報がDVの巧妙な手口として注意喚起を促している情報番組もあるくらいだ。パートナーとの関係を見直す良いきっかけになるかもしれない。

以前までは、DVは夫と妻などのいわゆる家族を対象にその問題が議題に上がってきた。
しかし、現在のDV防止法は、家庭内の暴力などに限られていたものから同棲するカップルにおいても適用されるものになってきた。
それだけ普通の人間関係においてもDVは起こりうる。また、そのきっかけとしてデートDVに関しても敏感にアンテナを張っておく必要があるだろう。
リスクは常に身近にあるということ。

 


LINEなどの既読無視に対する叱責や過度の返信要求から始まり、ストーカー化するものや、リベンジポルノなどの恐喝に至るまで多くのリスクを伴っている。人間関係はなんて怖いものだろうか。

しかし私たちの生きる世界では、人を相手にしないという選択肢は今のところない。
どこに行こうと人間関係がつきまとう。
だからそこデートDVに合わないための予防策はとっておきたいものだ。

 


ちなみに、このデートDVに関するこの記事は、なにも男性に限った事ではないのが現代の社会であろう。この記事の性別を逆にして読んでみるのもこの記事を楽しむひとつの方法なのかもしれない。




カショオ女子 ~摂食障害にみられる関係依存の問題

カショオ ~やめられない止まらない


聞きなれない言葉でしょ?
私も最初そう思いました。
ん?一体なんの略だろう?
そうです。

過食嘔吐略です。つまりはそう、摂食障害。
ご飯を食べれるだけ食べ、詰め込み、限界をむかえると嘔吐し、全てをなかったことにする。なんて卑怯なやつらだ。まるで食べたことをリセットするかのように、彼ら彼女ら(女性が圧倒的に多い病気なので以下彼女ら)はその行為を繰り返す。
いやっ、「もしかして彼女らもまた、どこかで苦しんでいるのではないか」と感じ、摂食障害についてのお話を前回よりも詳しくこの記事では取り上げる。

そもそも摂食障害ってなに?

主に神経性やせ症神経性過食症及び過食性障害に分類される。
ここで話すのは後者である。
通称カショオは字の通り過食とそれに続く自己誘発性嘔吐や下剤などの乱用がみられ、排出行動が伴うことが主な症状といえる。自身のボディーイメージに過剰に反応したり、自分は太っているなどと誤った「認知」の仕方に囚われ、苦しんでいる。体重増加に対して恐怖心を抱えており、食事制限や過剰とも言われる摂取カロリーへの執着などがある。食べることへの罪悪感や数字(体重)へのこだわりによって生きること自体が困難な状態になっている。

過剰とも言える人間関係


よくツイッターで摂食障害の人に絡みに行くのですが,敵意はないのに質問や指摘がきついのか、ブロックされる時がある。
「きっとなにか相手に突き刺さったのかな」と思いながら性格の悪さがこれ以上露呈してしまわないようにさっと引くのですが、摂食障害の方には少し人間関係において特徴が見られると感じた。

カショオをする人たちの特徴のひとつに、人間関係に対する異常な期待や依存と受け止めてくれない相手に対する攻撃性をよく感じる。

つまりは、自分を受容してくれる相手に対しては、無条件とも言えるほど受け入れる心があるにも関わらず、反論や注意、リスクなどを伝えてくる都合の悪い相手には敵意が向きやすくなっているのではないかということ。

Twitterなどでよく見かけるのは、一旦仲間になってしまえば、距離感0になってしまうところ。
相手を受け入れすぎるというか、自分の生い立ちや境遇、さらには家庭問題等がシェアされ、出会って僅かで濃密な関係が形成される。それは共感や共有といったものを少し越えたものになっているように感じた。

もちろん周囲の理解が乏しい病気であるため、理解してくれる相手が現れること自体は当事者にとってとても嬉しいことだろう。しかし、過剰な仲間意識と排他的な関わりは、まさに過食嘔吐そのものだとも感じる。現在統計的な仮説は少ないものの、その特徴を感じさせるやり取りがTwitter上でよく見受けられる

