精神科を選ぶ上で絶対気を付けるべき3つのポイント!

 

さては、あなた・・・

これまで精神科につながったはいいけど、精神科の医師に理解されなくて余計に病状が悪化したことがありますね。

・・・などと、唐突に占い師風に始まりました。
どうもこんばんは。管理人です。

このページを見ているあなたは、こういうを経験きっとしてきたことでしょう。
それもそのはず、精神科には【当たり外れがある】のをご存知ですか?
餅は餅屋というように、精神科の中にもちゃんと選ばなければいけない大事なポイントがあります。
今日はその【当たり】を見つけるためのコツをご紹介します。

それがこの3つのポイント!

精神保健指定医が少ない精神科は注意
多剤処方する医師は注意
他職種連携ができない医師は注意

それぞれ詳しく見ていこう。

①精神保健指定医が少ない精神科は注意

皆さん精神科医がどのように誕生していくか知ってますか?
また、昨日まで形成外科医だった人が今日から精神科にもなれるのをご存知ですか?
一般の人達が知らないだけで、医師は主に研修期間内に多くの【科】を回りながら自らの専門を決めていく人が多いのです。

つまり明確な専門をかかげるためには働く【科】にある専門資格を取っていくことが必要とされます。
そして、精神科の最低限の専門こそがこの「精神保健指定医」と呼ばれるものでしょう。
以前、精神保健指定医試験の提出課題を見せていただいたことがあるのですが、精神科特有のケース記録を報告したり、処方薬に関する具体的な指示や経過等をレポートとして提出するものでした。
(なぜこの資格が重要なのか?)
それは、精神保健指定医は更新制だからです。5年ごとに更新手続きを行い、指定された研修等に参加しなければその資格が失効されるため、ある程度の質が保証されているといえるでしょう。また、精神保健指定医を持っていると、特定の時間患者を隔離・拘束できる法的な力を持つことができます。つまり,更新制と同様に医師側の質が一定に保証されているといってもいいでしょう。もちろん持っていないが優秀な精神科医もいますが、選ぶ側の一つの視点として意識しておくのもいいでしょう。

②多剤処方する医師は注意

薬物療法を否定しているわけではありません。
ただ、精神科医なのに【薬物療法だけ】に固執している視野の狭い医師には注意が必要です。症状によって処方薬が増えることはよくあることですが、片手いっぱいの処方薬を飲んでいませんか。
精神科の治療薬には耐性がついたり依存性のあるお薬があったりします。治療しに行ったつもりが病状が悪化したり、処方薬依存になってしまわぬように注意が必要です。薬物療法と精神療法を組み合わせた治療が治療には大切だというエビデンスもあります。病院やクリニックなどのホームページを見ると先生方の専門が書かれていることがあります。必ずみておくべきポイントでしょう。目の前にいる医師がどういう背景のもと治療に取り組んでいるかを調べておくことが大切。まさか、通院はしてるけど、主治医の専門を知らないっていう人いないですよね?
白衣を着た売人には注意が必要です。

 

 

③他職種連携ができない医師は注意

精神科病院には多くの専門職がいます。
看護師,薬剤師、精神保健福祉士、臨床心理士、作業療法士などなど
患者を中心として多くの専門職が関わってくれる病院は【当たり】です。
また、主治医が積極的に他職種と連携し、コミュニケーションが取れている病院も当たりといえるでしょう。

薬剤師に処方薬の効果と副作用を気軽に聞けたり

看護師に診察で話せなかった本音を話せたり

精神保健福祉士に入退院に関する流れや、支援制度の情報提供を教えてもらったり

臨床心理士に病気に至る経緯をじっくり聞いてもらったり

作業療法士にリハビリテーションに関する不安を聞いてもらったり

【当たり】な精神科病院では医師と他職種との垣根が低く、十分連携が取れていることがあげられます。逆を言えば、主治医の独断と偏見で全ての治療が進み、患者や他職種の話を聞き入れないような病院は避けておいたほうがいいでしょう。
ただ、医師が忙しいのも事実。多くの患者を待たせまいと診察をこなしながら、残業や急な呼び出しによってプライベートが侵されてしまっている医師も多いので一概に医師の責任かと言われるとそうでもない。
専門職がお互いの領域を意識し、連携が取れている病院こそが3つ目のポイント!

