睡眠時間を返せというやつほど普段普通に寝ない説

ショートスリーパー気味の管理人です。平日は4時間半サイクルの睡眠でなんとか乗り切っているのですが、今回はそんな睡眠に関するお話。睡眠の質や覚醒障害に関する注意と近年多いスマホとの付き合い方や治療に至るまでについて取り上げます。

睡眠の質はこうやって崩れていく

睡眠の質は成長とともに変化するものであり、小さい子どもと大人では意味が大きく異なってきます。特に思春期の安定的な睡眠は、精神疾患の予防に役立ったり、成長ホルモンの促進との関係が深いことがエビデンスで示されているところでもあります。小学校低学年の睡眠時間は比較的長く、20歳を過ぎるにつれて平均7~8時間睡眠に安定していくと言われています。身体と脳をじっくり休めるためには、一定の睡眠時間の確保が絶対的に必要ですね。
ひとことで不眠障害といっても、寝つきが悪かったり、睡眠時間が確保できず中途覚醒してしまったり、早朝覚醒や熟睡できない質の問題など、多くの分類が実際のところはあり、一般的に「不眠」と呼ばれるものは、睡眠に関するリズムが崩れている状態を指します。
近年では、大人に限らず、子どもでも不眠に関する悩みを持っています。未就学児の睡眠指針などでは、子どもも大人と同様に睡眠に関する疾患に罹るリスクを抱えており、適切な診断には専門的な診察や検査が必要となったり、医師や医療機関につなぐ必要性を示しています。仕事や学校などの日常生活に支障をきたす様な睡眠になっているのであれば、そこには大人だろうが子どもだろうが大きな違いはなくなってきているようです。



スマホ、PCなどが不眠を後押し?

夜遅くまでスマホやタブレット、PCの前にいないだろうか。
私はYESです。
むしろ仕事も含めると一日の大半の時間が画面の前にいることになる。好きなことをするには時間が無限にあっても足りない。一日24時間ではとうに足りないと思う人も多いのではないでしょうか。「暇ですることがない」という人の気持ちがあまりり理解できない管理人です。時間は自分で作るものだと昔誰かに聞いた覚えがあります。
確かに正論だ。それもよくわかる。
自分がもっと時間の使い方が上手ければ好きなことにも時間を使えるのにと思いながら日々モヤモヤする日々です。
そこで白羽の矢が立ったのが【睡眠時間を削ること】です。
もしかすると同じような考えの人も多いのではないでしょうか。
時間がないから睡眠時間を減らして自分の好きな事に使おう。という浅はかな考え。
それでも私の生活のスケジュールを考えると睡眠時間を減らした方が効率よく時間が回る。
だからこそ甘んじて睡眠時間を減らすことを受け入れているというところでしょう。

医療につながってみて


こんな管理人ですが、学生時代不眠に悩まされ近所の心療内科に数回通った記憶があります。初診を終え、睡眠の質について主治医と話し合い、睡眠・入眠導入剤を処方してもらいました。たしかマイスリーだったと思いますが、そうい類の処方薬をこれまで飲んだことがなかったため、最低量を処方されたと思います。
マイスリーは、超短期間で作用する睡眠・入眠導入剤で、効果の早さが特徴です。眠気が翌日に残りにくいのも特徴で、寝付きが悪い人に処方されることが多いのだとか。実際の処方された睡眠薬を飲んでの感想は・・・

【すごい効いて怖い】が率直な感想。

寝付きの悪さに困っていた当時は、何度かお世話になったものの、継続して飲まなくなったのを覚えています。
精神科や心療内科で処方される薬剤の効き目を実感した体験でした。
しかし、同時に医療につながる大切さも体験することができたのもいい経験で、睡眠薬が必要な患者にとっては、この一粒でその日が眠れるのも大切な医療なんだな再確認できた。
管理人の場合は、その後睡眠に関しては、薬物療法に頼るのではなく、根本的な睡眠の問題を精神療法や心理療法の中である程度折り合いをつけることになったため自然とお薬からは離れることができました。
治療に関するお話はまた次の機会にでも。
早めの受診が大切ですね。

10年ほど前に標語で、「お父さん、眠れてる?」という言葉がありましたね。
あのように気軽に睡眠について話せる雰囲気が生活の中で出来るといいなと思いながら時間を見るともうすぐ2時!!!
明日のためにもう寝ます。