彼女らは基本的に誰の意見も受け止める気がない


まさにこのような感想が適切かと感じる。彼女らは聞く耳を持たないことが多く、ツイッターという本来一方向のSNSを利用しながら、自己洞察と自己肯定感を埋める作業を行っている様子が見て取れた。多くの食材の画像を写真に収め、それを理解してくれる相手を探し求め、食欲と同時に仲間や共感を求め歩いているようにすら感じる。
そして満たされたものを嘔吐によって流してしまう
とてつもなく不合理で、どうしようもなく、傍から見ていると虚しく感じる。
しかし、同時に彼女らはカショオがあるからこそ生きていられる
このような行為が理不尽で止めたほうがいいことなのだと感じながらも、きっと苦しんでいる人が大半だ。

そこに葛藤が見えるからこそ私はTwitterで声をかけてしまうのかもしれない。
一見無駄な行為を繰り返していると思いながらも何かを得ようと必死にもがいている姿はとても魅力的ですらある。ちょっとのズレにより、多くのカショオたちが苦しみから解放される対処法を間違えてきたのかもしれない。

世の中の女性の評価基準が曖昧な中で、数字で表される体重の問題は女性を評価する簡単な基準になっているのかもしれない。BMIなどの遥か下にいるにも関わらず、何と戦おうと必死になっているのか本当は詳しく知りたい。

摂食障害の予後は悪く、3、40代で骨粗鬆症になることも心身医学会で発表されていた。また、そういった行為に依存する背景には、多くの関係依存や人間関係の問題が眠っていると私は思う。不合理な行動は時として命をもおびやかす行為につながる。その糸が切れる前に少しでも多くのカショオと細く長くつながっておきたいと切に感じる。

 




共依存からの抜け出し方

共依存ってなんなのよ実際

今回はアルコールを例に少し語ります。
依存問題を抱える家族が本人に対して「なんとか助けになりたい」と思うことは非常にいいことである反面,巻き込まれリスクが伴う。イネイブリングは家族関係や依存問題をより複雑にし、当事者とその周りの関係を破壊するものになりうる。

「もっと私がしっかりしなきゃ」
「尻拭いは家族がしてあげないと」
「あの人のためだから」
など、一見世話好きで他人思いのこの感情の裏側には、お互いを共依存関係に導く危うい問題が潜んでいる。
お互いがお互いを必要とし、本来の姿ではなくても満たされる関係が共依存の問題には隠れているのかもしれない。

イネイブラーとは

結論から言うと依存問題を維持させてしまう、また強化させてしまう周囲の人のこと。善意でやっている行動、または手助けだと思ってしばしばやってしまう行いが本人の依存をさらに深めてしまいます。まさに共依存の始まりと言っていいのかもしれません。
家族の借金を肩代わりしたことはありませんか?
尻拭いに付き合わされていませんか?
それって本来の関係ですか?

「そんなこといって(怒)
じゃあ本人のことだからほっとけっていうんですか」

と思われる人もいるかもしれません。

はい。その通りです。
問題を継続・維持させている手助けをしていることに気付きましょう。
きつい言葉ですがあなたと本人が話し合うことに大きな意味はないかもしれません。社会資源を活用して周囲の力を借りましょう。
周りに知られたくない。ここだけ収めておきたい。そのような感情がそばにあるならなおさら注意が必要です。
既にあなたはもう巻き込まれているでしょう。
現実を受け止める準備ができなくても依存はどんどん形成されていきます。
いつイネイブリングをやめますか?
相手が大きな問題を起こして手遅れになってからですか?

過剰な期待

過剰な期待はしなくていいです。
そもそも急激に変化することを期待してはいけません。
共依存からの脱却には自立(自律)が課題になってきます。

手を放しましょう。
最低限の関わりは大切ですが、それ以上に背負うことはありません。
避けることが大切です。
巻き込まれるのではなく、適切な距離を持って関わりましょう。

過剰な期待をもったところで相手が変わることはありません。
相手の問題は相手に返す
そして自分も自分らしく生きていく準備が必要です。

つまるところ共依存の問題は一人では解決できないことを知りましょう。
家族のアルコールの問題がもうあなたの手の負えない問題になっていることを認めることができれば他力を借りることが出来るかもしれません。
一度依存症になってしまえば完治はしません。
まずは回復に向けて、周囲の人が安定しましょう。
問題を持っている相手のことにとらわれることなく、自分にも目を向けることが共依存の脱却には必要です。



アダルトチルドレンと依存について

アダルト・チルドレン

元々機能不全家族で育った子どもが大人になり、その他もろもろの共依存にまみれながら生きずらさを感じている状態といえば伝わるだろうか。
それほどまでに幼少期に受けた大人からの多くの対応には、人生を揺るがすほどの影響力と責任が潜んでいるといえよう。

枠組みはどこで育つのか

子どもたちの一番近くにいる存在によってそれが形成されるといっていいだろう。大人は子どもの身近にあるモデルとなっている。子どもたちはそのモデルからルールや枠組みを学び、思考に至るまで似た様になることがある。
しかし、それは悪いことではなく、それぞれが育ってきた環境の一つであり、それが本人としての当たり前であることも同時に忘れてはいけない。

そもそも機能不全家族ってなに?

