アンガーマネジメント~怒ってもいいんです!~

アンガーマネジメント

 

いつの間にか本屋や電車の広告などにもよく目にするようになってきたこの言葉。Anger、そう、怒りです。

どちらかというとマイナスのイメージが強いかもしれないこの言葉ですが、人間が生きていく上でとても重要な感情の一つと言えるでしょう。喜怒哀楽という四字熟語にも書かれるように、感情表現には欠かせないとても重要な感情のひとつ。

大切な感情であるはずのこの怒りは時として猛威を振るい、自分のみならず、周りに多大な影響を与えてしまうものでもあります。

ここでカミングアウト。
そんな私はあまり人に対して怒れない人です。
いやっ、怒りは感じるんですよ?
でも理性というか自我で押さえ込んでしまうタイプといいますか。
本来怒らないといけない場面でも、対人関係を優先してしまい、結局怒れないチキン野郎です。はい。

 

少し話を戻しましょう。
この「怒り」の感情と上手く付き合うことができれば、あなたの周りの人間関係は本音を言い合えるより濃密な関係になっていくでしょう。「怒り」と上手く付き合うことが人生をより良いものにしていくことを体験してみましょう。

そもそも怒りというものは~

 

なかなか言語化しにくい感情のひとつ。怒っているときは冷静さを失っていることが多く、実際何を言い放ったのかなど事細かに覚えている人は少ないのではないでしょうか。
まずは、自分が怒りを感じた状況に焦点を当ててみましょう。

さて、どうでしょうか?

自分が怒りやすい状況が見えてきましたか?

怒りを表した事実はよく覚えていたとしても、実際にその状況を振り返り、言葉のやり取りを思い出す作業ってなかなかむすかしいですよね。
ここで違う角度から自分の「怒りチェック」です!
何をチェックするのかというと・・・

その怒り、強すぎる怒りになっていませんか

その怒り、多すぎる怒りになっていませんか

その怒り、長すぎる怒りになっていませんか

アンガーマネジメントを実行していく上で、この3つは何度も振り返ります。まさにセルフチェック。

怒りをぶつけているときは冷静さは失っているでしょうが、振り返ってみてその怒りは「強すぎる怒り」になっていませんか?怒りの度が過ぎて暴力や人格を否定するような暴言に変わっていないでしょうか。あんたの怒りは妥当な怒りでしょうか。

怒りが拡散していないでしょうか?とにかく相手のいろいろなところに怒りが波及し、きっかけから遠ざかってしまっていないでしょうか。焦点付けた怒りになっていますか?

怒りは時間が経てば緩やかに収まっていくものですが、その怒りは長すぎる怒りになっていませんか?また、怒りにとらわれすぎていませんか?

このように、単に「怒り」という感情の中にもたくさんの要素が入っていることがわかります。現実検討能力が大事です。私この言葉大好きなんですよね。果たしてこの怒りはどの程度怒るべきものか、また、本当に怒るべきものであるかを精査する必要があるということです。

皆さんは私のように現実検討能力にこだわり過ぎず、心の隅に置いておくぐらいがちょうどいいでしょう。知識として知っておくことだけでなく、体験として持っておくことがスムーズな人間関係につながるのかもしれません。

とにかく

怒りの感情は大切な感情だと理解しておきましょう。自分を殺して生活していく人生ほどつまらないものはないですよねきっと。怒れない私が言うのもなんですが、主張や意見を持つことって怖いものだけど、自分の大切なものを守るために必要になるものなのだなと改めて感じました。

格言 怒る事は自分を主張し自分を守ること

 

 




依存症のフォーラムに行ってきた話~

たまの日曜日、時間がゆっくりと流れるのを感じるぐらい何もせず、ただ空を眺めたり布団の上で変わり映えしない天井のシミを数える日にしたかったなぁ・・・と夢見ながら、重い腰を上げ、車で名古屋城方面へハンドルを切っていくのです。

依存症のフォーラムに行ってきた話~

さて、割と多くの都道府県でもこういったフォーラムが活発に行われつつある今日この頃。名古屋のとある場所で依存症のフォーラムがありました。後援に新聞社が数社ついており、関心の高さが伺えます。

