働く女性、ひきこもる男性

「寿退社」という言葉が当たり前のように使われ、女性は結婚とともに家に入るという時代はとうの昔に過ぎ去り、社会保障の枠の中で、育休などを活用しながら男性と同様の賃金形態になりつつある今日ではあるが、それでも女性というだけで待遇が変わる職場も多数あり、区別、差別の渦の中で女性性という価値観に悩み、苦しんでいる人も多いことだろう。

外に目を向けると・・・

厚生労働省の調査では、課長相当以上の役職者に占める女性の割合は12.1%だという。EU離脱に関する議論が白熱するイギリス議会を見てみても一目瞭然だ。日本とは違い、圧倒的に女性の割合が多い。先進七カ国の中でも、女性議員の割合は日本が最下位(2019)だ。

我が国より下位を見て議論する意味はあまりないと思うが、アフリカや中東、太平洋地域の小国などと同様の女性の社会進出率の中で、働く女性をどのようにサポートしていくかの議論が急務になっている。日本では女性の活躍する場は決して多くないのが現実であり、それと真摯に向き合う必要があるだろう。

行き場をなくした男性たち

必ずしも男性が隅に追いやられるというわけではないが、確実にその波は来ているだろう。それでも、そんな波など構わず自分の仕事や役割を着実にこなせる男性も日本にはまだまだいる。(と思いたい。)

ただ、その波に乗れない男性にとっては、女性の社会進出は自分の地位を脅かす驚異となってくる。

ここ最近では、ワーク・ライフ・バランスに関する意識改革が徐々になされ、仕事と育児の両立に向けて男女問わずその活用に前向きだ。また、大企業になるほど、女性管理職の活用に関して前向きであり、企業内の助成制度も充実されている。その中で男性は、果たして既存の居場所といわれるものを守り続けていくのか、それとも意識改革とともに大きな舵取りを余儀なくされるのか、そもそも男性性とはという価値観の見直す岐路に立たされているのではないだろうか。

約束された未来とは違う「今」

「男=仕事。誰よりも遅く職場いること、企業に尽くすことこそ社会人だ。」など、仕事場に長時間いることが評価の対象であったり、企業に尽くすこと=社会人という社会のスティグマが脈々と存在し、組織の風土に合うものこそが正しいという価値観の中で、男たちは高度経済成長を走り抜けてきたのかもしれない。

すがりつくということは、言い換えれば、その人にはそれ以外のものがないということでもある。これは非常にリスクの高いことであり、依存症問題にも大きく通ずる。

「依存」という言葉の反対が「コネクション(つながり)」といわれるのも納得できるように、安易に仕事に依存していた男性達は、その依存対象が奪われることに脅威を感じる。つまりは、仕事を取り上げられると、何に力を注いでいいのかわからなくなる人も少なくない。

真面目に仕事に依存していた人であればあるほどそうかもしれない。

多くの人は、なにか自分に役割があると感じられるようなものにつながっていれば、多少なりとも安心しながら生きていくことができる。しかし、それを取り上げられるということは、いわば依存対象を失うということでもある。

つまり、依存対象が仕事からアルコールやギャンブル、薬物等に変わるだけでは根本的な問題は解決しない。

「ひきこもる」は手っ取り早くできる行動だ。
だからそこ、今後も中年男性のひきこもりは上昇傾向になることが安易に予想することができる。

ひきこもることは決して悪いことではない。
むしろその時間をいかに活用して「生きがいを見出すか」が求められる。
意味のあるひきこもり男性が増えることが男性の社会進出の次の大きな一手になるのではないだろうか。




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