芸能界はもうズブズブ!?薬物汚染と回復と

ここ最近、芸能界の薬物汚染があらわになってきている。大麻取締法違反で懲役6月、執行猶予2年の判決が出た、KAT―TUNの元メンバー田口淳之介被告や、薬物依存症者向けのリハビリ施設「日本ダルク」の職員でもある田代まさし容疑者が覚せい剤を所持していたとして、覚せい剤取締法違反で逮捕されたことは記憶に新しい。そして、ここに来て女優の沢尻エリカが合成麻薬MDMAを所持していたとして、麻薬取締法違反の疑いで逮捕され、本人も自分のものであることを認める供述をしているという。果たして、なぜこうも急激に芸能界で逮捕者が続出するのか。それほどまでに芸能界に薬物汚染が広がっているのか、はたまたこれは一時的なものかなどをゆるく触れていきたい。


MDMAってなんぞや

化学構造が覚せい剤と類似しており、覚せい剤にも似た効能を人体に及ぼす合成麻薬の一種であり、興奮作用やLSDのような幻覚作用を特徴とする。基本的に錠剤であり、「エクスタシー」や「バツ」、「エックス」などアンダーグラウンドで多くの呼び名がつけられている。また、MDMAはセックスドラッグとも呼ばれ、性行為の際に使用されることもあり、副作用があるにも関わらず、強い快感を求めて若者を中心に広がる傾向がある。副作用は心臓や肝機機能障害といった身体的なものに留まらず、精神錯乱状態になったり、記憶障害を併発したりするなど、深刻な精神的ダメージを人体にもたらす。効果は数時間ほど持続され、注射などの専用の器具がなくても摂取できるため、どうしてもハードルは低くなってしまう。その背景には「注射は危ない、やばい」といった固定観念が存在するのかもしれないが、MDMAは麻薬及び向精神薬取締法により罰則があり、あたりまえのように違法で処罰の対象になる。単純所持だけでなく、譲渡や営利目的などによっては、さらに重い刑罰が課せられるのが薬物事犯の特徴でもある。このように、薬物事案によって法律が若干違っていたり、刑罰の重さも違ってくる。「友達の物を持っていただけ」では済まされないのが現在の薬物事情とも言える。

依存性と回復


MDMAなどは、ヘロインやアルコールに比べると依存性は低い。
以前の記事でも書いたとおり、
精神依存と身体依存について 依存にはこの2つの課題が大きくのしかかる。また、MDMAは覚せい剤と同様に、身体依存はほとんど形成されない。沢尻エリカの逮捕前日の映像を見てみるとわかりやすいだろう。
一見普通に見える。
実際そうだ。手が震えるわけでもないし、精神錯乱状態にも見えない。身なりはとても気遣っており、誰がこれを見て違法薬物を使っているだろうと思うだろうか。

しかしそれは安全を保証するという意味ではない。

多くの人達は勘違いしている。

依存問題は表面に現れにく。この「精神依存」がとても厄介であり、一度形成された「精神依存」は、治療を行っていかなければ回復できない。「薬物を使いたい気持ちはゼロにはできないが、その気持ちを持ちながらも、使う以外の選択をしていきながら回復していくことは可能だ。」ということだ。近年、刑罰よりも治療に重きが置かれてきているのも現代の流れとも言える。

では果たして彼ら彼女らの回復とは一体何なのか。
それは専門機関で治療するとともに、芸能界にももどる居場所を作らなければいけないということだと思う。彼らの活躍の場所を奪ってはいけない。孤立させることは、彼らの回復から遠ざかることにつながる。報道に関しても十分気をつけなければいけない。

薬物報道ガイドラインでは、報道において避けるべきことなどが盛り込まれている。
■「白い粉」や「注射器」などのイメージカットを用いない
■著名人の薬物依存に陥った理由を憶測し、転落、堕落の結果使用したという取り上げをしないこと
■その人の雇用を奪うような行為をメディアが率先して行わないこと
■スクープとして取り扱わないこと
など、一部抜粋するだけでも重要なことが書かれている。

彼らを正当化する気はないが、彼らは人を傷付けるようなことはしていない。しかし、彼らのそばには薬物などがあったことは事実であり、様々な経緯を経て使用に至ってしまったのだろう。単純な快楽目的の使用ではなかったかもしれない。やはり憶測だけで相手を傷付けたり、排除するような社会では回復につながらない。

彼らに今必要なのは安心して治療に向き合うことなのかもしれない。
依存を抱える人たちに共通するような【生きづらさ】が伝わって来る限り、このような依存に関する記事は書き続けたい。



暴言吐きやすい人必見!その一言を変える認知行動療法って?

