カショオ女子 ~摂食障害にみられる関係依存の問題

カショオ ~やめられない止まらない


聞きなれない言葉でしょ?
私も最初そう思いました。
ん?一体なんの略だろう?
そうです。

過食嘔吐略です。つまりはそう、摂食障害。
ご飯を食べれるだけ食べ、詰め込み、限界をむかえると嘔吐し、全てをなかったことにする。なんて卑怯なやつらだ。まるで食べたことをリセットするかのように、彼ら彼女ら(女性が圧倒的に多い病気なので以下彼女ら)はその行為を繰り返す。
いやっ、「もしかして彼女らもまた、どこかで苦しんでいるのではないか」と感じ、摂食障害についてのお話を前回よりも詳しくこの記事では取り上げる。

そもそも摂食障害ってなに?

主に神経性やせ症神経性過食症及び過食性障害に分類される。
ここで話すのは後者である。
通称カショオは字の通り過食とそれに続く自己誘発性嘔吐や下剤などの乱用がみられ、排出行動が伴うことが主な症状といえる。自身のボディーイメージに過剰に反応したり、自分は太っているなどと誤った「認知」の仕方に囚われ、苦しんでいる。体重増加に対して恐怖心を抱えており、食事制限や過剰とも言われる摂取カロリーへの執着などがある。食べることへの罪悪感や数字(体重)へのこだわりによって生きること自体が困難な状態になっている。

過剰とも言える人間関係


よくツイッターで摂食障害の人に絡みに行くのですが,敵意はないのに質問や指摘がきついのか、ブロックされる時がある。
「きっとなにか相手に突き刺さったのかな」と思いながら性格の悪さがこれ以上露呈してしまわないようにさっと引くのですが、摂食障害の方には少し人間関係において特徴が見られると感じた。

カショオをする人たちの特徴のひとつに、人間関係に対する異常な期待や依存と受け止めてくれない相手に対する攻撃性をよく感じる。

つまりは、自分を受容してくれる相手に対しては、無条件とも言えるほど受け入れる心があるにも関わらず、反論や注意、リスクなどを伝えてくる都合の悪い相手には敵意が向きやすくなっているのではないかということ。

Twitterなどでよく見かけるのは、一旦仲間になってしまえば、距離感0になってしまうところ。
相手を受け入れすぎるというか、自分の生い立ちや境遇、さらには家庭問題等がシェアされ、出会って僅かで濃密な関係が形成される。それは共感や共有といったものを少し越えたものになっているように感じた。

もちろん周囲の理解が乏しい病気であるため、理解してくれる相手が現れること自体は当事者にとってとても嬉しいことだろう。しかし、過剰な仲間意識と排他的な関わりは、まさに過食嘔吐そのものだとも感じる。現在統計的な仮説は少ないものの、その特徴を感じさせるやり取りがTwitter上でよく見受けられる

彼女らは基本的に誰の意見も受け止める気がない


まさにこのような感想が適切かと感じる。彼女らは聞く耳を持たないことが多く、ツイッターという本来一方向のSNSを利用しながら、自己洞察と自己肯定感を埋める作業を行っている様子が見て取れた。多くの食材の画像を写真に収め、それを理解してくれる相手を探し求め、食欲と同時に仲間や共感を求め歩いているようにすら感じる。
そして満たされたものを嘔吐によって流してしまう
とてつもなく不合理で、どうしようもなく、傍から見ていると虚しく感じる。
しかし、同時に彼女らはカショオがあるからこそ生きていられる
このような行為が理不尽で止めたほうがいいことなのだと感じながらも、きっと苦しんでいる人が大半だ。

そこに葛藤が見えるからこそ私はTwitterで声をかけてしまうのかもしれない。
一見無駄な行為を繰り返していると思いながらも何かを得ようと必死にもがいている姿はとても魅力的ですらある。ちょっとのズレにより、多くのカショオたちが苦しみから解放される対処法を間違えてきたのかもしれない。

世の中の女性の評価基準が曖昧な中で、数字で表される体重の問題は女性を評価する簡単な基準になっているのかもしれない。BMIなどの遥か下にいるにも関わらず、何と戦おうと必死になっているのか本当は詳しく知りたい。

摂食障害の予後は悪く、3、40代で骨粗鬆症になることも心身医学会で発表されていた。また、そういった行為に依存する背景には、多くの関係依存や人間関係の問題が眠っていると私は思う。不合理な行動は時として命をもおびやかす行為につながる。その糸が切れる前に少しでも多くのカショオと細く長くつながっておきたいと切に感じる。

 




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