とある依存症回復施設○○周年を迎えるにあたり、今日に至るまでの経緯を振り返ったり、登壇者が自分の依存問題について赤裸々に話したり、失敗を繰り返してきた辛い体験などが語られ、普段感じることのないような緊張感が会場に張り詰めていました。

なかには、精神科のドクターが、一般向けに依存症とは何か?をわかりやすく説明してくれたり、当事者の周りにある社会資源の活用に向けた地域の取り組みなどが紹介されていました。

会場を見回すと・・・

 

まあ、普通じゃない人達がチラホラ(笑)依存症に関する理解がある人たちなら、ある程度そこでフォーラムに参加している人たちの苦しみや葛藤、そして依存症という病気に立ち向かいながらも「今」回復に向けて努力している姿が映し出されていることがわかりますが、多分何も知らない人があの会場に入ると、とてつもなく「違和感」を感じることになるでしょう。
依存症者の特徴といいますか。
依存症者かどうかは見ただけではわからない。と以前の記事でも書きましたが、依存症かどうかやっぱり見ているとわかってしまう人達もいるのだということ。
それもまた、この依存症問題の面白いところ。

さらに会場をじっくり眺めてみると、病院などの治療施設関係者と思われる人や、付き添いなのか当事者の家族など、様々な人間模様がそこにはありました。(実際合っているかどうかは別として)
きっと何年ぶりかに会ったのだろうという表情で再会を楽しむ人や、ハグなどでお互いの心を通じ合わせる人などなにか当事者らの癒しの場でもあるのだなと感じました。

体験から感じたこと


会場で、とある女性とお話する機会がありまして、その人は昔自分が依存症でどうにもならなかったこと、フォーラムにくることで元気をもらったり与えたりできること、そして依存症とは距離を取れているものの、今もなをつながり続けていることを話してくれました。

違法薬物、処方薬、関係依存、摂食障害、性依存。ここに集まる人たちはそういった問題を抱えながらも、その日一日を乗り切るためのミーティングに参加し続けるそうです。

フォーラムでは回復の道のりや、それぞれの紆余曲折したストーリーが語られ、とても充実した時間となりました。

 

いや・・ほんとすごい。
治療に継続することの凄さを感じましたね。

だって面倒くさいやん。
日曜日の朝からこんなところに来なくても家で寝ておきたい。
ちょっと顔を出す程度にしておこうかな。

これこそ私のセルフトーク
しかし、そんな私でもしっかりとフォーラムに参加し、身をもって体感・体験できた自分自身を褒めてあげたいですね。もちろん寝ているだけの休みの過ごし方にも意味はあるだろうし、家族サービスをする家庭だってある。はたまた自身の興味のある分野の勉強に励む人もいる中で、今日の私はこうやってフォーラムに参加できたことを褒めてあげようと思う。

当事者たちの語られる内容はそこに集まった人たちのものなので書くことはしないが、そういったミーティングなどで感じた私の所感は今後も書き連ねていきたい。

実際年に何度か一般向けのオープンなミーティングには積極的に参加する方なのでその機会があればまた書いていきたい。

 

追伸
髪をカットしました。モンチッチのような髪型になってしまいました。前髪が湿度でくりんとなってしまうこの季節。早く夏を飛ばして冬にならないかなぁ~



仮想通貨の甘い囁き~

仮想通貨の甘い囁き~

お久しぶりです。
だいぶ日が空いてしまいました。
持ち帰りの仕事があると、したいことも一向に進まないですね。
本日は仮想通貨(暗号資産)のお話です。

 

仮想通貨(一般的によく聞くビットコインやその他のコイン)の値動きが最近活発になってきてますね。私が仮想通貨を知ったのは今から約3年ほど前にさかのぼります。
とあるオフ会のメンバーが仮想通貨に手を出しているらしく、まゆつばもので話を聞いたのが最初でしょうか。仮想通貨自体はそれ以前にニュースでも聞いたことがあったものの、身近な友人が仮想通貨を保持していることで一気に興味関心が湧いたわけです。

ただし、私の性格上、投資案件などに関しては、自分で動いて調べない限り基本的には甘い話は信用しないのです。元々相手や物事を疑ってかかる性格でもあったので、以前行っていた少額の現物株(利益が出ず途中で離脱した経験アリ)ですら周りにはほとんど話したこともないぐらいでした。そんな中、割と長い付き合いをしている友人の仮想通貨話は儲ける儲けないはさておき、興味が沸くものとなりました。

出川組参戦!

