本紹介:バツイチの子供たちへ

ふと本棚を見上げてなにか本を紹介したいなと目に飛び込んできたのがこの一冊の本。15年ほど前の心理学の講義で紹介され、なって当時の古本サイトで探して購入したこの書籍。
当時、虐待や愛着障害に関する本を読みあさっていた時期であり、支援や保護に関する知識を勉強していたが、当事者、特に子供に焦点を当てたインタビューは珍しかった。この本ではバツイチの子供にインタビューし、子供が感じる葛藤や親や家族のかたちを記録したもの。

「読むべきなのは、大人たちのほうだ」とはじまるこの本は、まさに大人の読み物。離婚問題で取り上げられるといえば、シングルになった母親のその後や、モラルのない夫や虐待などを繰り返して苦しい思いをする家族というのが定番だろう。しかし、この本ではバツイチとなった子供たちに焦点を当て、その生きづらさや苦しさをインタビューしまとめられたものだ。
第一章/宿命
第二章/血縁
第三章/目撃
第四章/親権
第五章/再婚
これらの目次から構成され、その内容は咀嚼するには時間がかかるものが多かった。わたし自身この本を読みきるのに数ヶ月かけた思い出がある。
それほどまでに、読むのにエネルギーがいる書籍だ。

 

第一章では、子供の視点から家庭が壊れていく様が描かれていたり、なるべくしてなった離婚問題や家族内の葛藤が表現されている。

第二章では、血というしがらみが、子供だけでなく周りをも巻き込む問題に発展していく様子が描かれる。

第三章では、バツイチとなった子供から見た親の姿が描かれるだけでなく、父性、母性、両親像が子供に与えた影響がまとめられていた。

第四章では、親権という大きな拘束が兄弟姉妹を引き裂き、本当の母親との再会や拒絶に関して語られていた。

第五章では、再スタートに向けたそれぞれの葛藤と受け入れがたい事実とそれを飲み込む子供の大変さについて迫り、家族とはなにかを考える。

まとめ
読むごとに心のエネルギーがゴリゴリ削られる読み物となっており、人によっては嫌な記憶が思い起こされるものになるかもしれない。ここの描かれているインタビューはまさに生の声。痛々しくも生きていく上で、親の都合とも言われるバツイチの問題に子供が振り回されている現実がまじまじと伝わってくる。きっと今でさえ、声にならない声がどこかで上がっているのだろう。
離婚問題は確かに親の問題ではあるが、その結果子供にどんな影響が出るかについても親は熟考しなければならない。
「親だって人間。自分の生き方を好きに生きたい。」思いも大切ではあるが、周りに与える影響も考慮に入れて、自由と義務はしっかり果たしていきたいものだ。



依存問題のカミングアウトにどう向き合うか

友人、家族、職場、あなたの依存問題についてしっかり話し合える相手はいますか?以前の記事でも書いたとおり、私個人の意見としては、たとえその依存が違法なものであったとしても、通報よりも治療に結び付けることが最善策だと思う。
そのための第一歩としてカミングアウトをいかに上手くして、周りの協力を得るかが回復の鍵となる。


依存症は関係を破壊させるもの

わかりやすいところで薬物依存を始め、ギャンブル(違法・合法)、アルコール、買い物、恋愛、性、関係、物質、精神など様々なものに依存しながら私たちは生きているのは紛れもない事実。これぐらい大丈夫と思っていたものが、その依存中心の生活を送ることになってしまうのが依存症の怖いところ。まさに、本来の自分の生き方ができなくなってしまうこと。大切にしたかったものを簡単に破壊してしまう。本来大切にしたかった優先順位が依存によって変わり、生活がその依存症中心の生活になってしまう。
きっと治療につながるまでにいろんなものを失い、周りに迷惑をかけてしまうかもしれない。しかし一番の犠牲者は自分であることも確か。治療に本腰を入れるときあなたは何にすがればいいのか。はたまた、すがらずに自分で生きていくためにはなにか必要になるか。その時、あなたはどうやってカミングアウトすればいいののか。
依存していることを話すのは負けたような気がしてどうもカミングアウトできる気がしないあなたは少し足を止めていただきたい。



