結論としては、ギャンブル依存症は病気といって間違いない。
日本には、法律によって定められた競馬や競艇、競輪、オートレースといった地方公共団体による公的に認められたギャンブルが存在する。また、現在カジノを含む統合型リゾート施設の開業に向けて、都道府県が誘致に名乗りをあげている最中にギャンブル依存症の治療を保険適用させる動きが活発になってきている。
依存症治療で有名な国立病院機構久里浜医療センターの調査では、強い依存性が疑われるギャンブル依存症患者の暗数は全国で320万人にも上るとも言われており、日本人のギャンブルに対する捉え方を見直す時期に来ているのかもしれない。
最近は、店頭ののぼりやCMが少なくなったものの、日本にはパチンコやパチスロといった法律的には賭博に含まれないグレーな遊戯を重ねる事によって日々ギャンブル依存症者が量産されているともいえる。法律の規制の範囲の中での遊戯だからといって油断は禁物なのだ。
■ギャンブル依存症は行為障害に分類され、診断基準には、
①興奮を得たいがために掛け金の額を増やす
②その行為を中断させられると落ち着きがなくなったりイライラしたりする
③制限をするにも関わらず、その枠を超えてしまう行為が伴う
④感情が一時的に楽になる機能をもつ
⑤嘘や言い訳が多くなる
⑥日常生活に支障をきたす程にコントロールを失ってしまう
などの特徴が、数個あるだけでも病的ギャンブルになってしまう。
(診断基準の詳細は省略
最近では、ニュースなどで加熱過ぎるほど取り上げられる覚せい剤問題を筆頭に、アルコールやギャンブル、ゲームといった多くの依存問題に焦点が当てられている。次の対象になるのは、潜在的な依存症が多いとされるギャンブルに向かう世論の流れはある意味至極まっとうな流れともいえるだろう。
自己責任では語りきれない当事者たちの苦しみ
先程もいったように、ギャンブル依存症は病気と扱って間違いない。一旦依存症になってしまうと、その行為を止め続けない限り回復していくことは困難になる。ブレーキが壊れた車が壁にぶつかるまで止まらないことと同じように、回復に向かう当事者たちは、自分のギャンブルが病的であることを理解している。
一度行動に走ってしまうと外からの力が働かない限り、もう止められなくなってしまう。まさにここに病気の根深さが感じ取れるだろう。
お金があればあるだけ使い、なければ金策に走り、ギャンブルに勝てばもっと勝ちたくなり、負ければその負けを取り返すかのように勝負にこだわる。
まさに、こういった過程で病的賭博が形成されていくのだろう。
回復するためには治療が重要
未だに依存症は自分の意志で何とかやめていけると思っている社会が多く存在する。実際に強い意志でやめ続けている人達が居ることも事実であるが、当事者たちは意志だけではどうにもならないことを理解している。
日常生活において、彼らの前には、その行動(ギャンブル)につながるきっかけが山ほど積み上がっているのだ。コンビニの雑誌しかり、一万円札を見るというそんな単純なきっかけでさえ欲求が入ってしまう。
それらの欲求と戦うには意志の強さだけではどうにもならない。
専門治療施設につながることや自助グループへの参加が回復には大きな助けとなるにも関わらず、当事者やその家族などは意志の力に固執し、依存問題を更にこじれさせてしまうことが多い。
社会資源についての理解が乏しいだけではなく、依存問題を自分たちで収めようとすればするほど問題は複雑化する。
精神保健福祉センター
そもそも↑の様な社会資源を知らない人も多く、そこにたどり着くまでに多くのものを失い、つながる気力すらなくなってしまうのだ。
保険適用は賛成?反対?
タイトルにも書かれているとおり、依存症治療における保険適用をどう考えていくかが課題となっている。
「国民の大事な税金なんだぞ!自己判断でギャンブルを楽しんでいる奴らになんで税金が投入されなければいけないんだ(怒)」
まぁ、おっしゃる怒りはなんとなく理解できる部分もある。しかし、今回の医療保険適用に関しては、「集団治療プログラム」などを対象に検討が進む。
今後この「集団治療プログラム」の定義も含めて議論がなされるのだろうが、いわゆる院内のミーティングをより構造化し、治療として取り入れる流れが厚生労働省としてあるのかもしれない。
社会の中で、依存症の回復に向けて、自助として活動している多くのグループ(AA、NA、GA、SA、OA、EA、CoDA)が回復に大きな成果を出しているモデルを、今まで以上に医療の中に取り入れ、回復の一助として活用する流れには大いに賛成できる部分はある。
同時に、自助グループであることの強みがなくなってしまわないかという不安もこの保険適用を考える上で配慮すべき点だと個人的に感じる。
これまでの依存症治療に関しても、保険適用の範疇であったものの、病院内における治療プログラムは施設に委ねられている部分が多かったといえよう。特に、精神科等の診療報酬加算の算定に関しては、複雑なものが多く、治療プログラムを構造的に行っている専門病院は極めて少ない印象がある。
保険適用のメリットには、精神科などで安定した枠組みの中で治療につながれる患者が増え、依存に関する社会の理解が進むことが予想される。潜在的な病的ギャンブル依存症者にもスポットライトが当てられ、相談機関や専門病院が増えるだろう。
特に、当事者の家族は相談できる機関が増えることで依存問題をひとりで抱え込まなくて済むことは大きなメリットになる。ギャンブルに関するブレーキが壊れているのだということを理解した上で当事者と向き合い、「底つき」が幾分か早くなるだろう。
また、精神科などでは、外部協力者として自助グループのメンバーが病院などに訪問し、メッセージを届けるなどの活動をしている。私自身地域で行われている一般向けのミーティングに参加した経験もあり、ミーティングを当事者やその家族に運ぶことの意味を徐々に体験を聞くことで理解してきた。
↓
オープン・スピーカーズ・ミーティング
今、回復し続けている当事者たちだからこそ語れるメッセージが病院内に入ることは、依存症治療の大きな前進ともいえる。
では、残された課題とはなんだろうか。
専門医やコ・メディカルの育成課題や病院による患者の悪質な囲い込み問題、自助グループへの橋渡しなどの連携課題、社会復帰を見据えた外来治療の構造化など考え出せば多くの課題が浮かび上がる。
まさに、保険適用に向けてこれらの課題を丁寧に説明できるよう議論すべきであり、慎重な検討と現場の声をすくい上げる必要があるだろう。
まとめ
カジノ事業を誘致するための小手先の依存症治療の保険化だけは避けてほしい。その他にもTwitterなどでは、タバコやギャンブル依存症は保険の対象になるにも関わらず、不妊治療や妊娠出産の保険適用に関してまず手厚い施策が必要なのではないかというツイートがバズっている。
また、ギャンブル依存症だからとひとくくりにまとめてしまうと問題の本質を見失ってしまう。依存問題の背景にある疾患にも目を向け、主治医をはじめとするコ・メディカルとも連携していくことが大事な過程であり、その先にある自助グループにつながれるまでの流れをモデルにするなど、今まさに回復し続けている人の力が大きな財産になるだろう。
もちろん依存症は病気であり、治療すべき対象ではあるものの、限りある財源の中から優先順位や今やるべきことをまともな大人たちが議論する必要があるだろう。