まとめ

精神科の敷居も若干低くなってきている印象がありますね。それだけ社会資源に繋がりやすくなっていることはいいこと。
以前依存症の社会資源について書いたが、

https://yuruiizonshou.net/wp-admin/post.php?post=347&action=edit 社会資源があったとしても実際につながる者は極めて少ない。

 

第一のステップは【とにかく医療につながること】
そしてこの記事にもある通り、
第二のステップは【目の前にいる主治医がどういう人間か】も意識しておいたほうが治療にさらなる精度が増してくるだろう。

精神科に通院している人の中には、だた通っているだけの人が少なからずいる。
通院するだけで回復するのであれば、精神科の治療は何と簡単なものだろう。
通院をきっかけに医師や他の専門職と深く話し合ったりすること自体が回復の過程なのかもしれない。さらに言えば、日常生活の中で語られることのない問題性が行きづらさを増幅させていることも考慮に入れれば、やはり【語ること】は大きな意味を持つだろう。ぜひ【当たり】を見つけてほしい。

 




2学期に学校に行きたくない人手挙げて! 若者向けメンタル講座①

ツイッターのフォロワーにも若者が多くなってきたこともあり、一度若者向けの記事を書いてみようとこのテーマにしました。
特にこの時期から9月にかけて若者の自殺率も上昇しやすいこともあり、普段の専門用語などは使わない若者向けのメンタルヘルス講座にしたいと思います。※以下の記事は、中高生をターゲットに書きます。

今の感情

さて、8月も後半にさしかかり焦りの感情も出てきている人も多いのではないでしょうか。学校が休みになるということは、戦場から一時休戦の合図が出ているようなもの。4月から始まった新しいクラスに慣れた人も慣れなかった人も今、羽を休めていることでしょう。

しかし、そんな休息もあとわずか。
焦らすつもりはないのですが、気持ちの整理は早いに越したことはない。
学校の始業式が近づくについれて気持ちがどよ~んとなる人も多いのがこの時期の特徴。

やっぱり現実と向き合うとなるとエネルギーいりますよね。
夏休みは学校から強制的に出される休息であって、自分のペースで作り出す休息ではありません。これがクセ者。強制的に休まされる中ではきっと自分なりのエネルギー補充ができない人が多いはず。
年間休める時間を自分で決められたらいいのになぁ~
って昔思ったり思わなかったり。(だから大学は不登校が少ないのかもね)

2学期に向けた心の準備をどうするか

安心しろ。
きっとそんな心の準備ができている奴は、ほんのわずかでひと握りだろう。
圧倒的多数の人間が休みを愛し、何もしないだらだらできる時間から離れたくないと感じている。
それは大人だってそうかもしれない。
働かず、ある程度の収入が約束されているのであればそれに越したことはない。
自分の趣味や一緒にいたいと思える人間と過ごす時間を大切にしたいと考える人間が圧倒的に多いはず。(根拠はないけど

大人になっても同じような似た悩みを抱え続けるんですよきっと。

もし、夏休み明けの始業式に出れなくてもそれはそれであなたの人生なんだし、自分で決定していくことが大切だと思うよ。
不登校ユーチューバーのゆ○ぼんの意見などは半分合ってて半分ちょっと違う。
(個人的には親の問題だとおm以下略)
これを見ている中高生には、自分で決断し、選択していく力を養ってほしい。

頑張っていく。 or 行かない。
それぞれのメリットデメリットを考え抜いて選択する過程が大事だと私個人は感じる。そうやって決定したものに間違いはないと思うし、考え抜いた経験は今後役に立つかもしれない。

少し説教じみてきたので今回はこの辺で。
結論としては、誰に左右されるのではなく自分で物事を決定していくことって大事なのかもしれないということ。もちろんその過程を一人で苦しまず周りの人間とシェアしてみてね♪

 

追伸
新しい水着を新調しました。
基本インドア派なのですが、ラッシュガードなど一式揃えたので少し外に出てみようと思います♪
全身運動の後はしっかりプロテイン取ってカラダを絞るぞ!(あれ?私元々こんなキャラじゃない




AERAの摂食障害の記事がチューブ吐きにまで言及!!