カミングアウトはチャンスか甘えか

家族や周りの人間に依存問題について理解と助けを求めることは自分の問題を認める第一歩となり、依存問題と決別する最大の機会といってもいいだろう。これまで嘘で固めていた偽りの生き方をじっくり認め、本来の生き方を取り戻す大きな一歩でもある。
「もう嘘をつかなくて済む、肩の荷が下りた」など、これまで抱えていた負担がいかに大きかったか実感するだろう。依存症は否認の病であることはよく知られている。だからこそ自分の依存問題を認めるところから始めてみるのもいい。カミングアウトすることで問題解決の一歩が始まるといってもいいだろう。勇気のいる行動であるが、カミングアウトは回復のチャンスというわけだ。

その反面、依存症は甘えだと言う意見も一般にはよく聞く。
「本人の自己責任だ。意志が弱いからそうなったのではないか。甘えでしょ。」などの厳しい指摘があるのも事実。きっと当事者たちは、このような声掛けによってカミングアウトする気持ちすら削ぎ落とされてしまうのだろう。

依存症者は周りに何を期待するべきか

カミングアウトする側は、周りに多くを求めないほうがいい。
なぜなら本当に理解を示してくれる人間は極端に少ないからだ。5人いれば4人は否定してくる、そう思うぐらいがちょうどいい。
私たちが探すべき相手は残りの1人だということを忘れてはいけない。
なにはともあれ、カミングアウトできた自分を褒めてあげることから始めてみよう。きっと勇気のいることだろうし、誰にでもできるわけではない。周りにどう説明したらいいか分からず、眠れぬ夜を何度も過ごしただろう。時には、カミングアウトのことを考えすぎて、日常生活に支障をきたしてしまう人もいる。

それほどまでにカミングアウトというものはエネルギーを使う作業である。
告白によって人間関係が変化したり、友人・知人を失ってしまう人もいるかも知れない。それほどのリスクを踏まえてまで告白した自分を十分褒めてやるほうがいい。

まずは誰にカミングアウトするか

誰にでもカミングアウトすればいいという問題でもない。上述したように、理解者から順を追って告白することがコツといえよう。身近であればあるほど勇気とエネルギーが必要になってくる。SNSなどを活用しながらまずは仲間を見つけることから始めてもいい。
自助グループなどきっかけに、自分の抱える問題を話せる場を必ず持っておくことが回復には大切だ。依存症者にとって否定されない、攻撃されない体験は依存からの回復過程では重要な体験になる。話せてよかったと思える体験を積み重ねることが良質のカミングアウトにつながるのだと思う。

けれども期待はしてはいけない。

家族にカミングアウトしたところで劇的に何かが変わるなんてほとんどない。
受け入れてくれる人などほとんどいないと頭の隅においておきながら、確実に仲間を増やしていってほしい。

一人で依存問題を抱えすぎず、『自力(じりき)』ではなく『他力(たりき)』を知ることも大切。



身近に起きうる性被害とトラウマ・ケアを男性はあまり知らない。

ここ最近になって男性の性被害にも焦点が当てられるようになってきましたが、やはり圧倒的に多いのが女性に対する性被害。加害者は、それほど深刻に思っていなかったとしても被害を受けた当人はとても苦しい思いをする。軽傷だったから問題ない、未遂だったから大丈夫という問題では済まされない。被害者が感じる心理的負担やトラウマ・ケアの実際とはどういうものか。


記憶は色褪せない


「もう過去のことでしょ。過ぎ去ってしまったことを今さらそんなに考えても仕方ないよ。あなたにも非があったんじゃないの。いつまで引きずってるのさ。」
被害者へのこのような声掛けがさらなる二次被害を生み出してしまう。セカンドレイプはこうやって繰り返されてしまう。被害者であるにも関わらず、周りから心無い声掛けを浴びせられるとそれだけで心が消耗する。警察等での取り調べでは、事の詳細や何をどのようにどうされたかなどを根掘り葉掘り聞かれる。ただでさえ性被害に合い苦しい思いをしているのに、加えて辛い体験を語らなければいけない。
被害にあった記憶は脳に刻み込まれ、自分の中に落とし込む作業は、一体どれくらいの時間がかかることなのだろうか。もしも自分に・・・と想像するとそれは一生抱える辛い経験になるだろう。

トラウマが軽んじられている!?