管理人は暴言は吐きません。いやっ、むしろ「吐き方がわからない」といったほうが正しいでしょう。言葉が出るよりも先に多くのことを考えてしまう。「この人にこの言い方はきつくないか」、「さすがにオブラートに包んだほうがいいよね」、「後でやんわり伝えておこう」などと思ってるうちに言いそびれてしまうことが多々あります。暴言吐けない私は実は上手く自分の中で処理できているのか、はたまたただ単に相手を責められないチキンなのか、そんなところを掘り下げていきます。

感情と上手く距離感を保つためには


「感情的に相手に暴言を吐いてしまった」、「感情にとらわれて気持ちが落ち込みどうしようもなくなってしまう」など私たちの生活には多くの感情が関わってきます。いい感情に包まれているだけが生活ではありません。むしろ、生活の中には負の感情の方が多いかもしれない。しかし、負の感情にあまりにもとらわれていては何もできなくなってしまうからこそ、人はもがき、あがきながら対処方法を探し続けるのだと思います。
その対処方法が良いものであれば、それはあなたを助けてくれる良いコーピングとなる一方で、誤った対処方法は、気持ちをさらに負の方向へと押しやってしまいます。あなたの対処方法は果たしてどちらなのか。
「イライラ」、「不安」、「落ち込み」など自分にとって受け入れがたい負の感情にも、実は役割があるのをご存知ですか?これらは、いわば危険なサイン。自分自身をこれ以上追い詰めないために脳が感情として信号を送っているわけです。
そこで重要なのは、自分の感情の出どころを探す作業です。
「なんでこんな感情が出てくるのだろうか」、「なんでイライラしているのか」などの考え方の癖について深く取り扱うことが認知行動療法でも用いられることのひとつ。



認知行動療法ってどんなもの?

詳しくは違う記事で取り上げますが、認知行動療法とは、自分の考え方のクセに気づいてその対処方法を具体的に考えていく作業です。感情の出どころはまさにそれぞれの経験に基づいたものなので、「イライラの下(無意識)にある自分の考え方」や「気分の落ち込みにある背景」について語ることも治療のひとつになります。話は戻りますが、以前のアンガーマネジメント~怒ってもいいんです!~でも感情は無理に押さえつけなくてもいいといいました。ただ、重要なのはその出し方。感情にとらわれた怒りになっていたり、強すぎる怒り、長すぎる怒りになっていないかを見直すことが大事と言いました。大切なものを守るためには怒りを適切に表出させる必要もあります。そこで重要となるのがこの感情との距離感です。

インファイターだけではノックアウトされますよ


ボクシングをご存知ですか?ボクシングの戦うスタイルにインファイターとアウトボクシングという型が存在します。前者は相手との間合いを詰めてなるべく小さく、コンパクトに、内側から相手を攻めていく一方で、アウトボクシングは、全体を見回し相手が踏み込んできても身体をかわしながら距離を保ちつつじわじわと外側からダメージを積み重ねていくスタイルのボクシングです。(素人解説ですいません)感情と距離をとる上で、このバランス感覚が最も大切になってきます。

インファイターは、いわば自分の考え方や感情の出どころをガシガシ掘り起こしながら自己内省を深める作業。
一方でアウトボクシングは、客観的に分析したり、状況や感情に巻き込まれないように俯瞰しながら関わる作業。

暴言をよく吐いてしまって困っている人は、この両方の作業を行ってから言葉にすることで人間関係がスムーズに行くことも!?感情なんてどうにかできるものではないと思っていませんか。世の中には持って生まれた才能や裕福な環境によって人よりも優位な条件が整う人だっています。生まれた環境はその人に多大な影響を与えるでしょう。
しかし、環境だけが人間を作るわけではありません。重要なのは、変えられない環境と努力によって変えられるものだってあることに気付くことが第一歩。これを見ている人に伝えたいのは、この変えられる部分を一緒に変えていきませんかということ。そして、認知行動療法に少しでも興味を示してくれる人が増えればなお嬉しい。ぜひ自分の認知に少し触れてみませんか。