AERAがチューブ吐きに言及!!

先日AERA dotに「管を喉から胃まで突っ込む”チューブ吐き”摂食障害「痩せ姫」たちの危険な夏」と題して記事が出された。

https://dot.asahi.com/dot/2019080800063.html

某有名女優の激ヤセや有名歌手などの背景にあったと推測される「摂食障害」に迫った記事である。

私も以前このサイトで、カショオ(過食嘔吐を繰り返す)女子について書いたとおり、摂食障害の根っこにフォーカスを当てながら、その危険性とどうしてもやめられない葛藤が記事にも描かれていた。

https://yuruiizonshou.net/post-300/

何よりAERAの記事には、チューブ吐きに関することに言及されていたことに大きな衝撃を受けた。

Q,そもそもチューブ吐きってなに?
A,口からホースを突っ込んで胃の中の内容物を排出する行為です。

摂食障害に関して理解が乏しい人にとっては衝撃的な答えだろう。私自身も摂食障害者と関わる中で、チューブ吐きを自発的に答えてくれた患者さんは過去に10人もいなかったと思う。

過食嘔吐(カショオ)の人は、指を突っ込んで吐く割合が多い

ただ、それだと指に吐きダコができてしまう。
※吐きダコとは、指を入れて吐く際に手の甲に傷ができてしまい、繰り返すことによってタコになる状態。やせ細ったモデルさんの手の甲には、タコができている人も見かけられる。(テレビでついチェックしてしまう自分はもう職業病か?)

つまり、指吐きによる嘔吐は、周りに知られてしまうリスクをはらんでいる。また、胃液や胃酸が食道を通るため、喉が炎症を起こしたり顔がむくんでしまったり、ニオイが気になってしまう。さらには、歯のエナメル質が胃酸によって溶かされた結果、歯がボロボロになってしまうリスク、そして何よりも、吐いていることを他者に知られてしまうリスクがある。

吐きダコが残るリスクを避けるためか、指吐き以外にも腹筋を使って吐く方法などもある。チューブ吐きや濯ぎなど、普段聴き慣れない言葉が掲示板やTwitter上でよく飛び交っているのを見かける。

摂食障害に悩む当事者の中には、どんな手法を使ってでも吐かなければいけない強迫的な思いに囚われている人も多い。

過食嘔吐がバレない為に考えられたのがチューブ吐き

チューブといっても医療用ではない。ホームセンターなどで長さの量り売りしているようなシリコン製のホースだったりがソレに使われる。

客観的にホースを咥えている絵を想像すると滑稽だろうが、当事者はその中で苦しんでいるのも事実だろう。喉の内壁を傷付けないように慎重にチューブを突っ込み、ソレを胃まで差し込むのだ。ソレで喉を傷付けないように角を取ったり(面取り)、吐いた後は洗面器等に漂白剤を入れ、つけ込む。掃除が行き届かないホース内部を清潔?に保とうとしている人も過去にいた。

チューブ吐きとは、胃瘻(いろう)とは真逆な発想をもとに、摂食障害を抱える当事者たちが生きるために考え出したもものなのかも知れない。


※この記事を読んだ人はここもチェックしてほしい※


この記事を書く際に、具体的なところまで描くと同時に、リスクも必ず伝えておかなければと思った。ぜひ、ここもチェックして欲しい。
◆摂食障害の予後
◆摂食障害と骨粗鬆症
◆自殺率
◆依存という病気

多くの要因があって吐くことを余儀なくされている当事者に吐くのをやめなさいなどという気は私には毛頭ない。「きっと生きていくためには吐かざるを得ない理由があるのだと思う。

ただ、一人で抱えることは避けたほうがいい。SNSなどを活用しながらチューブ吐きについての知識を得たり、リスクや効果、予後などを調べることをおすすめする。私の記事よりも当事者たちの生の声の方がよっぽど重みがあったり、心に響くだろう。

