ゲーム依存なんていわせない

皆さんはどんなゲームにハマっていて,ゲームにどれくらいの時間を注ぎ込みましたか?
「まあゲームなんてただの暇つぶしでしょ,そんな本気でやってないし」
と思われる方はブラウザバックです。そんなやつとはこのカテゴリーで共感し合えるわけなどない。と,一人でぷんぷん怒っているわけですが。

学生時代私の貴重な時間を奪い去ったのがモンスターハンター通称モンハンです。これが曲者で,モンスターを倒してその素材を集めて武器や防具にするアクションゲームなのですが,レアな素材はなかなか落ちないので30〜40分戦ってなんの成果も得られないこともあるぐらいシビアなゲームなのです。自分の好きな武器を揃えるには何十時間や何百時間素材を集める作業をせねばならず,夜遅くまでPCの前に座っていたことを思い出します。(実際は数千時間)

さて,近年やっと耳にするようになってきたこのゲーム障害。韓国などはゲーム依存症者も多く,国をあげての対策も行われているところです。しかし,我が国はどうでしょうか。まさに,やっとこさ重い腰を上げてきたというところでしょう。中年の引きこもりと同様に後手後手になってきた問題の1つでもあります。

基準とは難しいものよの

過去の自分を振り返り学生時代ゲーム依存になっていたかと問われると,まさにその通りだと思います。ゲームが生活の中心になっていた時もありますし,なににおいても優先がゲームだったでしょう。
ただ,そんな私ですがゲーム依存でないと自信を持って言える部分は無事に大学を卒業したり,バイトなどでも大きな穴は開けなかったということでしょう。
つまり,生活に支障は顕著に出ていなかったということ
これは大事なことで,ゲーム障害と診断される人の多くが生活に支障が出ているにもかかわらず止まらない状態が続いているといえるでしょう。診断においてもそれはひとつの指標。
眠い目をこすりながらもせねばならないことをこなしている場合は,ゲームはゲームの範囲を超えていないことが多いでしょう。
しかし,実際のゲーム障害の人たちは明らかな問題が出ているにもかかわらずゲームが止まらなくなっている。このラインがクリアできていないのは1つの基準でしょうね。仕事や学業が後回しになってしまう。何よりも第一優先がゲームになってしまう。孤立していることに気づかなかったり,周りからの目にも鈍感になってしまう・・・ただ,ゲームの世界って頑張ったら頑張っただけ強くなり,評価されたりする。それって現実の世界じゃそうはいかないことがほとんどですよね。つまり,ゲームの中には生きがいがあるからそこ離れにくいものになってしまうのでしょうね。報われないことがたくさんある社会の中で,ゲームという世界に依存してしまうのは仕方のないことかもしれませんね。

おわりに

この手の治療に関してはとにかく専門家が少ない。また,治療施設を持つ医療機関なんて極端に少ない。依存症という範囲で考えるならば,ある程度の治療施設は選択できる。しかし,まだまだ心もとないのも実際のところ。よくて精神保健福祉センターなどが相談窓口となってくれる程度かも知れない。それでもそこにつながれるゲーム依存症者はまだマシで,スタートラインに立てない人たちがほとんどであろう。
書いていて自分のとってのゲームとの付き合い方にも見直しが必要になるなと感じている。身近にあり,ちょっと空いた時間を埋めてくれるスマホゲーム。
果たして本当に自分の手におさまるゲームになっているだろうか
毎日のログインに追われていないだろうか
スタミナを消化することに囚われていないだろうか
自分の生活の中で,せねばならないことができなくなってはいないだろうか
本当にこのままゲームをし続ける人生でいいのだろうか

などと考えながら,寝る前の最後の一回のゲームをして今日も眠りにつく予定だ。

間違って自死に至る病~リストカッターケンイチ

今回は自傷行為のおはなし。
でも何故このサブタイトル?と思った人も多いかもしれません。
以前の記事でも書いたとおり,私はよくラジオを聞いていまして「伊集院光の深夜の馬鹿力」というラジオの古~いコーナーで「リストカッターケンイチ」というものがあります。このコーナーが面白くて,ハガキ職人が作るケンイチは,いつもギリギリまで手首を切らずに問題を乗り切ろうとするわけですが,最後の最後にブシャーーーっと切ってしまうのです☆そこに至る葛藤やらなんやらがこのコーナーの面白いところ。

リストカット
中学校の30人クラスだと,1人ぐらいはリストカット経験者がいると言っても過言ではないでしょう。潜在的には一割ぐらいの人がリストカット(軽度も含める)を経験しているのではないかとも言われています。基本的にリストカットは誰もいない一人で行われることが多く,構ってもらいたい思いやパフォーマンスとしての自傷は圧倒に少ないのが実際のところ。
切ってる時ってほとんどが一人で行われます。(ここ重要!)
つまり,彼ら彼女らはなんとか生き延びるために切り続けているわけです。対処法が間違っているように感じながらも,その一瞬一瞬を生きようとする姿は苦しみや生きづらさそのもの表してくれているのではないでしょうか。
以前の記事でも書いた,自らを傷つけ自分の叫びを表現している彼らが羨ましいというのもあながち間違っていない。
一般的な社会人がわかりやすい所にリストカットの傷がガッツリあったらどうでしょうか。たぶん、世間の目は冷たく,本人の抱えているものをどうにかするよりも周りの目を先に気にすることでしょう。お客様の目の届かないところ,または,なるべく人と接することのない場所など。
まさに悪循環。
本人の思いが表された傷を,さらに目の届かない所に追いやる。これでは切ったことで何もプラスになることはない。さらに生きづらさを感じることの繰り返しになるでしょう。

リストカットのやめかた

第1に,まず誰かに打ち明け知ってもらうこと。
理解者を探すことが大事。

第2に,切ってしまうダメな自分でも、まあそれはそれでいいんだと自分を認めてあげること。その過程で間違って死んでしまわないために安全策をとること。あと自分で手当すること。
第3に,治療につながりつづけること。

ザックリまずはこの3点からですかね。周りの人間が意地になって止めようとすればするほど悪化することも多いこのリスカ問題。
本人は傷を隠すためにどんどん賢くなります。
見えないように腕や脚にする人も。
結局行動をどうにかするのではなく,感情を取り扱わなければ回復しにくいということではないでしょうか。なぜ切りたくなるのか?どういう感情が今あなたの中にあるのか?どんな感情に苦しんでいるのか?などを安全な場で話すことが大事。脳内麻薬が痛みを鈍らせ,離人体験させてくれることで助かっている部分もあるのでしょうねきっと。リストカットはその中で唯一助けを求め反応してくれたものだったのかもしれません。だからこそ切る選択肢は残しておくべきだと私は感じます。切る切らないの綱引きは自傷に対する熱意を高めさせるだけだと覚えておきましょう。感情的に反応する相手には,同じ土俵では戦わないのが支援のコツといえるでしょう。タイトルにもある通り,間違って自死に至ってしまうのがこの病気の怖いところ。つらさの解消に行った行動が,意図せず既遂に至ってしまう・・まさに生きるために自傷が死をたぐりよせているのだと思います。

そんなこと言ったって周りは理解してくれないと思う人も多いかもしれません。なら,助けてくれそうな人の目の前で切ってみるのもひとつの方法かも。だいぶ間違っているかもしれませんが,精一杯伝えてみる行動は大事かも。切ることで相手を巻き込んでしまうリスクも考えないといけませんが,切ると何か変わるかもよ?最後の選択肢としてとっておきましょう♪それもいいんじゃないかなと私は感じます。