・・・ん?あの人やたらテンション高くね?

身の回りのコミュニケーションにおいて、テンションの高い人、または高すぎる人はいませんか?

 

◆言い方がキツすぎないか?
◆この人いつか問題起こしてしまいそうだな。心配だ。
◆気持ちははわるけどそんな言い方しちゃうと問題大きくなっちゃわない?
など、傍から見ていてドキドキさせるコミュニケーションを取ってしまう人ってひとりやふたり思いつくでしょう。

そういう人はきっと「アサーティブ」なコミュニケーションが取れていないのでしょうね。

 

しかし、そのような人も決してバカな人ではありません。コミュニケーションが苦手なそのような人も、何度も失敗してきた経験から
このままじゃダメだな・・・
と気付いている人も多いことでしょう。

だけども失敗を繰り返してしまう・・・
きっとコミュニケーションを取りたい動機は人一倍あるけれども、その具体的な手段が分からず自暴自棄になってしまっている当事者だっているはず。

 

自分は上手く言いたいことを伝えていると思っていても、実際には威圧的だったり、相手を理詰めにしていたりするものです。
そう。
良かれと思って反応していることが、相手をより追い詰めたり不快にさせてしまっていることがしばしばそこでは発生しているのです!
特に主体が自分だときっとリスクも高まることでしょう。
SNSなどを見ていると、トラブルに巻き込まれそうな人って割と見かけますよね。
アサーティブに必要なのは主体を相手と自分の双方の視点から考えるということ。自分の主張だけでなく、相手の視点も大事にすること。

 

きっと自分だけが正しいことなんてないでしょ?
相手のことだってすべてわかるわけではないし、少ない時間で相手を全てわかったかのように振舞うこと自体がリスクの高いことだと気付くことができればコミュニケーションの質が変わってくることでしょう。


アサーティブな人間関係を作る訓練として、アサーショントレーニングが有名ですね。アサーションでは、実際に役割を演じさせるロールプレイを利用しながら練習・訓練をするわけです。訓練では、自身の発言や仕方や癖、態度などを再確認したり、改めたり、どんな言い方がより伝わるかを検討します。自分の思いを適正に正しくおしてうまく伝えるコツをつかんでもらうことがミソです。

 

どこでもつながれるSNSが武器にもなったり関係を悪化させる原因にもなったり。このご時世、相手の顔が見えないコミュニケーションは多く存在します。また、LINEなどの短い文章では、コミュニケーションの細かいニュアンスやディテールが伝わりにくい事も多いでしょう。今後起きうるコミュニケーションのすれ違いが誰から見ても予想されますね。

 

目の前で相手と一対一で話し合う場合でもすれ違いが起きるのに、SNSが間に入るコミュニケーションはなかなか荷が重い。SNSだからつながれるメリットも実際あるし、その距離感だからこそ話せる相手だっている。コミュニケーションのメリット、デメリットが顕著に分かり出してきた世代を私たちは生きているのかもしれませんね。

 

直接話し合うことが本当にいいのか、誰かが間に入ることでスムーズに物事が運ぶのか、メールや電話など相手が見えないからこそ程よい距離感が取れるのか。

誰に、なにを、どのくらい、どのような伝え方でコミュニケーションとをるのかなど、学校などじゃなかなか教えてくれませんよね。

社会に出て経験を積む中で学んでいては遅いですし、きっと学校教育なのでも今後プログラミングだけでなく、情操教育やコミュニケーション教育も充実してくるのかもしれないなと本題とだいぶ離れていることに気付きながらも今日はそんな〆方でございます。

 




不安解消には見捨てられ不安を振り返ろう

見捨てられ不安との付き合い方

誰しも持っている不安や傷つきの感情
喪失感や孤独感に耐え切れなくなる人もいるのではないでしょうか。
災害や人災もしかり。身近な人の死がきっかけとなり、大きな孤独感と向き合う日が来ることだってあるかもしれない。

 

そんな中で今日は見捨てられ不安にスポットを当てます。
見捨てられ不安から相手の本当の気持ちを確かめるために、「相手を試す行動に出る人」は周りにいませんか。

そこに恋愛感情が絡むと、なおさら面倒くさくなってしまう・・・
誰しもそんな甘酸っぱすぎる青春の1・2ページを持っていることでしょう。

 