また、摂食障害は立派な病気だということを認めるところから始めてもいい。淡々と一人で苦しみながら過食嘔吐(カショオ)を繰り返したりするのではなく、いいことも悪いことも話せる場がこの病気にも必要だと思う。それはこのサイトの大きなテーマでもある「依存症」に大きく関わってくる。

本音を言えば摂食障害などの自助グループに足を運び、その苦しさを話し合えばいいと思う。しかし、SNSがこれほどまでに広がった中では、まずSNSを活用するべきだと私個人は感じる。チューブ吐きに関するより具体的な方法はあえて記載しないのでぜひ自分で調べてみるといい。

「摂食障害の偏見が広がってしまう」
「当事者じゃないなら黙ってて」
「娘が変な知識を覚えて真似したらどうするんだ!」
などの不安に駆られた周囲の人間から心ないコメントをよくいただく。これこそが、摂食障害者が抱えている生きづらさそのものなのだろうと感じさせられる。

批判する人の「寝る子を起こすな」に対しては、「あなたが寝ているのだ」と反論したい。摂食障害、過食嘔吐(カショオ)で苦しんでいる人たちは確実にいるのだから。

とにもかくにも、チューブ吐きの記事をきっかけにいろいろつながってみることをおすすめする。

結果、吐いたとしてもそれはそれでかまわない。
今日一日だけ頑張ることを積み重ねていけば解決の糸口は見えてくるかもしれない。
↓厚生労働省みんなのメンタルヘルス摂食障害↓
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_eat.html




騙されてはいけない、クロスアディクションのお話

クロスアディクション


クロスアディクションとは、2つ以上の依存が併存する状態。
つまり、アルコール依存ギャンブル依存が同時に当事者の中にあったり、薬物依存の背景には関係依存が隠れているなど、
問題を複雑化させるものだったりします。

ところで、アディクション(依存症)とおおまかに言ってもその種類は多く,身近な飲酒問題をはじめ、ストーカーや浮気、処方薬もアディクションの問題が根深く関係していると言われます。

昔から言われているところだと、うつアルコール
まともな精神科にうつなどの症状で受診するとまず聞かれるのが飲酒の有無でしょう。もし精神科に行って予診で聞かれなかったらそこはモグリだ!!(※持論)

それほどうつ病の背景にはアルコールの問題が関連していることがよくあります。

美ボディメイキングのためのプロテイン
Colla-Tein(コラテイン)

調査研究では、欧米を例に挙げ合併率が示されています。
ちなみにアルコール依存症とうつ病の合併率は40%だとか。

40%ですよ!!すごい高い割合でアルコールとうつは関係しているのですね。
この問題自体はクロスアディクションではないかもしれないが、わかりやすい例として押さえておきたいケースの一つ。

また、双極性障害(いわゆる躁うつ病)とアルコール依存にも大きな関連があったり、窃盗症などの行為障害とアルコール依存に関する体験談もよく目にしたりしますね。
ひとつの精神疾患の背景には違う依存の問題が影を潜めていたりするようです。(おー怖っ

 

つまり、依存症が治ったからといって騙されてはいけません。
そもそも依存症は完治するものでもありませんし、一生かけて付き合っていくものだということも理解しておかねばなりませんね。

 

さらに突っ込んで言えば、覚せい剤をはじめとする違法薬物に手を染める女性の背景には必ずと言っていいほど男性問題が絡んでいることもよく聞く話。
女性の場合、違法薬物乱用者からの勧めで乱用が始まることも・・・
実はその背景にも関係依存の問題が隠れていることもしばしば。これもまたクロスアディクション。

そう考えて世の中を見回すと、人間誰しも、何かにすがりついたりすがりつかれたり、求められたり求めたりしながらギリギリの中で生きているんだなと感じます。
ふと、「その瞬間を生き抜くにはそれに頼らざるを得なかったのではないか」と感じることもあります。まさにアディクションの始まりなのかもしれませんね。
もちろん違法であるものを正当化するわけではないですが、依存に至る流れは違法薬物を使っていなくても想像できる面もある。