 

私は仮想通貨では、いわゆる出川組
出川組とは、お笑い芸人の出川哲朗さんが一時期仮想通貨のCMに出ていてそれがきっかけでこの世界に入ってきた人達のことをいいます。
厳密にはそのCMの前には動き出していたので、実際はもう少し早い段階からの参入となりました。

 

特にお金を何倍にも増やしたい。という熱烈な欲求から入ったというよりは、「なにか投資について勉強がしたいし、トレードといってもデイトレードなどは仕事の都合もありできないし、株も以前途中離脱してしまった・・・銀行にあずけるぐらいなら何かないものか。」という気持ちだったと思います。
当時、仮想通貨の草分け期ともいいますか、知ってる人は知っている、周りが積極的に周知しているわけでもない、そんな雰囲気があったと思います。私がまず口座を開設したのがコインチェックという取引所。そうです。2018年に約580億円の仮想通貨が不正に流出したあの取引所です!
580億円ですよ!
580円を置くのではないですよ?
・・・とまあ、そんな事件がある未来など知りうる余地もなく、るんるん気分で口座を開設していったわけです。

ビットコイン

 

口座を開設して以降、実は私はビットコインをほとんど持ってないのです。え?と思われる方もいるでしょうが、割と私は冷静に当時のビットコインを見ていました。
素人目線の私にとって、ビットコインの本当の価値なんてわかるはずもなく、そこにお金を注ぐことはリスクが高いと思っていたわけです。
そして私が購入したのは、ビットコインのその他にあたる、アルトコイン(主要ではない仮想通貨の総称)というものでした。
この時期ビットコインは過去最高値を更新し、いわゆる仮想通貨バブルとなりその勢いはとどまる事を知らないような雰囲気で充満していました。

そして2018年1月から約1年5ヶ月の下降トレンドに入っていくのです・・・。

主要と言われるビットコインに手を出していなかったことが幸いし?笑、自身の持つ仮想通貨はビットコインほどは価値が下がらなかったことも今こうやって続けられているのかもしれません。(あんな高値で掴んであれほどの下落してしまったらもう撤退していたことでしょう。)

トレードの基本

 

別にこれが正しいとも思いませんが、ルールという枠組みの中で資産運用をしています。

①余剰金で運用すること

②レバレッジはかけないこと

初心者なので大まかに分けて、この枠組みの中で自分なりの投資(長く見据えた資産運用)をしていく決意で始めたわけです。

今現在のこと

 

価格が下がると仮想通貨を買い増しし、それを繰り返すことで平均取得単価を抑えながらこの2年ほど耐えに耐えてきたわけです。
そのかいもあり、現在は含み益が出ている状態。
税制の問題や確定申告に関する知識がまだ見についていない私にとって、どこで利益を確定させるかは大きな問題です。
焦るつもりはないので、この仮想通貨(暗号資産)を長い目で見守っていくつもりです(ガッチリホールド。通称ガチホ勢。)

追伸
だらだら書くのもアレなので、この話はまたの機会にでもしようかなと。今日久々にカラオケにいきました(´∀`)
高音が出にくい声になってしまいました。低くこもる歌とたまに出す高音なら自分に合っているのかも。中島みゆきさんの「糸」など熱唱して少しすっきりした土曜日です(n‘∀‘)η

 

 



メンヘラ女子の究極攻略法

メンヘラ女子の究極攻略法

 

ネット用語として生み出され、今ではもう日常会話の中に浸透しつつあるこの「メンヘラ」という言葉。当初はメンタルヘルス(精神的な健康状態)に問題がある人として恋愛や仕事、その他人間関係に多大なる影響を及ぼす人達と言われていた。
しかし、その定義は今でも曖昧で、心に何かしらの問題を抱えている女子であったり、自傷行為を繰り返す病んでいる女子、または精神科に通院している処方薬依存の女子など、おおむね「病んでいる女子(最近は性別関係なく利用される場合も)」が一般的なメンヘラの理解として定着してきたのがその経緯であろう。

 