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解離したら依存症と自傷行為が治った件

なんかタイトルが安っぽいアニメ小説みたいな感じですね。

解離症状を持つの人の多くが、幼少期などから過酷な生育環境に置かれていたということが往々にしてある。もちろん本人にとって衝撃となる出来事がきっかけで解離が維持され苦しむ結果となるのが通説ではあるものの、生育環境にも大きな特徴が見い出せるのではないかと解離症状を呈する人たちを見ていてよく感じる。仮説としては、生育環境と解離症状にはなんらかの関連があるのではないかということだ。
「切っている間は痛みで何も考えなくてすむ。」
「処方薬を過剰摂取していないと落ち着かない。」など、自傷は時に何かを癒してくれることがあるそうだ。
しかし、これはなにもメンタルが病んでいる人に限ったことではない。私たちでさえも、なにかに依存していると安心できることは日常生活にたくさんある。目に見えた傷として表現しないものの、自ら理解しながらも危ない方法に追いやっしまってはいないだろうか。

生きていくのはツライよ

幼少期の親からの虐待、ネグレクト、学校などでのいじめ、助けを求めたが誰も助けてくれない見捨てられ体験、心理的・身体的・性的暴力などの被害体験、また、恐怖や恥なども外傷体験として心に傷跡を残す。自殺未遂や自傷行為を繰り返す子どもたちにも共通する一種の「解離せざるを得ないような苦しい体験」がそこにはあるのかもしれない。
自傷行為を繰り返す者は助けを求める力が若干弱い気がする。
「援助希求能力」がまさにこれにあたる。
それは、裏を返せば、「自傷を繰り返す人達は、一人で問題を抱え込みながら必死で真面目で愚直に闘っているともいえる。」
以前の記事でも書いたとおり↓
間違って自死に至る病~リストカッターケンイチ

たとえ選択肢は間違っていたとしても、生きるためには自傷が必要だったのかもしれない。
多くの外傷体験を一人で抱えておくのは決して簡単なことではない。
だからこそ、その痛みを感じなくさせるためにも「解離」は必要になってくる。



解離とは

自傷行為にはたくさんの効果があり、その内の一つがここにいるのだけれどここにいない感覚を味あわせてくれる。
まさに離人感。
自傷を繰り返す多くの当事者が、この解離状態を何度も経験しており、生き抜くために「切る」選択肢を積極的に選ぶ者もいるぐらいだ。現実と切り離してくれるこの効果は現実と向き合わないですむにはちょうど都合がいい。解離することで何かが解決するわけではないが、今その瞬間の辛さからは解放してくれる。まさに依存の問題が背景に隠れているのだろう。
この記事のタイトル回収をするためにはその部分にも触れておく必要がある。
タイトルの通り、「解離」しているときは何も考えなくてするのが解離のメリットともいえる。
各々が抱える問題を一時的にでも棚上げしてくれる「解離」にはとても甘い魅力が醸し出されている。
結論を言えば、「とっとと解離しちゃえよ、YOU!」ということだ。
今この瞬間を生き抜くための解離であれば、それは一つの大切な対処法になりうると私個人は思う。
ただ、十分理解しておかねばならないことは、
①医療機関や他の専門家にはつながること
②解離してしまう自分を正直に話すこと
これらが大事。

なにも自傷することが解離ではない。
何も考えなくていい状態や今ここにいるけれどもいない感情を自ら作り出してやることがいい「解離」につながる。
それは何かに没頭することでもいい。
嫌なことから逃げていい思考を頭の片隅にしっかり持っておくことが生きづらさを少しだけ解消してくれる。

 

追伸
個人的なお大きなイベントが落ち着きましたので記事更新頑張っていきます!
あとダイエットも継続中。
7月からやりだして7キロ程減量中。
ゆっくりじっくり絞っていこう。今日一日継続することが大事。

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本紹介:バツイチの子供たちへ

ふと本棚を見上げてなにか本を紹介したいなと目に飛び込んできたのがこの一冊の本。15年ほど前の心理学の講義で紹介され、なって当時の古本サイトで探して購入したこの書籍。
当時、虐待や愛着障害に関する本を読みあさっていた時期であり、支援や保護に関する知識を勉強していたが、当事者、特に子供に焦点を当てたインタビューは珍しかった。この本ではバツイチの子供にインタビューし、子供が感じる葛藤や親や家族のかたちを記録したもの。