「あ~いつからここまでねじれ曲がってしまったのだろうか。」
そのように思う前になにか手立てを加えていきたいものですね。

追伸
お盆休みを早めに切り上げパソコンに向かってます。
ストックしてある記事をじっくり書き上げていきたい所存です。
あ、あとお盆で1キロほどリバウンドしてしまいました(汗




シャブ浜(覚せい剤)~落語のおはなし

落語が大好きで、通勤途中に落語やラジオを習慣的に聞いているのですが、その中でもこのサイトの大きなテーマでも「依存症」に関する落語をひとつ。

みなさん「芝浜」といえば一度は耳にしたことがある落語だと思います。
といっても一般の人は演題に「芝浜」って有名なものがあるのを知ってるだけの人が多いはず。

要約すると、仕事もろくにしないダメ亭主が、奥さんに急かされながら仕事に出ていき、芝の浜で大金を見つけてくるところから話は始まります。その大金を前に、働く気持ちすら失ってしまったこのダメ亭主。見かねた奥さんがダメ亭主に目一杯酔わせて大金を見つけてきたこと自体を夢にしてしまった。
お金があると思い込み、散々遊んだ挙句夢だと知った亭主は人生の底つきを感じ、そこから大好きだったお酒を断つのでした。元々は腕のいいこの旦那。酒を断ってシラフで仕事をすると仕事も人間関係も徐々にうまくいきだす。3年経った大晦日。奥さんは嘘をついていたことを告白するために旦那に勇気を絞って話し始める・・・
さてその結末は。

とまあ、ざっくりまとめると芝浜は人情噺(ばなし)に分類できる感情を揺さぶるような落語。立川談志師匠の「芝浜」は私が大好きな芝浜の一つです。
落語は演じる人によって同じ演目でも全く違って聞こえるのがいいところ。

 

同じく立川流の立川談笑さんの「シャブ浜」が大好きです。
「芝浜」を「シャブ浜」に文字ったこの落語。
単なるダジャレかよと思えば全くそうではない。
もともとの「芝浜」はお酒がやめられない旦那が主人公。
立川談笑さんの「芝浜」はシャブ(覚せい剤)がやめられない旦那が主人公。
落語の柱となるような肝心な部分が変わってもこの演目にはそれほどの惹きつける何かがある。

元暴走族で覚せい剤がやめられないトラック運転手の旦那が芝の浜で拾ったのがジュラルミンケース・・・笑
その中にあったモノをめぐって奥さんが人生をかけた大芝居に打って出る。
シャブを使っている時の時間の経過の表現がすごくリアルで聞くだけで情景が目に浮かぶこの作品。

すべてを奪い去る薬物の問題と家族のありがたさ、それでもなお、モノを目の前にすると体が反応してしまう葛藤。

是非とも見て、聞いていただきたい落語の一つです。
大好きな立川談笑さんのリンク貼っておきます♪




オープン・スピーカーズ・ミーティング

オープン・スピーカーズ・ミーティング

皆さんはあまり聞きなれない言葉でしょうが、依存症関連の当事者や支援者、家族などはよく聞く言葉でもあります。
今回は、一般の人たちでも入れる、依存症の自助グループのオープンなミーティングに参加してきました。
依存症のグループは全国にたくさんあり、毎日どこかでミーティングを実施しています。しかし、そのほとんどが当事者しか入れないクローズなミーティングになっています。

 

なぜクローズなのか?
それは話す内容をミーティングの場にしっかりと留めておくためですね。話される内容は決して生半可なものでもないし、クローズ(ちゃんと守られた環境)だからこそ話せる内容がそこでは語られます。
オープン・ミーティングでは基本的に言いっぱなし、聞きっぱなしが大原則。
誰かに話を止められることもしなければ、いっぱい話してもいいし、ちょっとだけでもいい。
依存症に至った過去の辛い経緯、今抱えている不安や依存してしまいたい気持ちなどなんでもいいので言葉にしてみるのがミーティングのいいところ。
安全にしゃべれる場所って大切ですよね。
ちなみに私は当事者ではないので発言することはできません。
50人ぐらいが入る会議室の前で自分の依存問題や心に感じることのありのままに話す当事者を見ているとたまに羨ましく思います。
おっと、話がそれましたね。

 