少しきつい言い方をするが、トラウマという言葉が日常に定着しすぎていることに違和感を感じてしまう。
もちろん悲惨な恋愛はあるだろうが、恋愛においてよく出される「前の恋愛はマジトラウマだった。」というような経験は本来のトラウマ経験とは異なる。たとえ悲惨な恋愛だったとしても、それは時間が解決したり、癒してくれる部分があるのが思い出のいいところ。
しかし、トラウマはそうはいかない。
あの時の感情が鮮明に色褪せず、言葉にならない感情と苦しさでどうしようもなくなる。自分の中だけでは収められない感情は、多くの症状としてあらわれたり、時には行動化してしまうこともある。
虐待や被災、人災などの命に関わる体験が身近にあった場合などは、それがきっかけとなることも多い。
きっと日常会話では、自分の体験がいかに大変だったかを説明する役割として「トラウマ」という言葉が定着しつつあるのだろう。



被害にあった時に現れる3つのF

トラウマ・ケアの専門書にはよく出てくる有名なFをご紹介

①Fight(戦う)
被害にあったことに対して立ち向かうこと。
恐怖心やトラウマ体験と向き合うとてもエネルギーが必要となる作業。
被害体験と戦い、一生懸命乗り越えようとする。
生きていく、生き抜くために受け入れ性被害等に立ち向かうこと。
つまりはサバイバー。
しかし、誰しもそれを乗り越えられるわけではなく、戦いに終わりは無い。

②Flight(逃げる)
嫌な感情から逃げる作業。
整理できない耐え切れない感情から逃げることで生きていく。
周りの人間との接触を極力避け、感情を鈍麻させ生き延びようとする。
なんとか生きるための行動。
逃げていいんです。なにも悪いことではない。

③Freeze(固まる)
被害にあった否定的な感情が生き方全体に影響し、どうしていいか分からず固まってしまうこと。否定的な感情は、自分自身をこれまで以上に蝕み、自暴自棄な感情に包まれたり、自分を大切にできなくなってしまう。
整理できない感情は、時として身体症状に現れあなたやあなたの周りさえも傷付けてしまう。
身動きがとれなくなり、傷つき体験をさらに重ねてしまうこともある。
動けなくなることは辛いこと。時計の針が止まってしまったように苦しい。

回復の為には

安全で語れる場を持ちましょう。
抱えきれない思いは、ひとりではどうにもできません。
安心感や安全な場所でゆっくりと語るためには、受容的な人に話を聞いてもらうのもいいでしょう。(ただし辛さにつけ込む人の判別は必要です。)
でも、語ったからといってすぐに回復できるものでもありません。時間をかけてそのトラウマと向き合うことになるでしょうから、焦らず気楽に向き合う気持ちも持っておきましょう。
過去の辛い経験を語る上で「今、ここで」の感情を忘れないことが重要。
過去と今をしっかりと分けて考えながら「今語っているのは過去のことだ」ということを客観的に抱えておく作業が必要になってきます。

辛い気持ちには、名前をつけたりしながら程よい適切な距離感を保つことが大切。

今を生き抜くために、何かに依存してしまうリスクも考えながらトラウマとは上手く棲み分けを行っていかないとその渦にすぐ飲み込まれてしまう。

考え方をすぐに変える必要はない。
そんな簡単に考え方など変わるものではないから。

ゆっくりと感情を出す作業を繰り返し、危なくなる「サイン」に気付くことさえできれば、そこに対処法を差し込む隙ができる。
トラウマ感情に気付いたり、自分の感情や行動を「調整」したりしていくことが回復につながる。

トラウマ経験だってあなたの人生の一部であり、大切にしていかないといけないもの。ただ、あまりに大きいと抱えていられないので小さく小さく折り畳み、ポケットに収まるサイズにしていくことこそが、トラウマと上手く付き合うことなのかもしれない。