「読むべきなのは、大人たちのほうだ」とはじまるこの本は、まさに大人の読み物。離婚問題で取り上げられるといえば、シングルになった母親のその後や、モラルのない夫や虐待などを繰り返して苦しい思いをする家族というのが定番だろう。しかし、この本ではバツイチとなった子供たちに焦点を当て、その生きづらさや苦しさをインタビューしまとめられたものだ。
第一章/宿命
第二章/血縁
第三章/目撃
第四章/親権
第五章/再婚
これらの目次から構成され、その内容は咀嚼するには時間がかかるものが多かった。わたし自身この本を読みきるのに数ヶ月かけた思い出がある。
それほどまでに、読むのにエネルギーがいる書籍だ。

 

第一章では、子供の視点から家庭が壊れていく様が描かれていたり、なるべくしてなった離婚問題や家族内の葛藤が表現されている。

第二章では、血というしがらみが、子供だけでなく周りをも巻き込む問題に発展していく様子が描かれる。

第三章では、バツイチとなった子供から見た親の姿が描かれるだけでなく、父性、母性、両親像が子供に与えた影響がまとめられていた。

第四章では、親権という大きな拘束が兄弟姉妹を引き裂き、本当の母親との再会や拒絶に関して語られていた。

第五章では、再スタートに向けたそれぞれの葛藤と受け入れがたい事実とそれを飲み込む子供の大変さについて迫り、家族とはなにかを考える。

まとめ
読むごとに心のエネルギーがゴリゴリ削られる読み物となっており、人によっては嫌な記憶が思い起こされるものになるかもしれない。ここの描かれているインタビューはまさに生の声。痛々しくも生きていく上で、親の都合とも言われるバツイチの問題に子供が振り回されている現実がまじまじと伝わってくる。きっと今でさえ、声にならない声がどこかで上がっているのだろう。
離婚問題は確かに親の問題ではあるが、その結果子供にどんな影響が出るかについても親は熟考しなければならない。
「親だって人間。自分の生き方を好きに生きたい。」思いも大切ではあるが、周りに与える影響も考慮に入れて、自由と義務はしっかり果たしていきたいものだ。



依存問題のカミングアウトにどう向き合うか

友人、家族、職場、あなたの依存問題についてしっかり話し合える相手はいますか?以前の記事でも書いたとおり、私個人の意見としては、たとえその依存が違法なものであったとしても、通報よりも治療に結び付けることが最善策だと思う。
そのための第一歩としてカミングアウトをいかに上手くして、周りの協力を得るかが回復の鍵となる。


依存症は関係を破壊させるもの

わかりやすいところで薬物依存を始め、ギャンブル(違法・合法)、アルコール、買い物、恋愛、性、関係、物質、精神など様々なものに依存しながら私たちは生きているのは紛れもない事実。これぐらい大丈夫と思っていたものが、その依存中心の生活を送ることになってしまうのが依存症の怖いところ。まさに、本来の自分の生き方ができなくなってしまうこと。大切にしたかったものを簡単に破壊してしまう。本来大切にしたかった優先順位が依存によって変わり、生活がその依存症中心の生活になってしまう。
きっと治療につながるまでにいろんなものを失い、周りに迷惑をかけてしまうかもしれない。しかし一番の犠牲者は自分であることも確か。治療に本腰を入れるときあなたは何にすがればいいのか。はたまた、すがらずに自分で生きていくためにはなにか必要になるか。その時、あなたはどうやってカミングアウトすればいいののか。
依存していることを話すのは負けたような気がしてどうもカミングアウトできる気がしないあなたは少し足を止めていただきたい。



カミングアウトはチャンスか甘えか

家族や周りの人間に依存問題について理解と助けを求めることは自分の問題を認める第一歩となり、依存問題と決別する最大の機会といってもいいだろう。これまで嘘で固めていた偽りの生き方をじっくり認め、本来の生き方を取り戻す大きな一歩でもある。
「もう嘘をつかなくて済む、肩の荷が下りた」など、これまで抱えていた負担がいかに大きかったか実感するだろう。依存症は否認の病であることはよく知られている。だからこそ自分の依存問題を認めるところから始めてみるのもいい。カミングアウトすることで問題解決の一歩が始まるといってもいいだろう。勇気のいる行動であるが、カミングアウトは回復のチャンスというわけだ。