試し、試され、駆け引き、綱引き。

・・・

みなさんもいくつか心当たりがあるのではないでしょうか。
(え~私は決してそんなややこしい恋愛はしていません。(棒

そんな危ういとも感じられる感情と付き合うには、少しコツがいるようです。

不安を感じながらも前に進める人とそうでない人の違いにはどういうものがあるのか。

見捨てられ不安を感じても前に進める人

相手に巻き込まれない人
不安を分離させて持っておける人
弱い部分をちゃんと人にさらけ出せる人


自他の境界線や問題の分離ができる人は、親密な関係が危機的状況になったとしても、相手に巻き込まれることなく自我を保つことが比較的可能のようです。不安を相手にさらけ出せるということは、援助希求能力(援助を適切に求められる力のこと)があるということですし、不安を溜め込まないことにもつながります。

 

見捨てられ不安を感じると反応してしまう人

白黒思考になり、相手の意見を曲解してしまう人
自分と他人の境界線が曖昧な人
自分の弱い部分をひたかくしする人

 

いわゆる早とちりしてしまい、感情のままに突っ走ってしまうタイプの人でしょう。不安を抱える器が小さく、(不安を抱える許容量が小さいという意味)不安を抱えていられない。すぐ解消したがる人がこれにあたるのかもしれません。特に弱みを人に見せられないということは、他人を信頼することが苦手だということ。自分の偏った考えが偏っているということに気付けなかったり、自他の境界が曖昧になってしまい、依存によって関係が成り立っている人は注意が必要。

 

 

 

そこには関係依存の問題が隠れている場合がある。
所詮恋愛や結婚などは、認められた共依存の成れの果てだと感じる人もいるかもしれません。確かにおっしゃる通りかもしれません。
ただ、お互いにとっていい着地点を目指すことが見捨てられ不安と上手く付き合っていくためのひとつのコツなのかもしれません。
まあ、どうせなら少しでも認められた、いい依存関係健康な依存関係を目指すことも見捨てられ不安からの脱却につながるかもしれません。

まずは、不安に振り回されないことが大切。




年に3回ほど大きな抑うつの波がくる

抑うつの波

30代も後半になってくると体のあちこちにガタがきたりすることもあるようで、それは体に限らず心に現れることもよくあります。

私の場合は抑うつ症状ではないかなと思います。
年に3回ほど強烈な抑うつ感に襲われます。

 

症状として、
あ~もう何もしたくない。お仕事休みたい。布団から出られない。体動かすのもだるい。誰にも会いたくない。静かに天井をボーっと見ていたい。今すぐ消えてしまいた。何もかも放り出したい。死にたい。etc

まあ、いわゆる診断基準にも当てはまりそうな症状がたっぷり。
ただし、その症状が継続することはなく、だいたい1日や2日寝ると気持ちがまた上がってくるようです。

まあ普通といっちゃ普通なのかもしれませんが、私にとってはこの年3回の波がとてもキツイものになりつつあります。
本来のうつ病のように一定の期間何もできなくるわけではないのですが、この抑うつ症状は、30代後半の私にとって、なかなか手強い相手となってきました。

きっとこれが長く続き、体も心も動かなくなったら本格的なうつ病などになっていくのかなとよく感じます。

 

割とポジティブ思考な私の頭の中

わたし自身、物事を深く考えすぎると頭の中がぐるぐるになってしまうことをある程度理解していますので、思考にとらわれないように日々努力しているわけです。
問題志向になっているとダメですね。
何が、どこが、なんでそうなったかなどばかり考えていると気持ちは沈むばかり。確かに原因を探る必要はあると思いますが、それに固執してしまい生き方自体が苦しくなってしまう人を多く見てきました。
解決志向でいることが精神的な安定につながると私個人は考えます。
心理療法の中では
、解決志向ブリーフセラピー(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)という分野があるくらい、物事のどの部分を見ていくことが生きやすさにつながるか書かれています。

うつ病の有病率

 

ご存知のとおり、うつ病の生涯有病率は3~7%ともいわれています。若い女性と中高年で頻度が多く、社会経済的影響が大きい病気のひとつといえるでしょう。
そうです。きっと誰でもなるのです。
そう考えるだけでも視野が広がる人もいるかもしれません。抑うつ症状がきつくなると、視野狭窄(簡単に言えば、周りがぜんぜん見えなくなること)に陥って不信感や不安に追い込まれてしまうこともあるかもしれません。今は薬物治療だけでなく心理療法もうつ病には効果があるらしく、回復するための選択肢の一つとして認められつつあるようです。

 

 

波に飲み込まれないためには

まずはひとりで抱えないことでしょうね。
人に素直に甘えるのは本当に難しいこと。
これまで自分で頑張ってきたからこそ自分でなんとかしたい気持ちがあることは確か。
しかし人に頼れなくなるどうなるのか・・・

そうです。モノに頼ってしまうのです。
いわゆる依存の始まりです。
自身のメンテナンスをするためにも、自分で解決できる問題と自分ではどうにもならない問題を理解し、区別しておくことが生きやすさにつながるのではないかなと個人的に感じています。