究極攻略とは


メンヘラ
女子は、昔でいう精神科などに通院している境界例(ボーダーラインパーソナリティ障害)にあたる分類であろう。昔から言われている境界例は容姿が平均よりも上の患者が多く、また惹きつける何かを持っていることが多い。(何を基準に平均より上なのかはさておき)実際にツイッターのキーワード検索を利用しメンヘラと打ってみるとメンヘラたる何かを感じることができる。同時に自己顕示欲と自己承認欲求などにまみれ、社会の中での生きずらさを私は感じることができた。ただ、平成という元号の中で変わってきたのは、男性もまたメンヘラになりつつある流れも見て取れる。

 

攻略といっても付き付き合うことが攻略か?
回避するほうが攻略なのか?

たしにそうである。一般的な社会生活をおくる上で、自分のプライベートや仕事のやりがいなどを見出したり、少しでも豊かに生きていきたいと思うことはあっても、わざわざメンヘラという燃え盛る業火に身を投じることはどういった意味を持つのだろうか。
飛び込む本人がメンヘラに引き寄せられる体質なのか、はたまたドMなのか。それよりも人生のハードルを上げるような相手をチョイスするのではなく、回避したほうが自分のためにもなるのではないかという意見もごもっともである。

 

 

 

 

つまるところ正解は・・・

関わらない事が身のためであろう。彼女らは人の境界をいとも簡単に超えてくる性質を持っている。一般的な精神状態と神経症圏内の間の意味のボーダーではなく、神経症傾向と精神病傾向のボーダーであるということを踏まえて関わりを持たねば怪我以上の問題に発展することがある。

 

 

付け加えると彼女らの魅力とは・・・

身なりや容姿もある程度そうであるが、あれほどまでに自己表現を素直にできる彼女らは羨ましくもある。その一点においても彼女らは魅力的でるように私は感じる。自分がもし辛くなった時でも、メンヘラが選択するような対処方法などは選択肢に上がることはあまりないだろう。それほどまでに一般の人達は自制しながら生きづらい世の中を耐え忍んでいるのかもしれない。そんな中でメンヘラ達はある種いとも簡単にその対処方法を活用しているようにも感じる。以前自傷行為についての記事にも書いたが、一般人が選択しない道を進むその姿には惹かれるものがあるだろう。

 

 

攻略について

上手く攻略したと思っていても逆に攻略されてしまう人が多いのが世の常です。彼女らとともにいる上で、重要になることは、関係維持能力と巻き込まれないように適切な距離感を保つこと。そのラインを乗り越えたり壊したりするがゆえのメンヘラでしょうが、この最低限の注意点は心構えとして持っておくほうが良いかもしれない。

 

 

 

追伸
タピオカブームで行列に並んだが、あまりの時間のかかり具合に離脱しました。なぜ今そんなにタピオカが必要なのかなど、並ぶ人たちの心情を考え出したところで飲む気を失ってしまいました。ブームが落ち着いてからしっかり味わおう♪



人との会話の「間」が怖い人必見

人との会話の「間」が怖い人必見

 

人と会話をしていて、「間」ってたまにできませんか?
あれ?次こっちが聞く番だっけ?
あれ?なにこの「間」?雰囲気悪くない?
早くしゃべらないと(焦)

このように誰でもコミュニケーションにおいて「間」の取り方に困ったことがあると思います。

 

 

 

実はこの「間」・・・先に動いたほうが負けなのです(笑)

 

 

 

まぁ、負けといっても相手との勝負ではありません。
多くの人は、自分自身の葛藤に耐えられなくなり、わざわざその大切な「間」を意図的に壊してしまうのです。

 

 

 

 

そんな私もこの「間」がとても怖かったひとり

人一倍臆病で、自分から空気を壊すような動きなどできるはずもなく、事なかれ主義ではないにしろ、人間関係において敏感で、なるべく相手にも嫌な気持ちをしてもらいたくないといった八方美人っぷり。

人はあなたの事なんかそんなに気にしてないよ。
          自分の思うように生きることが一番だよ

と頭ではわかっているのに、必要かどうかもわからない勝手な気遣いを繰り返してきたのが私のコミュニケーションなのです。
見方によったら上手くコミュニケーションを取ることができているのではないかとも思われがちですが、それとはまた少し違う・・・なんとも表現しづらい。そんな感じの私のコミュニケーション。