その反面、依存症は甘えだと言う意見も一般にはよく聞く。
「本人の自己責任だ。意志が弱いからそうなったのではないか。甘えでしょ。」などの厳しい指摘があるのも事実。きっと当事者たちは、このような声掛けによってカミングアウトする気持ちすら削ぎ落とされてしまうのだろう。

依存症者は周りに何を期待するべきか

カミングアウトする側は、周りに多くを求めないほうがいい。
なぜなら本当に理解を示してくれる人間は極端に少ないからだ。5人いれば4人は否定してくる、そう思うぐらいがちょうどいい。
私たちが探すべき相手は残りの1人だということを忘れてはいけない。
なにはともあれ、カミングアウトできた自分を褒めてあげることから始めてみよう。きっと勇気のいることだろうし、誰にでもできるわけではない。周りにどう説明したらいいか分からず、眠れぬ夜を何度も過ごしただろう。時には、カミングアウトのことを考えすぎて、日常生活に支障をきたしてしまう人もいる。

それほどまでにカミングアウトというものはエネルギーを使う作業である。
告白によって人間関係が変化したり、友人・知人を失ってしまう人もいるかも知れない。それほどのリスクを踏まえてまで告白した自分を十分褒めてやるほうがいい。

まずは誰にカミングアウトするか

誰にでもカミングアウトすればいいという問題でもない。上述したように、理解者から順を追って告白することがコツといえよう。身近であればあるほど勇気とエネルギーが必要になってくる。SNSなどを活用しながらまずは仲間を見つけることから始めてもいい。
自助グループなどきっかけに、自分の抱える問題を話せる場を必ず持っておくことが回復には大切だ。依存症者にとって否定されない、攻撃されない体験は依存からの回復過程では重要な体験になる。話せてよかったと思える体験を積み重ねることが良質のカミングアウトにつながるのだと思う。

けれども期待はしてはいけない。

家族にカミングアウトしたところで劇的に何かが変わるなんてほとんどない。
受け入れてくれる人などほとんどいないと頭の隅においておきながら、確実に仲間を増やしていってほしい。

一人で依存問題を抱えすぎず、『自力(じりき)』ではなく『他力(たりき)』を知ることも大切。



身近に起きうる性被害とトラウマ・ケアを男性はあまり知らない。

ここ最近になって男性の性被害にも焦点が当てられるようになってきましたが、やはり圧倒的に多いのが女性に対する性被害。加害者は、それほど深刻に思っていなかったとしても被害を受けた当人はとても苦しい思いをする。軽傷だったから問題ない、未遂だったから大丈夫という問題では済まされない。被害者が感じる心理的負担やトラウマ・ケアの実際とはどういうものか。


記憶は色褪せない


「もう過去のことでしょ。過ぎ去ってしまったことを今さらそんなに考えても仕方ないよ。あなたにも非があったんじゃないの。いつまで引きずってるのさ。」
被害者へのこのような声掛けがさらなる二次被害を生み出してしまう。セカンドレイプはこうやって繰り返されてしまう。被害者であるにも関わらず、周りから心無い声掛けを浴びせられるとそれだけで心が消耗する。警察等での取り調べでは、事の詳細や何をどのようにどうされたかなどを根掘り葉掘り聞かれる。ただでさえ性被害に合い苦しい思いをしているのに、加えて辛い体験を語らなければいけない。
被害にあった記憶は脳に刻み込まれ、自分の中に落とし込む作業は、一体どれくらいの時間がかかることなのだろうか。もしも自分に・・・と想像するとそれは一生抱える辛い経験になるだろう。

トラウマが軽んじられている!?