それはまさに、家族としての機能が充分に果たせていな状態の家族。家族の在り方は様々で、どれが正解でどれが間違っているかという問題ではなく、少なくともACの子どもたちは、生き生きのびのびと過ごすことができず、大人に対して必要以上に従順であったり、従順にせざるを得ない状況で育ってきた人たちを指すものと言えばイメージできるだろうか。
普通の大人であれば、その理不尽さに反発したり反抗したり、また自分ではなんとかならない問題などは周りの力を借りるなどの賢い選択をするかもしれない。しかし、アダルト・チルドレンは、絶対的な大人の力に抵抗できず、その現実を受け止めるしか生きていくすべがないかのように思い込み、一種のトラウマ状態になってしまう。そのトラウマ体験は、心を深くえぐり、大人になっても抱え続けてしまう人も少なからずいる。
まさに彼ら彼女らはなんとか生き抜いてきたサバイバーと言える。

その影響

子供の頃に与えられた傷つき体験の影響は、大人になっても後遺症として残り、その人やその人の周りの人間をも傷つけることがしばしばある。特に、このアダルト・チルドレンなどの機能不全家族の影響をモロに受けた世代の人達に注意しなければいけないこととして、世代間伝達がある。
そうである。このアダルト・チルドレンの問題は脈々と受け継がれてしまうものでもある。

依存の背景に潜む・・・

まさに依存の背景にはこのような家族関係の根深い物語が関係してくる。親自身の依存の問題が子どもに多大な影響をもたらす。親の苦しみが子どもに受け継がれている・・・なんともひどいスパイラルだ。子どもは親をかばい何もなかったかのように口を閉じる家もあれば、暴力や引きこもりなどの行動として現れる家もあるだろう。機能不全家族の背景にあるアルコールの問題などは精神科等ではインテーク(予診)で重要な情報となる。

その呪縛から解放されるには

まずは問題を認めること。認めるといっても機能不全家族で育ったことを自分の責任として認めるのではなく、影響を与えられた被害者としての自分を認め、しっかりと癒してあげる必要がある。
機能不全になった背景には、その親もまた苦しんできた張本人である場合もある。しかし、それは親も問題であって自分の問題ではないことをしっかりと認めていく必要が治療には欠かせない。薬を飲んだからといって治るものではないことも理解しておかないといけない。(投薬治療を否定しているわけではない。)


受け入れた先にあるもの

自分が弱いからアダルト・チルドレンになったわけではないことを認めることができると、自分の人生を歩む準備ができるようになる。親の人生ではなく、自分の人生を歩むことが大切であり、親自身の問題と自分自身の問題を分けて考えていくことが重要と言える。

 

おわりに

久々の投稿になってしまいました。お仕事の研修と発表が重なりこの一週間はそちらの方に力を入れていました。テーマごとに書くクセはつけているのですが,記事の構成など考えてるとやはり時間がかかってしまいますね。
週末頑張ろう。




グーグルアドセンスに蹴られたなぅ

グーグルアドセンスに蹴られました

題名のとおりです。
多分規約に違反したのでしょう。

このサイトを見てもらうとわかるように,いたるところに不適切?といわれるキーワードが並んでいます。それは自覚しております。
いやっ,私だって何も調べないでグーグルアドセンスの審査を通ろうとは思ってませんよ?ただ,このサイトは依存症について色々とゆるく考えていくサイトなので違法薬物やアルコールやタバコ,その他不適切で危うい話もいっぱい出てくるわけです。

このサイトが収益化になることで,私の記事を書く事へのモチベーションが上がるのであればそれはそれでいいきっかけとなるだろうと申し込んだ審査でした。しかし,世間の目やAIの目にはこういう記事は不適切なものとして取り扱われるのでしょう。悲しいことです。
ほんとうに難しいですよね依存の問題って。

