愛では依存症は治りません。治すためには○○が必要!!

依存症とは、いわばブレーキの壊れた車に乗っているようなもの。ぶつかるまで止まれない。そして、大クラッシュした時には、周りに多大な迷惑をかけてしまう。そこに愛の力が入る余地はあるのか。また、入ったところで本当に治るのか。

残念ながら


愛では依存症は治らない。
むしろ愛という曖昧なものが依存症を悪化させる原因にもなる。
むかし、薬物で逮捕されたAさんの先輩が「もう二度と薬物なんかに手を染めないようにヤキを入れて根性を入れ替えさせてやりますよ。」などと、愛の力で問題解決を図ったという。しかし、そのAさんは再逮捕され刑務所に収監されることになった。

この先輩の愛は果たして本物だったのだろうか。

私はきっと本当の心配からくる純粋な愛だったと思う。
しかし、なぜAさんはこの愛では更生できなかったのだろうか。
先輩の愛が足りなかったのだろうか。
ヤキの効果が弱かったからまた薬物に手を染めたのではないか。


説教なんかじゃ響かない


説教や叱責によって相手は一時的に依存から離れられた様な錯覚を覚える。しかし、その錯覚からあっという間に目覚め、「この人の前ではやめておこう」などという考えが生まれやすい。依存症者もバカじゃない。反省の色とうまい言い訳さえあれば大概の人は騙せてしまう。
つまり依存症に関して説教は効果を発揮しにくい。

Aさんの薬物依存に関しては、精神依存が主な症状であるため、目に見えた依存症状はさほどでない。つまりは外から見たところで依存に問題を抱えているなんて見分けがつかない。
反省の思いや薬物をやめようとする気持ちがあったとしても、精神依存はそれらのハードルをいとも簡単に越えてしまう。
一旦依存症になってしまうと、気持ちや意志の強さだけでは回復できない。

できもしない約束をさせる周りが悪い?

はい。まさにその通り。
その辺りから本人への対応を見直す必要があるでしょう。

あなたは慢性の糖尿病患者に
「気持ちを強く持てば病気は治る。ヤキ入れてあげるので何とか血糖値をコントロールしてください。」とは言わないはず。

本人の意志は、依存症から回復するためのきっかけには利用できても、やめ続けるための強力な武器とはなりにくい。

そもそも、できもしない約束を取り付けたとしても、周りは裏切られる体験を重ねてしまうだけである。そんな約束で関係が悪くなるのであれば、きっとそれは今の本人には荷が重すぎる課題なのだろう。
課題が失敗→関係が悪化→依存症から回復する気持ちも減少。
負のスパイラルから抜け出すためには、適切な課題設定が必要。



周りがする課題、本人がする課題

家族は本人との境界線を十分意識して手を引くことが大切。つまりは手放す準備をしていかなければいけない。手放すことは見捨てることではない。本人のペースはどれぐらいかを専門家と話し合ったりして見守る必要がある。
そしてこの見守ることがめちゃめちゃ難しい。
口を出したい、責めたい、やり方が悪い、そんなんじゃダメだなどと言いたくなる気持ちを抑え、グッと耐えなければいけない。
その過程で多くの人間が巻き込まれる。
良かれと思って言った言葉や行動が裏目に出てしまう。結果、関係はさらに悪化してしまう。だからこそ本人の問題は本人に返そう。

余計なおせっかいは依存症をさらに維持させる原因につながる。
家族は本人との境界線をしっかりと引くことを肝に銘じておかなければいけない。
共依存からの抜け出し方

本人の課題は明確である。
その日一日を何とか乗り切るための方策を考えること。
依存症にもよるが、年単位や数か月単位の目標など立てなくてもよい。今日一日をどうやってその依存症と離れられるかを考えること。そこだけに力を注ぎ込む必要がある。

失敗してもよい。
次の日をまた一日目とカウントしながら依存症と向き合えばいい。
回復することを諦めないのが一番重要なこと。






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