少しきつい言い方をするが、トラウマという言葉が日常に定着しすぎていることに違和感を感じてしまう。
もちろん悲惨な恋愛はあるだろうが、恋愛においてよく出される「前の恋愛はマジトラウマだった。」というような経験は本来のトラウマ経験とは異なる。たとえ悲惨な恋愛だったとしても、それは時間が解決したり、癒してくれる部分があるのが思い出のいいところ。
しかし、トラウマはそうはいかない。
あの時の感情が鮮明に色褪せず、言葉にならない感情と苦しさでどうしようもなくなる。自分の中だけでは収められない感情は、多くの症状としてあらわれたり、時には行動化してしまうこともある。
虐待や被災、人災などの命に関わる体験が身近にあった場合などは、それがきっかけとなることも多い。
きっと日常会話では、自分の体験がいかに大変だったかを説明する役割として「トラウマ」という言葉が定着しつつあるのだろう。



被害にあった時に現れる3つのF

トラウマ・ケアの専門書にはよく出てくる有名なFをご紹介

①Fight(戦う)
被害にあったことに対して立ち向かうこと。
恐怖心やトラウマ体験と向き合うとてもエネルギーが必要となる作業。
被害体験と戦い、一生懸命乗り越えようとする。
生きていく、生き抜くために受け入れ性被害等に立ち向かうこと。
つまりはサバイバー。
しかし、誰しもそれを乗り越えられるわけではなく、戦いに終わりは無い。

②Flight(逃げる)
嫌な感情から逃げる作業。
整理できない耐え切れない感情から逃げることで生きていく。
周りの人間との接触を極力避け、感情を鈍麻させ生き延びようとする。
なんとか生きるための行動。
逃げていいんです。なにも悪いことではない。

③Freeze(固まる)
被害にあった否定的な感情が生き方全体に影響し、どうしていいか分からず固まってしまうこと。否定的な感情は、自分自身をこれまで以上に蝕み、自暴自棄な感情に包まれたり、自分を大切にできなくなってしまう。
整理できない感情は、時として身体症状に現れあなたやあなたの周りさえも傷付けてしまう。
身動きがとれなくなり、傷つき体験をさらに重ねてしまうこともある。
動けなくなることは辛いこと。時計の針が止まってしまったように苦しい。

回復の為には

安全で語れる場を持ちましょう。
抱えきれない思いは、ひとりではどうにもできません。
安心感や安全な場所でゆっくりと語るためには、受容的な人に話を聞いてもらうのもいいでしょう。(ただし辛さにつけ込む人の判別は必要です。)
でも、語ったからといってすぐに回復できるものでもありません。時間をかけてそのトラウマと向き合うことになるでしょうから、焦らず気楽に向き合う気持ちも持っておきましょう。
過去の辛い経験を語る上で「今、ここで」の感情を忘れないことが重要。
過去と今をしっかりと分けて考えながら「今語っているのは過去のことだ」ということを客観的に抱えておく作業が必要になってきます。

辛い気持ちには、名前をつけたりしながら程よい適切な距離感を保つことが大切。

今を生き抜くために、何かに依存してしまうリスクも考えながらトラウマとは上手く棲み分けを行っていかないとその渦にすぐ飲み込まれてしまう。

考え方をすぐに変える必要はない。
そんな簡単に考え方など変わるものではないから。

ゆっくりと感情を出す作業を繰り返し、危なくなる「サイン」に気付くことさえできれば、そこに対処法を差し込む隙ができる。
トラウマ感情に気付いたり、自分の感情や行動を「調整」したりしていくことが回復につながる。

トラウマ経験だってあなたの人生の一部であり、大切にしていかないといけないもの。ただ、あまりに大きいと抱えていられないので小さく小さく折り畳み、ポケットに収まるサイズにしていくことこそが、トラウマと上手く付き合うことなのかもしれない。



承認欲求を手放す作業

TwitterやInstagramには、自己顕示欲の塊のような人間が星の数ほどいて、彼ら彼女らは「いいね」をもらうために日々身を削っている。時には過剰にも思われる肌の露出やきわどい写真、見たこともないような高いお肉の写真を載せながら自分の価値を必死に高めている。

いやっ、実際には高めているかのように振舞っているのが大半なのかもしれない。フォロワーの数やいいねの数に左右されながら、人の目ばかり気にしている。

生きていくためには、周りにどう見られているかを意識することは大切であるが、果たしてTwitterに投稿される承認欲求を野放しにしておいて、私たちは本当の幸せを手に入れられるのか。また、そのような呪縛から解放されるには、何を考え、どう行動していくべきかについてこの記事では取り上げたい。