自傷行為や薬物をやめて素晴らしい生活を過ごしていきましょうね!などといった建前ばかりのサイトにはしたくないのですよ。醜くドロドロした沼のような依存の問題についてしっかりと向き合ったりできるサイトを運営していきたいわけです。その両立がこのサイトの今後の課題でもありますね。

再決意

自信もって言えることは,このサイトでは多くの依存問題を単に肯定しているのではなく,できる限り中立的な立場で,そして共感的に,それでもって回復に向けて多くの選択肢を提示していきながら本当の意味での回復について考えていきたいということ
葛藤を取り扱い,観覧者が依存のついての理解が少しでも深まればいい。これまで依存の問題は,あまり触れちゃいけないものとして扱われてきたことが多いのではないでしょうか。それはきっと,どう扱っていいかわからないという困り具合からくるものかもしれません。そうです。みんな困ってるんですよ。

 

ですから,審査が通らなかったからといって言いたいことを控えることはしないと思います。記事を再精査することは大切ですが,取り扱わなければいけないと感じる問題については取り扱おうという方針がグーグルアドセンス審査を蹴られたことで明確になりました。
言葉を選んだアウトプットについてはわたし自身課題が残ると思うので少しずつ慣れていければいいなと感じています。気が付くとこのサイトを立ち上げてはや一ヶ月。我ながら仕事を両立しながらよく記事を書けるようになったなと思います。大型GWも開け,忙しくなってきた中ですが,週2~3程度で記事の投稿は継続,維持していきたい。

まずは著作権侵害にあたりそうな例の人の写真は取り下げようと思います。




精神保健福祉センター

助けを求める場所

このサイトを見ている人たちは,いくらか依存症に関する知識を持っているか,自分の周りにそういう依存に近い人間がいる人か,はたまた当事者たちがほとんどだろう。そうでもない限り基本的にこういうサイトは一般人はあまり積極的に見ない。我ながらなぜこうもニッチなサイトを作ってしまったか頭を抱えるところである。

それはさておき,今回はタイトル通り依存を抱える者が助けを求める場合に,どこにつながることが最善手であるかについて考えよう。

精神保健福祉センター


まず答えはこれである。これに尽きるといっても過言ではない。そもそも依存症に関する治療について専門的に扱う病院やクリニックが日本にどの程度あるかご存知だろうか。一般的な精神科の中では約3割ぐらいが統合失調症に対応していることは有名であるが,果たして依存に関する専門病院はどの程度あるのか。
ズバリ
1割以下である。
そもそも依存症の治療を取り扱う専門病院が日本の中には極端に少ない。
その原因の一つに依存症患者は取り扱いにくく,面倒な奴らが多いという誤解が
多少あるかもしれない。
(私見)ただ,本当は面倒な奴らなのではなく,本人たちは困っているのだということを支援する側が理解しておかないといけない。
多くの人の中に依存症者に関する固定概念が今でもあるのは確かだ。一般市民だけでなく病院などのコ・メディカルに関してもその誤解を払拭できていないスタッフは多いと感じる。
つまり,回復していく上で,
最低限の依存に関する理解者と出会うことが最初のステップとなるだろう。

各都道府県にある精神保健福祉センターの役割は,こうした回復に向けて動き出した当事者や家族に対する最初の関わりを持つ施設だ。精神保健福祉センターは公的機関であり,お金は原則かかることはない。相談に行ったり資料をもらったりと自分が動けば動くだけ支援が受けられる。東京都などの主要都市にはこのようなセンターが2~3つほどあり,随時来所者への支援について相談体制が整っている。(ひとこと電話で予約はしておくとより丁寧に教えてくれるぞっ!)

そもそもどんなところ?