 

 

 

最初はやっぱり「間」は怖い

そんな敏感な私ですから相手との会話では必要以上に相手のことを考えてしまいます。
「私と話ししてて楽しいかな?変な雰囲気になってないかな?」
という思いが頭を駆け巡り、「間」を無意識的に避けて質問やさっき聞いた内容をニュアンスを変えてもう一度聞くようなよくわからないコミュニケーションを取っていたことでしょう。

 

 

重要なのはまずは「間」に慣れること

まずは「間」に慣れている人などほとんどいないと思っておきましょう。実際に話し上手な人や、話すことを仕事にしている人(例えば教師とか)でさえ、授業内容に関しては知識でその「間」を埋められても、コミュニケーションの中から生み出される「間」には苦手意識を持っている人が多いと思います。
つまり、「間」をじっくり感じて楽しむことが慣れるための一番の近道と言えます。

 

 

 

「間」をどう捉えるか考えよう

「間」はコミュニケーションの中でしばしば起こりうるものと考えておいてください。その雰囲気に耐えられなくなって反応するのではなく、その雰囲気を感じることを意識してみましょう。
あなたのペースで会話していませんか?
「間」はもしかすると相手の考えるスペースなのかもしれません。
だからこそ「間」という葛藤場面をしっかりと認識することが重要。

 

 

 

 

場合によってはAKYも使ってみよう

若干死語になりつつあるAKY(あえて空気を読まない)。
コミュニケーションは双方向の力を利用します。
こちら側から出される矢印は必ずしも帰ってくるものではないかもしれません。だからそこ「待つ」ことも重要。
AKYによって相手の考えるスペースを作ったりしながら観察してみましょう。渦中にあるコミュニケーションを観察し、体験することで自分のコミュニケーションの特徴が見えてくることもあるでしょう。
たった一言であなたが周りから変な目で見られることはないように、ちょっと変な雰囲気になったとしても安心して「間」を感じ取りましょう。

 

 

 

客観的にコミュニケーションを感じられると

多くの人達がその葛藤を抱えられず、無理やり埋めてしまいがちなこの「間」に慣れることができるとコミュニケーションに余裕がきっと持てるようになるでしょう。
自分のコミュニケーションに自信が持てるようになってきたり、無理に自分の話題を切り売りしなくてすみます。相手のペースでコミュニケーションができるようになると、自然と他人の共感ポイントに気付けるようになったりもします。

 

 

最後に

「間」が怖いのではなく自分の葛藤に耐えられなくなってしまっている状況が見えてきましたか?
それを感じ取れる人はセンスがいい。
「間」をコントロールできると会話にも余裕ができる。
この記事を読んだあとには、きっと会話が待ち遠しくなっていることでしょう。相手のペースの中で自分の意見が言えるようになれば共感や信頼関係の形成がスムーズになっていきます。
もう一度タイトルを見てみましょう。
きっと「間」に対するあなたの認識は、もう以前とは違うものになっているはずです。

追記
少し自己啓発的な要素が含まれる文章構成になってしまいましたね。
書き方なども含めていろいろチャレンジしていきたいです。
需要があればこういう内容のものも書き留めていこうかと考えています。



誤解に騙されるなっ!依存症のホントとウソ

誤解に騙されるなっ!依存症のホントとウソ

とまあ、ちまたにある依存症に関する誤解や偏見、実際のところや嘘などじっくり取り上げていきましょう

 

 

 

 

 

 

 

Q,依存症は男性特有の問題で女性はそれほど関係ない
a,明確な性差があるわけではありません。アルコールを例にとると、飲酒を開始する年齢が早い人ほど依存症になるリスクが高まるそうです。女性の依存問題は表面化しにくい傾向があり、最近言われている「女性の依存症患者が増えてきた」という背景には、これまで見過ごされてきた暗数が社会情勢とともに認知されてきたのでしょう。女性の社会進出も背景にあるのではとも個人的には思います。アルコールに関しては、うつ病との関連も指摘されており、飲酒問題がきっかけで依存症治療につながることも多いとか。女性だからといって安心できないわけです。さらに言えば飲酒が機会飲酒ではなく習慣的な飲酒になっている人は特に注意が必要だとか。