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人の目を気にしない3つのポイント

誰もあなたに関心なんて持ってないことを知る

まずはここに気づくことがあなたの悩みの負担を減らすだろう。学校のクラス、職場、バイト、SNS、人間関係は多様に存在するが、周りの人はあなたのことにあまり関心をもっていない。
つまるところ、人は自分のことで精一杯なのだ。
そういう意味では、刹那的な思いを掃き溜めのように積み上げていくTwitterなどは、ストレスのはけ口としては有効だろう。
(ただ。発言したと言う事実は残るが)

誰も注目していないのであれば、あなたの好きに生きればいい。

たとえ失敗したとしても、誰もそこまで気にしてないし、そのことを鮮明に覚えているわけでもない。周りからしたらあなたも他人のひとりであることを心にとどめておくだけでも心がスッと軽くなるだろう。できることなら失敗は避けたいものだが、それに囚われて身動きがとれなくなる人もきっと多いだろう。

少しでも生きやすい生き方を選択していくことがあなたらしく生きることにつながり、しいては生き方そのものを変化させる。人のためのTwitterではなく、あなたがしたいことの表現がTwitterで表現されるのを切に願う。

②問題は分化して、コントロールできるものとできないものに気付く


問題が山積みになると、今どれが優先すべき問題かなどを見失ってしまう。さらにいえば、その問題が果たして自分の問題なのか、相手の問題なのかを見極めていく必要も出てくる。
「そのストレスは本当にあなたが抱えなければいけないストレスか」を問い直すことで見えてくるものがあるかもしれない。多くの人達がここで巻き込まれてしまう。抱えなくてもいい問題まで背負ってしまい苦しくなる。

家族問題を例に挙げると、父親や母親のいいなりになっていたり、機嫌を伺うような必要以上の配慮をしていないかどうかを見直してみるのもいい。あなたが成人ならなおさらだ。経済的に家族からの支援が必要な場合も多々あるが、だからといって奴隷になる必要はない。

親の機嫌は親自身が取ればいいわけで、子どもの役割ではない。固定化しやすい家族問題などでは当事者は身動きが取れなくなることが多い。だからといって親の問題まで抱え込まなくてもいいことを頭に入れておいたほうがいい。




加えて、その問題がコントロールできるものかそうでないかを判断していくスキルが必要になってくる。コントロールできない問題をコントロールしようとすると、そこに無理が生じてさらなるドツボにはまりやすい。

人間関係を例に挙げると、相手が自分をどう思っているかなどは、コントロールできないものであることを理解しておく。反対に、自分がその相手にどう振舞うかなどは、自分の「行動」なのでコントロールできるものだとわかるだろう。
問題の分化(分けて考えること)は問題の本質を見失わないためにも必要であり、人の目を気にしないためには、自分の問題に焦点を当て取り組むことが求められる。

③選択できる自分に気付くこと


コントロールできるものに集中すること。
つまりは「自分の行動」に集中することが生きやすい生き方につながる。
それが失敗しようが成功しようが、行動したことに対する事実は残る。
人の目の呪縛から解放されるには、人にどう見られているかよりも「自分は何をしたか」という主体性を大切にしていくこともひとつの選択肢だ。
これらからわかるように、私たちの目の前には選択肢が実はたくさん存在する。しかし、メンタルが弱っていたり、そもそも抑圧されて育ってきた人達にとってはその選択肢が見えなくなってしまっていることがよくある。

それゆえに行動に関しては、「できるだけ確実に実行できる行動」から始めるといい。失敗しないように、確実にできるスモールステップがあなた自身の自尊心を着実に外側から固めてくれる。今の現状を十分にアセスメント(査定)しながら適切な課題設定をすることが承認欲求に囚われないコツでもある。

まとめ

まず多くの物事は、あなたが選択できるということを知っておく。周りの評価は付きまとうものであるが、あなた自身の評価を決めるのはあなた自身だということに気付けば背中の荷物は少し置いておくことができる。
感情だってそう。
相手の感情を無理やり変えるのは、魔法使いでもない限り無理だろう。
だからこそ、せめて自分の感情は自分で決められるということを知っておくことこそが生きやすい生き方につながる。
Twitterなどの簡単に得られる承認欲求はまさに「麻薬」。
しかし、簡単に手に入れられるものは簡単に失ってしまいやすい。
大切に育て上げる承認欲求を積み上げていきたいものだ。