自助グループは組織ではないし、自分たちで運営している集まり。
つまり法的拘束力なんてないのです。
来ることを強制されることもないし、来たければ来ればいいし、行きたくなければ行かなくてもいい。
だからこそそこに集まる人たちは依存症に対して向き合う姿勢を持って集まっているのだなと思います。
でも、向き合う気持ちを持ってなかったとしても行っていいんですよね。
自助グループってそういうところ。
問題をひとりで抱え込むのではなく、自分の問題について話す場を自分達でつくっていく。自助グループが癒しの場であるといわれる理由が少しわかります。
聞いている人たちは反論するでもなく、途中で茶々を入れるでもなく、ただそこでしっかりと聞いてくれている。
それだけでもなにか癒されるものがあるのだなと肌で感じ取ることができました。
もちろん自助グループは組織ではないですからそこに通報義務等はありません。だからそこ違法薬物であったり、犯罪に結びついてしまった過去などもさらけ出せるのでしょう。
そういった意味でも、なんでも話せて受け止めてくれる場の存在は依存症者だけに限らず重要な居場所となってくると思います。

 

会場の雰囲気
多くのミーティングに参加してきた体験から、共通する雰囲気があります。
それは喫煙所です。
あの何とも言えない独特の空気感。
私も以前喫煙者だったので喫煙所独特の雰囲気は分かるつもりです。
しかし、依存症者達が集まる喫煙所には、やはり、なにかどことなく独特の雰囲気を醸し出しています。
言うならば精神科の中にある喫煙所・・・のような・・・
精神科デイケアの喫煙所・・・
そういったものとどことなく似ている気がします。
一般的な職場にある喫煙所にはないあの雰囲気。
お互いがなにか重いものを抱えながらもそれもひっくるめて一緒にタバコを吸う感じ。それも一心不乱に(笑)ここぞとばかりに。水を得た魚のように??
う~ん。だれかいい表現方法ありませんかね。この微妙なニュアンスとても伝わって欲しい。

回復者
ミーティングに集まる人たちは回復者です。前日に依存性物質を摂取したとしても、この瞬間やめるためにそこに集まっている人たちを私は回復者だと思う。
彼ら、彼女らは依存に対して無力であることを理解している。
だからそこ毎日ミーティングに参加する。
今やめている。
今日やめている。
そういう事実の積み重ねが回復することだということを知っているのだと思います。依存に関してそれぞれの向き合い方があるように、回復過程においても人それぞれの回復過程があるのだと感じ取ることができた。

 

★印象に残った発表者
(個人の大切な体験なので内容は割愛)
◆薬物依存症
◆異性問題・関係依存・性依存
◆アルコール依存症
◆摂食障害
◆処方薬依存
その他もろもろ、内容が濃すぎてお腹がいっぱいになる内容ばかりだった。

 

きっとこういう場でなければ語れない内容ばかりだろう。
依存に関する理解が乏しい人が聞けばきっと
『あなたの意志が弱いからだ。自己責任だ。我慢が足りないからだ。』
などと心無い言葉を浴びせてくるだろう。
しかし、依存症は意志の強さでなんとかなるものではないことを彼らは知ってる。
本気で当事者達とか関わった人ならそのその感覚を掴むことができる。
いやっ、自助グループに参加し続ける人がそれを実感できるのかもしれない。
「依存症は病気なんだということを」
苦しみながらも、今日一日その依存から距離を取るためにミーティングが存在し続けるのだなと身を持って実感した。

もし、いま依存の問題で悩んでいる人がいるなら
まずは素直に助けを求めること。
依存症は人に頼れない病とも言われる。
だからこそ似たような仲間に出会うことが大切だと個人的には思う。
ミーティングで相違点を見つけるのではなく、共通点をぜひ探してほしい。
自分の問題は果たして自分で抱えきれるものなのかなど
これは依存症に限ったことではないかも知れない。
例えば、家族の問題を家族で解決できる人はいいかもしれないが、家族では解決できない人も多いはず。
つまりは話せる場所を確保しておけってことですね。
ずっと悩んでるの大変なことなので、荷物を下ろせる場を作ること。
そして、そこが安全な場になっている必要があることが大切なのかも。