 

Q,大麻やコカイン、覚せい剤などで捕まっている芸能人がいますが、割と普通な顔をしてるのはなんで?

a,そうですね。依存症は周りからみても使っているか使っていないかわからないのです。想像の中の薬物依存症者達は、生活が乱れ、目の下にクマができ、ガリガリで、手が震えてヨダレを垂らしている・・・なのかもしれません。
しかし、実際の依存症者達の姿はそうでないことがほとんどです。
さらに言えば、上記の薬物は精神依存が主な薬物と言えます。
以前の記事で身体依存と精神依存について書きましたのでそちらを参考に。

 

Q,睡眠薬も依存性があると聞きました。それらは違法薬物と何が違うの?

a,もちろん睡眠薬や抗不安薬の中にもベンゾジアゼピン系の薬物は存在します。ベンゾジアゼピン系は依存性があり、その取り扱いには注意が必要です。長期間の服用では身体依存が形成されるリスクもあります。離脱時には不安が大きくなったり、自律神経症状が出現することもあるほどです。
しかし、薬剤の摂取が直接的な快楽をもたらすわけではなく、治療に適切につながっていれば耐性が急速に形成されることは少ないでしょう。
(要は乱用しないことが重要。主治医としっかりお話しましょう。)

Q,覚せい剤はダイエットに効果ありと聞いたことがあります。実際はどうなのでしょうか?

a,覚せい剤等の薬理効果として食欲抑制作用が顕著に出るものがあります。つまりは何も食べなくていい状態が薬物を摂取することで作られるということ。この一点だけを見れば体重の減少には一時的に効果を示すかもしれません。ただし、その食欲抑制効果が切れた後はどうだと思いますか?その通り。リバウンドによって食欲が著しく高まる時期がやってきます。だからこそ、その食欲を抑制させるために違法薬物の再使用を繰り返してしまうのです。
負のスパイラルが形成され、いとも簡単に依存症になってしまうリスクがそこにはあるのです。
その一時的な体重減少にすがりつきたくなる気持ちはなんとなく分かります。
それこそが精神依存なのでしょうね。
女性が求めているような綺麗な痩せ方はできないと思います。

 

Q,依存症の親を持つ子どもは依存症になるのですか?

a,近年アルコール依存症の発症のしやすさと遺伝の関連が報告されています。アルコール依存症については、危険因子が特定されつつあり、遺伝のみならず、環境因子との相互作用によって依存症のなりやすさが解明されてきた部分もあります。特に家族がアルコール問題を抱えている場合では、その発症率が高まるとも言われています。また、機能不全家族で育った子どもの依存症罹患率や文化的な背景も依存症のなりやすさに関わってくることも。
ただ、必ずしも子どもも依存症になるわけではありません。
その世代間連鎖から脱出するためにもあなた自身が少しでも治療などに結び付けばその負の連鎖は止められるかもしれません。
完治はできませんが回復できるのが依存症です。

 

最後に

依存症に関する誤解が多いのがこの界隈の特徴。確かに使ったことのない人間が言えることは、体験した者と比べてその重みが違うことは承知の上。多くの人がその誤解を理解した上で過ちを起こした人たちに優しくなれればいいなと感じる。テレビで○ャニーズ事務所のメンバーが土下座している映像を見た。誰に対しての土下座なのだろうか。彼は見せしめのために土下座したのだろうか。
彼がやるべきことは世間への土下座ではなく治療につながることだと私個人は感じる。彼が賢く薬物をやめていく上で、きっと失敗もするだろう。それでもやめることを忘れず少しづつ回復していくことを祈る。



地雷回避の極意!避けろデートDV男

地雷回避の極意!避けろデートDV男

近年話題に挙がるこのデートDVの問題。嫉妬や束縛がエスカレートして相手を追い詰め、時として身体的・精神的・性的な暴力まで至るこのデートDV。
パートナーを選ぶ上で、この地雷は避ろ!というポイントをいくつか挙げよう。

 

監視型DV男

相手を支配するこのタイプは、相手を監視下においておかないと心配で何をしでかすかわからない。LINEやSNSなど、誰とどんなやり取りをしているかなど把握しておかないと気がすまない。本来の守られるべき個人のプライバシーの垣根を、いとも容易く越えてくる。