精神保健福祉センターは精神に特化した保健所だと理解していい。多くの精神疾患に関する知識を持ったスタッフが対応し,来所した人の住む家の近くの専門病院を紹介してくれたりする。
依存症当事者は自分の依存の病気に関して否認するものが多く,来所に結びつかない場合も多い。そういった中で,まずは家族が利用できるのもこの施設のメリットといえる。
家族に依存症がいると家族は疲弊している場合が多い。その状況を打破するためにも精神保健福祉センターは治療への第一歩となるだろう。なかには月に1回程度家族会が実施されている精神保健福祉センターもよくみかける。

守秘義務の問題

依存症に関する誤解のひとつに,「家族が違法薬物などを利用していた場合警察に通報されて逮捕されるのではないか。」という不安がつきまとう。
結論から言うと通報されない。
しかし,アルコール酩酊状態や興奮状態,自傷他害の恐れや,命に関わる場合は除かれるが,基本的に精神保健福祉センターでは通報義務はない。
自身が依存の問題を抱えているのであれば安心して話せる場所がそこにはある。

重要なのは当事者や家族が困っているということをしっかりと伝えること
5年ほど前から精神保健福祉センターなどでは,困っている当事者や家族に対して刑事的な罰を与えるのではなく,治療につなげる流れができつつある。だからこそまずは安全な公的機関に頼ることをおすすめする。なぜなら依存の問題は,ひとりでは解決できない依存(アディクション)の反対語は自律や自由などではなく,コネクション(つながり)であることはよく言われているものである。

ひとこと言いたいのは,違法薬物を使って困っている当事者は,やめる気があるうちにシラフのうちにつながることをおすすめする。違法薬物を使ってからだと精神保健福祉センターなどの力を借りようという意識はどこにすっ飛んでしまうからだ。

また,依存に関する専門病院が少ない中で普通の?精神科に行ってしまうと結果的に病気に関して理解されなくせっかくつながった病院で挫折体験を味わってしまう。それだけは避けたい。依存の治療では,治療につながり続けることが回復過程では重要になる。せっかくつながった縁を大切にしてほしい。

今回は割と真面目な社会資源についてつらつら書いたわけだが,たまにはこういうものもいいなと感じた。依存問題を考える上で使える社会資源は使っていったほうがいい。それでも多くの依存症者は失敗を繰り返してしまう。しかし,つながっている人ほど回復に関して一歩も二歩も進んでいるといえよう。

精神依存と身体依存について

精神依存と身体依存について

まあ普通に生活していますと人間は何かに頼りながら生きていることがよくわかります。スマホ依存に恋愛依存,結婚なんてお互いの関係依存の先にあるもなのかもしれませんし,良い依存,適度な依存は生活を豊かにもします。家に帰ってすぐパソコンを付けるそこのあなた!それだって依存の始まりかもしれません。

このように世の中には精神的依存が多く見られます。精神的依存というのは「これがあると楽しめる」,「やっぱり楽しむためにはこれがセットでしょ。」,「一刻も早く○○したい。」,「安心するためには○○が必要だ。」などの心の動きを伴うものだと思ってもらって構いません。精神,つまり頭の中でその物質を使うことを正当化する言い訳などが出てくるものでしょう。

もう一つ依存症には身体的依存を形成するものがあります。
それが,アルコールや薬物,タバコなどです。身体的依存を形成させやすい物質や精神依存に特化したものなど,それぞれ特徴を持っています。よく言われるのが,覚せい剤は精神的依存が強い反面,身体的依存は比較的少ない。逆に,アルコールやタバコなどは精神的・身体的どちらとも強い依存性を持っていると言われています。
よく手が震える,口が渇く,汗が多くなる,口がパクパクしてしまうなどの身体症状に現れるものですね。

キング・オブ・キング, キング・オブ・ドラッグ

数ある薬物の中で最も禁断症状がきつく,精神的・身体的依存が最高峰に位置づけられる薬物それがヘロイン。モルヒネから生成される麻薬で,治療に正しく使えば依存症になることはないですが,キング・オブ・ドラックといわれるほど依存性が極めて高い特徴を持っています。他のどの快楽よりも代え難い快楽を与えてくれる反面,乱用すると禁断症状に耐えられなくなり,命が尽きるまで支配されてしまう恐ろしいものだそうです。一生で味わう快楽を一気に味わうことが出来るらしい・・・
う~ん。想像がなかなかつきませんね。

そして意外にも我々の身近にアルコールやタバコなどは精神的・身体的どちらにも依存を形成しやすいということ。コンビニに入れば売っているのが当たり前であり,すぐ手に入る環境にいつの間にかなってきているのですね。心の隙間に入りやすいのがこのような薬物(総称して)なのでしょうね。きっと使う人にとっては効果は長くは続かないことは知ってるはず。しかしそれに頼らなければいけなくなっている状態こそが依存と言われるものでしょうね。
このようにひとくちに依存といっても色んな見方があることがわかりますね。