感情抹殺追い込み型DV男

相手を否定する言葉で相手の思考を鈍麻させ、自分の支配下に置くことでその不安を解消するタイプ。人格否定や相手の家族でさえも否定し、孤立させることで助けてくれる環境を分断させる。別れを切り出されると逆上したり、相手をコントロールすることに重きを置く。

 

攻撃型DV男

その名のとおり暴力を用いて相手をコントロールする。殴った本人ではなく、殴られた被害者があたかも悪いように操作し、その思考を麻痺させることが特徴。暴力は必ずしも被害者に向かうとは限らない。子どもや周りの人間関係を破壊することで本人を従わざるを得なくさせる。

 

甘い囁きに騙されるなハネムーン型DV男

DV後に突然優しくなる加害者。「暴力さえなければこの人はいい人だから」などと被害者が淡い幻想を描いてしまうぐらい優しくなる。しかし、その優しさは一時的なもので、緊張⇒暴力⇒ハネムーンを繰り返し負のスパイラルが形成されてしまう。

 

金銭欲求型ひもDV

まさにひも。お世話してもらいながら金銭を要求し、相手をひとりの人間とは見ようとしない。このぐらいの金額なら出してあげてもいいかなとおもわせる絶妙なラインを熟知しているこのひも男。金銭的依存はその後違う依存に進化していくことも。

 

性的接触所有物型DV男

「付き合っているのだから、性的なものは当たり前でしょ」などと自分の中の認知があたかも全てであるように振舞うこの男。パートナーをひとりの人間と認識しておらず、自己中心的な考えになりやすい。性的な合意のもと行為に至る背景には目に見えないようなプレッシャーがかかっているかも。NOを言えない女性は注意。

 

 

当事者の姿

当事者は、問題の渦中におり、自分が受けているDVに関しても鈍感になっていることが多い。そもそもこれがこの人の愛情表現だと自分を納得させるような言い訳を繰り返すこともある。デートDVなどを含めると、女性の半数以上がこのようなDV(経度から重度)の経験があるという。

 

加害者の姿

加害者は、その罪の意識が薄いのが特徴。そもそも加害者側はそれがDVであるなどと思っていないことが多かったりする。また、気付いていたとしても、「これは二人にとって良かれとしてやっていることだから」などと認知の歪みなどが存在する場合もある。

 

 

さらなる犯罪に発展しないために

DVは継続される中で、日常化したり習慣化される場合もある。それはまさに傷害に発展するものであり、当事者たちの問題を超える問題になっている。暴力を目の当たりにした子どもたちはそれ自体が虐待になることも大人は理解しておかなければならない。
最近ではスマホの位置情報がDVの巧妙な手口として注意喚起を促している情報番組もあるくらいだ。パートナーとの関係を見直す良いきっかけになるかもしれない。

以前までは、DVは夫と妻などのいわゆる家族を対象にその問題が議題に上がってきた。
しかし、現在のDV防止法は、家庭内の暴力などに限られていたものから同棲するカップルにおいても適用されるものになってきた。
それだけ普通の人間関係においてもDVは起こりうる。また、そのきっかけとしてデートDVに関しても敏感にアンテナを張っておく必要があるだろう。
リスクは常に身近にあるということ。

 


LINEなどの既読無視に対する叱責や過度の返信要求から始まり、ストーカー化するものや、リベンジポルノなどの恐喝に至るまで多くのリスクを伴っている。人間関係はなんて怖いものだろうか。

しかし私たちの生きる世界では、人を相手にしないという選択肢は今のところない。
どこに行こうと人間関係がつきまとう。
だからそこデートDVに合わないための予防策はとっておきたいものだ。

 


ちなみに、このデートDVに関するこの記事は、なにも男性に限った事ではないのが現代の社会であろう。この記事の性別を逆にして読んでみるのもこの記事を楽しむひとつの方法なのかもしれない。




カショオ女子 ~摂食障害にみられる関係依存の問題

カショオ ~やめられない止まらない


聞きなれない言葉でしょ?
私も最初そう思いました。
ん?一体なんの略だろう?
そうです。

過食嘔吐略です。つまりはそう、摂食障害。
ご飯を食べれるだけ食べ、詰め込み、限界をむかえると嘔吐し、全てをなかったことにする。なんて卑怯なやつらだ。まるで食べたことをリセットするかのように、彼ら彼女ら(女性が圧倒的に多い病気なので以下彼女ら)はその行為を繰り返す。
いやっ、「もしかして彼女らもまた、どこかで苦しんでいるのではないか」と感じ、摂食障害についてのお話を前回よりも詳しくこの記事では取り上げる。

そもそも摂食障害ってなに?

主に神経性やせ症神経性過食症及び過食性障害に分類される。
ここで話すのは後者である。
通称カショオは字の通り過食とそれに続く自己誘発性嘔吐や下剤などの乱用がみられ、排出行動が伴うことが主な症状といえる。自身のボディーイメージに過剰に反応したり、自分は太っているなどと誤った「認知」の仕方に囚われ、苦しんでいる。体重増加に対して恐怖心を抱えており、食事制限や過剰とも言われる摂取カロリーへの執着などがある。食べることへの罪悪感や数字(体重)へのこだわりによって生きること自体が困難な状態になっている。

過剰とも言える人間関係


よくツイッターで摂食障害の人に絡みに行くのですが,敵意はないのに質問や指摘がきついのか、ブロックされる時がある。
「きっとなにか相手に突き刺さったのかな」と思いながら性格の悪さがこれ以上露呈してしまわないようにさっと引くのですが、摂食障害の方には少し人間関係において特徴が見られると感じた。

カショオをする人たちの特徴のひとつに、人間関係に対する異常な期待や依存と受け止めてくれない相手に対する攻撃性をよく感じる。

つまりは、自分を受容してくれる相手に対しては、無条件とも言えるほど受け入れる心があるにも関わらず、反論や注意、リスクなどを伝えてくる都合の悪い相手には敵意が向きやすくなっているのではないかということ。

Twitterなどでよく見かけるのは、一旦仲間になってしまえば、距離感0になってしまうところ。
相手を受け入れすぎるというか、自分の生い立ちや境遇、さらには家庭問題等がシェアされ、出会って僅かで濃密な関係が形成される。それは共感や共有といったものを少し越えたものになっているように感じた。

もちろん周囲の理解が乏しい病気であるため、理解してくれる相手が現れること自体は当事者にとってとても嬉しいことだろう。しかし、過剰な仲間意識と排他的な関わりは、まさに過食嘔吐そのものだとも感じる。現在統計的な仮説は少ないものの、その特徴を感じさせるやり取りがTwitter上でよく見受けられる

彼女らは基本的に誰の意見も受け止める気がない


まさにこのような感想が適切かと感じる。彼女らは聞く耳を持たないことが多く、ツイッターという本来一方向のSNSを利用しながら、自己洞察と自己肯定感を埋める作業を行っている様子が見て取れた。多くの食材の画像を写真に収め、それを理解してくれる相手を探し求め、食欲と同時に仲間や共感を求め歩いているようにすら感じる。
そして満たされたものを嘔吐によって流してしまう
とてつもなく不合理で、どうしようもなく、傍から見ていると虚しく感じる。
しかし、同時に彼女らはカショオがあるからこそ生きていられる
このような行為が理不尽で止めたほうがいいことなのだと感じながらも、きっと苦しんでいる人が大半だ。

そこに葛藤が見えるからこそ私はTwitterで声をかけてしまうのかもしれない。
一見無駄な行為を繰り返していると思いながらも何かを得ようと必死にもがいている姿はとても魅力的ですらある。ちょっとのズレにより、多くのカショオたちが苦しみから解放される対処法を間違えてきたのかもしれない。

世の中の女性の評価基準が曖昧な中で、数字で表される体重の問題は女性を評価する簡単な基準になっているのかもしれない。BMIなどの遥か下にいるにも関わらず、何と戦おうと必死になっているのか本当は詳しく知りたい。

摂食障害の予後は悪く、3、40代で骨粗鬆症になることも心身医学会で発表されていた。また、そういった行為に依存する背景には、多くの関係依存や人間関係の問題が眠っていると私は思う。不合理な行動は時として命をもおびやかす行為につながる。その糸が切れる前に少しでも多くのカショオと細く長くつながっておきたいと切に感じる。